器楽部
第121話 Eleanor Rigby
翌日、昼休みいつものように僕は音楽室にいた。
もうすぐ六月だというのに、今日の音楽室は少しひんやりとしていた。
こんな日の音楽室のピアノは、とても綺麗な透き通った音を出してくれる。
ピアノの前に座り『今日のこのピアノに合う楽曲はどれだろう』とか考えながら楽譜を眺めていると、音楽室のドアが勢いよく開いて瑞穂が入って来た。
音楽室の空気が一瞬で明るく変わったような気がした。その後にのそっと哲也もついて入ってきて、折角変わった空気を一瞬で元に戻していた。
瑞穂は哲也を気にする素振りも見せずに、声を出すのも惜しいかの様につかつかと僕の前まで来ると黙って楽譜を突き出した。
僕は瑞穂の顔を上目遣いに見ながらそれを受け取った。
「Eleanor Rigby……BEATLESの?」
目の前の楽譜には曲名と共に「Lennon-McCartney」とクレジットされていた。
「そう」
僕の頭の中でEleanor Rigbyのヴィヴァルディ風ストリングスとPaul McCartneyの歌声が響いた。
「やっぱり、アマデウスではなかったか……」
楽譜に視線を落としたまま僕は呟いた。
「うん」
「なんでこの曲なん?」
と僕は楽譜から目を離さずに聞いた。
「私がこの曲好きやから……なんか文句ある?」
と最後は僕ではなく哲也に振り向いて瑞穂は言った。
「いや、俺はなんでもええけど」
と急に話を振られた哲也はしどろもどろになって答えた。
もっとも僕が同じことを聞かれても答えは哲也と同じだったと思う。しかし、ここでBEATLESが来るとは思わなかった。僕も嫌いな楽曲ではないしどちらかと言えば好きな一曲ではあるが、この三人でやるにはちょっと地味過ぎるように感じていた。
「ところで、これって弦楽八重奏やんなぁ」
僕は瑞穂に改めて聞いた。
「そう」
「……ヴィオラは?」
「ない。そもそもここにヴィオラはおらへんやん」
「そうやな。で、三人でこの音を出せと?」
僕は顔を上げて瑞穂に視線を移した。
「ううん、同じ音を出さないでもええやん。三人の音で作り上げたらええやん」
やや顔を赤らめ軽く首を横に振りながら瑞穂は言った。僕のセリフを予想していたかのような返事だった。
「まあ、それはエエけど。編曲はどうすんの?」
「楽譜をちゃんと見て」
「うん?」
僕はもう一度楽譜に目を落とした。今度は各パートのスコアまでちゃんと読んだ。
その楽譜はよく見ると手書きの譜面をコピーした楽譜だった。
「もしかして?」
「うん。私が編曲した」
そう言った彼女の瞳には自信と不安とが入り混じって揺れていた。
僕は慌ててもう一度楽譜を見直した。そこには瑞穂が僕たち三人が演奏するために書き上げた譜面があった。
一つ一つの音符が丁寧に書かれていた。チラッと見ただけではこれが手書きだとは気が付かないぐらい丁寧に書かれていた。僕が手にしている楽譜自体は手書きの現物ではなくそれをコピーしたもので分かりにくかったが、それでも何度も書き直した跡がうっすらと見て取れた。
多分彼女は昨日、家に帰ってたからこれを書き上げたんだろう。もしかしたら夜遅くまでかかったかもしれない。そして登校前にコンビニでコピーしてきたようだ。
この楽譜を見ただけでも瑞穂の想いが伝わってくる。彼女は真剣だ。そして本気だ。
ヴァイオリンとチェロは丁寧な音符の羅列が見られたが、それに比べてピアノパートはメロディラインとコードが簡単に書かれているだけだった。
「ピアノはなんなん? これ? スカスカやん」
「そう。そこは亮ちゃんに任せるわ。歌う様に且つストリングスが死なない様に弾いてね。それにヴァイオリンやチェロのパートもこれで確定やないし……」
と硬い表情のまま瑞穂は言った。
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