第142話 拓哉
音楽室に居た二年生は忍が出て行った扉を黙って見ていた。音楽室の空気が一瞬止まったように間があいた。
同じように音大受験を考えているメンバーにとって忍の話は、色々と感じるさせるものがあったようだ。
そんな雰囲気に全く関係なく篠崎拓哉が
「なあ、ヴァイオリンをヴィオラの弓で弾いたらどうなるんやろう?」
とくだらない質問を僕にあびせてきた。
「そりゃあかんやろ?」
「重い音が出そうやん」
「いや、それよりも音が潰れるやろう」
「そうかなぁ?」
「うん。多分。やったこと無いから分からんけど」
「やっぱり、そっかぁ……普通はやらんわな、そんな事」
と最後は一人で納得していた。
「で、お前は音大とかに行くの?」
僕はちょっと気になったので拓哉に聞いてみた。
「いや、俺は普通の大学に行く予定やけど……」
拓哉は迷わずにそう言ったが、語尾の歯切れは悪かった。
「そうなんや。あんなにコンバス上手いのに?」
「うん。まあな。亮平は?」
拓哉は話題をそらすように僕に聞き返して来た。
この話題はあまり触れられたくないような空気を感じたので、僕もそれ以上それに触れるのは止めて
「うん。俺は藝大目指してるけど」
とだけ答えた。
「そっかぁ……。まあ、あれだけ弾けたら目指すわなぁ」
「そんなんやないんやけどな……と言うか、お前はなんで吹部に行かずにここに来たんや?」
篠崎拓哉の担当はコントラバスだ。彼なら吹奏楽部でも十分やっていける腕前だ。というか吹奏楽部が放っておかないだろう。コントラバス経験者はどこの学校の吹奏楽部でも欲しがる人材じゃないのか?
「う~ん。それな。俺、中学校の時も吹部におってん」
少し照れたように拓哉は話し出した。
「そうなんや。じゃあなんで?」
「実は一年の時は吹部におってん。でも、ここの吹部って別に全国大会目指している訳でもないやん。なんかそれやったら市民オーケストラでやっている方が面白いからなぁ。だから一年の夏休みでやめた」
「え? コンクールは?」
「市大会で終わりや。そこまではおったんやけどな」
「なるほど」
「結構おるで、中学校で吹部でも高校になって部活せえへんかった奴」
「そうなんや」
「結構、国香中学校の出身者はそう言うの多いで」
と言った拓哉も国香中学校の出身だった。
「なんで?」
「あそこは吹奏楽の強豪校や。だからこの学校に来たらぬる過ぎてやってられへんわ。それが分かっているから入部なんてせえへん」
「なるほどねえ……でもお前は入部したと……」
「俺は部活で高校を選んでないからな。だから入学してから吹部に入って気が付いたわ。ほんで今年になって器楽部ができて千龍さんや、彩音さん、哲也とか瑞穂やお前がおるって聞いて見学しに来たんや」
コンクールの上位入賞者って案外知名度が高いようだ。
「で、入部してどうやった? うちは別に器楽部でコンクールなんか目指してへんぞぉ」
「うん。それはどうでもええねん。でも見学に来てな、その時の演奏を聞いたらホンマに一緒にやりたなってん。こんなシビアな音を出せるんやったら、楽しいやろうなって……やっぱ、全国クラスのコンクールメンバーの音はちゃうわって実感したわ」
拓哉の言葉は飾り気もなく淡々としていたが、聞いているうちに彼のこだわりが伝わってきた。彼は彼なりの音を出したい様だ。うちの吹奏楽部では物足りなかったのだろう。
「その内に、そいつらがここに来るかもな」
「そいつら?」
僕は聞き返した。
「うん。元吹部でこの学校の吹部に入部せえへんかった奴等」
「ああ、それか」
「まあ、分からんけど」
僕と篠崎拓哉とそんな話をしていると哲也が楽譜を持ってやってきた。
「たっくん、これ」
と素っ気なく拓哉の目の前に突き出した。
僕と拓哉は椅子に座ったまま哲也を見上げた。
「これって? あの楽譜?」
拓哉は哲也にそう聞きながら楽譜を受け取った。
「そう、頼まれとったやつ」
「サンキュー」
拓哉はそう言って譜面に目を落とした。しばらくそれを見ていたが、おもむろに顔を上げて
「なあ、亮平、これピアノで弾いてくれるか?」
そう言って僕に楽譜を手渡した。
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