第140話 冴子の気づかい
「今日の教育担当は誰なん?」
冴子が誰に聞くとはなく声をかけた。
先輩達のほとんど自己満足の演奏会が済んだ翌日、日常の部活が始まった。
「ファーストは彩音先輩。セカンドとヴィオラは千龍さん。チェロは真奈美が教えているわ」
と宏美が答えた。
「じゃあ、今日はこのメンバー全員で練習できるわね」
と冴子は満足そうに頷いた。
「そうやね」
「なあ、冴子と宏美はなんで器楽部に入ろうって思ったん?」
と僕は宏美と冴子の会話に割って入った。
案外前向きな姿勢の冴子に僕は少し驚いていた。
「何よ、急に」
と冴子は訝(いぶか)し気に僕の顔を見た。
「いや、ふと気になったから」
――唐突すぎたか?――
と僕はその場を取り繕うように聞いた。
「だって、このメンツよ。彩音先輩と千龍さん。それに瑞穂でしょう? これだけのコンクールメンバーが揃えばなんか楽しそうやん。あ、そういえばあんたと哲也もコンクール出とったな」
最後は絶対に人を貶めないと気が済まない冴子だったが、言っている事は納得できた。
確かにこのメンツはそうそうあり得ないかもしれない。それにそういう冴子自身も今年参加したピアノコンクールで金賞を獲得していた。
冴子のやる気の原因が分かってすっきりした。
「で、あんた今年はコンクール出えへんの?」
と冴子が聞いてきた。
「学生コンクールに出るつもりやけど……」
と言いながらもまだ僕は迷っていた。
「それって瑞穂や哲っちゃんも出るやつなんやろ?」
「そうや」
「そっかぁ。だからそれに出るんや」
「そう」
そういう訳でもなかったが、いちいち説明するのも面倒だったので僕は適当に返事をしていた。
「安直やん。でもそのコンクールやったら内申書に書けるやん」
「ああ。入賞したらな」
「あんたならできるやろう?」
「さあ? これだけは弾いてみん事には分からんやろ」
「ふぅん。えらい謙虚やな」
冴子はそう答えるとそれ以上僕にコンクールの事は聞かなかった。
それは冴子の心遣いだったのかもしれない。
冴子自身も音大受験のため、これからも大きなコンクールに出るはずだ。彼女のレベルとその目的を考えれば、おのずと僕と同じようなコンクールに出るのは聞かなくても分かる。
要するにすでに僕と冴子はライバルという関係だ。そのライバルに根掘り葉掘り聞くのは失礼だと思ったのだろう。たとえそれが幼馴染で気楽な会話の流れだったとしても。
冴子は何も言わなかったが、今度の学生コンクールにしても彼女も十分出る可能性がある。
それも僕と同じピアノで……だ。
僕は今考えているコンコールとは別に、今年と来年であと二つ大きなコンクールに出ようかどうしようか迷っていた。一つは中学生時代に金賞を取ったコンクールの特選クラスでの挑戦だ。ランクが上がるので、出場者の技術も前回の比ではない。僕はここでグランプリを狙っている。
そしてあと一つのコンクールは国際大会クラスのコンクールだ。
勿論この二つにも冴子は出てくる可能性は高い。だから敢えてこれ以上の会話を続けなかったのだと僕は思った。
ただ、僕が受験を考えている藝大は、こういうコンクールの実績は受験にはあまり加味されないので僕にとってはコンクールが重要なものだという認識はあまりなかった。
もっとも第二希望に考えている音大はすこぶる加味されるようではあるが……。
僕がそんなことを考えている間に冴子は、ヴァイオリンのケース開けると結構無造作にヴァイオリンを取り出した。
「さて、今日は何を弾くんかなぁ」
と、とぼけたことを言って宏美と瑞穂と音合わせを始めた。
結局、宏美と冴子はここにきてから、僕の予想通りヴァイオリンは弾いてもピアノは一度も弾いていない。
本当に冴子はピアノで受験する気があるのだろうか? いつもの冴子の気まぐれか?
ちょっと心配にはなったが余計な詮索といらぬ心配は大きななお世話とばかりに、それ以上考えることは止めた。
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