第141話 忍の本音
パート練習は吹奏楽部と同じように各々音楽室以外の教室内で行うが、一年生は研修館で各パートごとに別々の部屋で練習している。でもやっているのは多分全員ボーイングの練習だろう。まずは弓が正確に弾けないと話にならない。
上級生は全員経験者でそれなりの技術を持っている者がほとんどなので、パート練習よりもおのずと同じチームでの合奏がメインとなってくる。
今日は琴葉が名付けた二年生の豚さんチームが全員揃っていた。瑞穂は気に入っていなかった様だが、何故か他のメンバーは自ら豚さんチームと呼称していた。
音楽室の扉が開いて井田忍が顔を覗かせた。
「あれ? どうしたん? シノン?」
瑞穂が忍に声を掛けた。忍はにこっと笑って音楽室に入ってくると僕たちの前までやってきた。
「ちょっと弓を取り換えに来たついでに寄ってみたん」
と手に持った弓を僕たちに見せた。
「弓? 弓がどうしたん?」
瑞穂が椅子に座って顎にヴァイオリンを挟んだまま忍に聞いた。
「うん。ちょっと軽すぎるから重いのと交換しにきてん」
「ヴァイオリンとヴィオラじゃそんなに重さ違うん?」
瑞穂は肩からヴァイオリンを下ろして、席に座ったまま忍を見上げて聞いた。
「うん。10g程度やけど、音の厚みがどうもかけるような気がして千龍さんに相談したら、『一度弓を重いのに変えてみたら?』って言われたから探しに来てん」
「え? ヴァイオリンの弓でヴィオラ弾いていたんかい!」
瑞穂が呆れたような声を出した。
「てへ?」
忍は照れたように舌を出して笑った。
「なにが『てへ?』……や」
もうツッコミっどころ満載の忍だった。
「嘘や、冗談や。そこまでボケてへん。でもちょっと軽めの弓を使っとったんで、なんか音が鳴りきらへんねん」
忍は笑いながら弓を振って前言を撤回した。
「ふぅん。そうなんや」
忍の話を聞いていた人間は何故か一応に安堵感が広がった。
――そこまでアホや無くて良かった――
「うん」
そう言うと忍はまた照れたように笑った。
「それにしても、10gぐらいでそんなに変わるんやぁ」
冴子が感心したように呟いた。
「うん。変わる。さっき千龍さんの弓借りて弾いたら全然違うかった。でもうち、なんかヴァイオリンの弾き方が抜けへんからね」
どうやら前回の二年生の演奏で彼女の音が軽く聞こえていたのはヴィオラに慣れていないのもあったが、一番の原因は弓の軽さにあったようだ。
「そうかぁ? この前の演奏の時は、C線の音が綺麗に出とったで」
と僕が言うと忍は表情をパッと変えて
「ホンマに? 良かったぁ……めっちゃ気になっとってん」
と安心したように肩の力を抜いた。
ヴィオラはC線をうまく鳴らすことが難しいとよく言われる。特にヴァイオリンからヴィオラに転向して間がない時はヴァイオリンを弾く癖が抜けずに軽い音になりがちだったりする。
忍はそれを気にしていたようだった。
「ところで、忍って何でヴィオラに転向したん? 先生に言われたん?」
と僕はこの前から気になっていた事を聞いた。
「ううん。ちゃうねん。自分で言うてん」
と忍は首を横に軽く振った。
「え? そうなんや」
「うん。先生にヴィオラをやらせてほしいって」
「なんで?」
「うん。受験のため」
忍は間髪入れずに即答した。
「え? 音大受験するんやったんや?」
その場にいたメンバーは忍のその転向理由を聞いてちょっと意外そうな顔をした。まさか忍が音大を狙っているとは誰も思っていなかった。
それを察したように忍は話し出した。
「うん。本当は迷っていたん。普通に大学行こうかとかね。音大は……ヴァイオリンは競争倍率高いから私の腕では自信があまりなかったんやけど、ヴィオラやったら競争相手おらへんやん」
確かにそうだ。ヴィオラはヴァイオリンに比べて圧倒的にその演奏人口は少ない。市民オーケストラなんかに行ったらヴィオラというだけで歓迎される。引っ張りだこだ。
勿論、音大をヴィオラで受ける受験生も少ない。一人しか受験に来なかった年もあったという話も聞いた事がある。
彼女の言う話はもっともな話だった。
「なるほどねえ……」
そういう方法もあるんだと僕は素直に感心した。
「で、ヴィオラを弾いてどうやった?」
今度は冴子が聞いた。
「うん。なんか同じ弦楽器なんやけど、全然違うなって。ヴァイオリンを弾いている時はメロディは気にしていたけど、ハーモニーはそれほど考えたことがなかったやん。でもヴィオラは逆やったわ。なんか今ヴァイオリン弾いたら前よりもっと上手く弾けそうな気がするわ」
と忍は笑っていった。
忍の話を聞いていた僕たちは
「へぇ」
と力の抜けた感嘆とも何とも言えない返事をした。でも忍のいう事は良く分かった。
「あ、そろそろ行くね。あんまりさぼっていたら千龍さんに怒られる」
忍は慌てて音楽室を出て行こうとした。
「今日は三年生と一緒?」
彼女の振り向きざまに瑞穂が聞いた。
「ううん。千龍さんと一緒に一年生の教官してるねん。でも、多分後で三年生と合奏すると思うわ」
そういうと忍は音楽室から出て行った。
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