第65話 オフクロの注文
「そう言えば、お前らもそれなりに一緒に帰ってたやんかぁ」
と仁美さんと安藤さんに向かって言った。オヤジはやっと昔の思い出の中で反論材料を見つけたように攻勢に出た。
オヤジは記憶力だけは異常に良い。それだけは自他ともに誰もが認めている。しかしそれはこんな事でしか活かされていない。
「そんな事ない」
と仁美さんは否定したが、その声はさっきまでの勢いはなかった。
オヤジは安藤さんの顔を見た。
「え? 俺かい? 仁美とそんなに一緒に帰ってないぞぉ」
とオヤジに急に話題をふられて動揺していた。
明らかに挙動不審である。
「安藤君……君は男らしくないぞ。確かに君は高校時代、仁美と仲が良かったはずだ。何だったら証人に鈴原を召喚しても良い。今から召喚呪文を唱えようか?」
オヤジは携帯電話を手にして安藤さんを詰めた。
因みに召喚呪文は
――イマカラノミニコナイカ――
だな……と僕は確信した。
それにしてもオヤジがこういう持って回った言い方をする時は、それなりに自信がある時だ。言われた方はむかっ腹が立つと思うが……見ている分には面白い。
ちなみに今はそれにドヤ顔も追加装備されている。
「いや、いちいちそんな事で鈴を呼ばんでええ!」
と安藤さんはオヤジの提案を即座に拒否していたが、更に動揺は隠せなくなっていた。
――もしかして安藤さんと仁美さんは付き合っていた?――
僕はこの一連のやり取りを見てそう感じた。宏美を見ると彼女も同じことを思っていたようで、僕の顔を見て無言で頷いた。
いい歳こいた大人たちが昔話でムキになる姿は、見ていて鬱陶しくもあるが微笑ましい。
オフクロは急に立ち上がったかと思うと、僕の後ろを通り抜けオヤジの背中越しに
「あんた、そこ邪魔。中に入って」
と言ってオヤジの背中を軽く叩いた。
オヤジは驚いたように振り返っておふくろの顔を見上げたが、軽くため息をつくと黙って立ち上がってカウンターの中に入った。
オフクロはオヤジが座っていた椅子に当たり前のように座って、当然の如く
「あ、ついでにブランデーロック作って」
僕の首を左腕で絞めながらオヤジに注文した。
オフクロはこんな事がしたいがために席を代わったのか? く、苦しい……。
カウンターの中には安藤さんとオヤジ。
初めて見る風景だが、なぜか違和感はそれほど感じない。
オフクロの前に立ったオヤジは
「相変わらずその吞み方かぁ」
と笑いながら言った。オヤジ自身はカウンターの中に押しやられた事は何とも思ってない様だ。僕はちょっとホッとした。
「そうよ。悪い?」
オフクロは何を今更聞いてくるのか? みたいな感じでそっけない態度で返事をした。
「いえ、全然……かしこまりました」
しかしオヤジはそんな態度は気にしないで笑って応えると、手慣れた手つきで氷をロックグラスに入れ、グラスが冷えるのを待っていた。
「カルバドスで良かったよな」
「うん」
オフクロは素直に頷いた。オフクロは黙ってオヤジの作業を見ていた。オフクロはなんだか楽しそうだった。いつもと変わらない態度のオフクロだが僕にはそう見えた。
オヤジはボトル棚からブラー グランソラージュのボトルを取り出すと、氷の入ったグラスの水を切った後、そっと静かにその中へ注ぎ入れた。まるでこれ以上氷を溶かさないようにゆっくりと。
「亮ちゃんのお父さんってバーテンダーしても違和感ないね」
と宏美が小声で話しかけてきた。
でもその声はみんなに聞こえていたようで
「一平も昔はここに立っていたんやで」
安藤さんが教えてくれた。
「ええ? そうなんですか?」
僕は思わず声を上げて聞き返した。初めて聞く話で驚いた。
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