第二部 ピアノとヴァイオリン
第105話 音楽室
春、四月。僕は二年生になった。
下級生が出来た。教室が二階から三階に変わった。
クラスの顔ぶれも変わった。僕が進級したクラスは国公立大学文系進学クラスだった。
冴子は私大文系進学クラス進み、宏美は僕と同じクラスになりたいという理由だけで同じ国公立大学文系進学クラスを選んでいた。
ただ僕の場合国公立大学と言っても藝大志望なので他のクラスメイトとはちょっと違ったが……。
でも、まだ二年生になったばかりなので他のクラスメイトも受験をそれほど意識をしている風には見えなかった。
僕はいつものように昼休み学食でさっさと食事をすませると、音楽室に行ってピアノを弾いていた。
音楽の長沼先生は僕が『伊能先生の教室に戻って渚さんからピアノを教わっている』と報告すると、快く昼休みに音楽室でピアノを弾く事を許してくれた。
だから二年生になってから昼休みにここでピアノを弾くのは僕の日課のようになっていた。
この日は春の陽気に誘われてモーツァルトのピアノ曲「ソナチネ 第1番 ハ長調 K.V.439b 第4楽章」を弾いた。今日は朝からモーツアルトを弾こうと決めていた。
TVのバラエティ番組でも使われていた曲だが、僕はこの曲を聞くと春のうららかな午後を感じる。
とっても軽やかな気持ちになって来る。
この時期の柔らかな日差しを浴びているとこの曲を弾きたくなってしまったという訳だ。
そう、文字通り春のうららかな午後、ここは音楽室……みたいな感じで軽いタッチで弾いていた。
ピアノも心地よく僕の奏でたい音を出してくれていた。
こういう空気の中でピアノと会話しながら弾くのは本当に楽しい。
心地よく一曲目を弾き終わった後、楽譜をめくっていたら音楽室の入り口付近で人の気配がした。ひょいと頭を上げて首を回して入り口を見たが、誰も居なかった。
「なんだ気のせいか……」
楽譜に視線を戻したら、譜面台の楽譜をめくっている人の手が目に入った。僕の手ではない。
一瞬僕は息が止まった。誰も居ないと思っていたので驚いた。
そしてゆっくりと自分を落ち着かせるように息を吸い込みながら視線をその指先から肩へと移すと、そこには見知らぬ女子生徒が立っていた。立っていたのがゾンビでなくて良かった……と本気で思った。
髪型はボブで色の白い女の子だった。本当に透き通るような白い肌だった。背丈は宏美と同じくらいだろうか。誰だろう?
スカーフの色で僕と同じ二年生だという事が分かったが、咄嗟に僕は声が出なかった。
その娘(こ)は楽譜をめくる手を止めて僕を見るとニコッと笑って、
「どんな曲があるのか見てみたかったの」
と当たり前のように言った。
僕は黙ったままだった。何を言って良いのか分からなかった……というか状況をまだ理解できていなかった。
――あんた誰?――
こんなひとことさえ出せないでいた。
彼女は僕のそんな態度はお構いなしに楽譜をめくって
「ふ~ん。今日はモーツアルトばっかりやね」
と独り言のように聞いてきた。
「あ、ピアノソナタ 第8番やん。これ弾けるん?」
今度は唐突に昔からの友達に声を掛けるように聞いてきた。
「え? あ、うん」
やっと口を開いたかと思ったら出た言葉がこれだった。もっと他になにか気の利いた台詞でも言えんのか? 自己嫌悪に陥りそうだ。
「やったぁ。第一楽章だけでもええから弾いて……ね」
「え? ああ」
更に自己嫌悪に陥りそうな安易な返事をしてしまい、見ず知らずのこの女の子のリクエストに応える羽目になってしまった。
――この子はこの曲が好きなんだな――
そんな事はどうでもいい。こういう場合他に彼女に何か言う事があるだろう?
僕は結構小心者のどうしようもない奴であることを自覚した。
彼女はピアノの楽譜台から並べていた他の楽譜を持ち去って、そこから一番近い席に座った。
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