第130話 レッスン


 部活が終わった後、僕は家に帰る前に伊能先生の自宅へ寄った。

今日はピアノレッスンの日だった。


 レッスンが始まる前に僕は渚さんに今日の放課後の部活の話を伝えた。


「トリオを組むんや。それは良い経験になると思うわ」


「うん。実際に今日も色々感じたわ。他人が奏でる音の粒をワクワクして待つなんて経験、初めてやったわ」


「ワクワクして待つ?」


「うん。一緒に弾いていて、次に瑞穂がどんな音を出すのかとか哲也が僕の音にどうやって音をかぶせてくるのかとか、メッチャ楽しいねん」


「あと、こんな音が出せるんやとか……瑞穂ってホンマに予想外の音を出しよるねん」

 渚さんに語りながら僕は少し自分に驚いてた。自分が興奮気味に話をしているのに気が付いたからだ。それも他人の演奏についての話で。こんな感覚はいつ以来だろうか?


「それは分かるわ……その瑞穂って子は良い音を出す子なのね?」


「うん。相当上手いわ。それに先輩の小此木さんも良い音を出していたわ。千龍さんは自分でも言っていたけどヴィオラ向きだと思う」


「なんか、凄いメンバーが揃っているのねえ……亮平の学校」

渚さんは感心しているのか呆れているのか、良く分からないような表情で僕の話を聞いていた。


「うん。僕も驚いた。普通の公立高校なのに……」


「でも、本当に楽しそうね。亮平」


「え? そうかな……う~ん。そうかも。なんかいつもと違う新鮮な感覚やから」


「なるほどね。その気持ちは良く分かるわ」

渚さん楽しそうに笑った。


「あ、そうや、渚さん、長沼先生って知っとぉ?」

僕は長沼先生も伊能先生の教え子だったことを思い出したので聞いてみた。


「長沼って……美奈ちゃん?」


「美奈……あ、そうそう。長沼美奈子先生。今度の器楽部の顧問なんやけど。やっぱり知っとんや」


「うん。一緒に伊能先生のところで習っていたもん。そっかぁ、美奈ちゃんが顧問かぁ。久しぶりに会いたいなぁ」

と懐かしそうに天井を見上げながら言った。


「そっかぁ、知り合いかぁ……という事は……!!」


「伊能先生にもこれからは筒抜けやな」

渚さんは意地悪そうに笑いながら僕の顔を覗き見た。とっても愉快そうだ。


「せやなぁ……」

僕もそれに関しては同意見だった。


「それよりも……今年は学生コンクールに出るのを決めたの?」

渚さんはそう言って話題を変えた。



「うん。哲也も瑞穂も出るから僕も出ようかと思って……」


「なんか散歩のついでに行くようなノリね。いつもの事やけど」

渚さんは笑いながら言った。


「そんなつもりはないねんけど……でも、あんまり深くは考えてはいぃひん……かな」

と僕は一応否定したが、自分でも良く分からなかった。


「そうやろうね……あ、そうそう、この前、先生に昔の亮平のピアノについて聞いたんやけど、本当に先生、不思議がっていたわ」

渚さんは急に思い出したように言い出した。


「何を?」


「うん。亮平はレッスンの時は自由奔放に弾くし、日によって音も弾き方も間の取り方も変わるのに、発表会やコンクールになると譜面通りに寸分の狂いなく弾くって」


「そうやったっけ?」


「よくもまぁ、『そんな器用なことができるなって驚いていた』って。『だからこの子はいちいち指示するのではなく、好きなように弾かせて、迷った時や聞いてきた時だけ教えるようにしていた』ってね」


 確かにそういわれればそうだったかもしれない。

発表会やコンクールは「どれだけ美しく最短距離でラスボスをやっつけられるか!?」と思いながら参加していたので、どうしても譜面通りに弾くしかなかった。僕にとってコンクールはラスボス攻略画面そのものだった。


 理由はそれだけなのだが、伊能先生には……というか他の人達にはそれが理解できない様だ。

特にこんな話を冴子なんかにしたらまた罵倒されるのは間違いない。


 ただ、お嬢に会って以来、今この場所で一番いい音、出すべき音みたいなものが聞こえるので、これからコンクールの時は昔みたいな正確無比な弾き方はできないだろうなと思う。自分の中で一番いい音とコンクールでの審査基準の音は違う。それは良く分かっている。でも、我慢できない。


 いつまでも同じRPGばかりでは人は飽きるもんだ。たまには対戦格闘ゲームで誰もやった事が無い必殺技を編み出したくなるもんだ……って渚さんも分からんだろうなぁ……そんな事を考えていたら、渚さんに

「なにぼ~としているの?」

と注意された。


「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてた」


「ホンマに大丈夫? ちょっと疲れてるとか?」

と渚さんは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


 僕はちょっとドキッとして

「そんなことないって。大丈夫」

と慌てて否定して見せた。


「そう? それなら良いんだけど。どっちにしろ私は亮平がそのコンクールに出るのは賛成よ」

と言ってくれた。


「うん。ちょっと真剣に弾いてみる」


「頑張ってね」


そういうと渚さんは楽譜を取り出してピアノ譜面台に広げた。




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