第63話 大人の空気
オヤジと安藤さんは仁美さんの言葉を聞いてクククっと含み笑いをしていたが、とうとう我慢しきれずに声を上げて笑い出した。
「いや、亮平、良い返事やったわ。俺が高校生の時はそんな台詞恥ずかしくて言えなんだ。うんうん。立派や」
と安藤さんは言うがそんな恥ずかしい台詞を吐いてしまった僕は更に落ち込むしかなかった。
上の空で聞いていたとはいえ、言った後に自分が何を言ったか気が付くなんて……愚かにもほどがある。
「二人とも俯かなくて良いわよ。顔を上げなさい……本当に可愛いんだから……可愛げってこういう事を言うのねえ」
仁美さんは宏美の肩にそっと手を置いて言った。
宏美はそれに救われたように顔を上げた。
「もう、本当に何を言い出すんよ。急にぃ。ホンマびっくりしわ」
と僕の方に向き直って片手で叩いてきた。
「ゴメン」
「いや二人とも似てるわね。花火大会の時は宏美ちゃんに驚かされたけど、今日は亮ちゃんに驚かされたわ」
という仁美さんのひとことを聞いた宏美はハッとしたような顔をしたかと思うとまた俯いた。
「ゴメンゴメン。そんな意味で言ったんちゃうんよ。とっても可愛い二人やなぁて思ったんよ」
仁美さんは慌ててフォローしていた。
――それはそれで恥ずかしいが――
と恥ずかしいのには変わりが無かった……いや、恥ずかしさは倍増する事を初めて知った。
「いやいや、本当に良い台詞だった。俺に亮平と同じ歳の時にその気合と根性があったらなぁ」
安藤さんがしみじみと涙を拭きながら言った。
――結構、ツボに嵌りました――
とでも言いたそうな空気を漂わせながら……。
「ホンマにそうね」
と仁美さんがポツリと言った。
横目でチラッとオヤジを見たら目元が微妙に引きつりかけていた。
自分のオヤジにこんなセリフだけは聞かれたくはなかった……と後悔したが後の祭りだった。
オヤジも顔を引きつらせながら涙を拭いていた。
「笑わしてくれよるなぁ……我が息子は」
「良い息子やん。男らしくて……」
仁美さんがフォローしてくれたがそれはそれで恥ずかしい。それよりも早く話題を変えて欲しいと僕は心の中で祈っていた。
「本当にこの男らしさと勇気が少しでも安ちゃんにあったら良かったのにね」
仁美さんはそう言うとグラスに口をつけ、軽くCCを飲んだ。
そしてグラスをそっとコースターに置くと、視線を安藤さんに向けた。
安藤さんは仁美さんの目をまっすぐに見て何かを言いかけたが、結局何も言わずに黙って視線をそらした。
オヤジの顔がまた引きつっていた。
さっきとは違う感じで……。
大人の空気が流れた……と僕は感じた。
カランと入口のカウベルが鳴った。
入ってきたのはなんとオフクロだった。
「あぁ!ユノ~、待っとってんでぇ」
と仁美さんが手を振って叫んだ。
店の空気は一変した。
あの大人の空気は一瞬にして消えた。
そして
――助かった――
と僕は安堵した。
全ての興味関心がうちのオフクロへと一気に移った。
僕の失言はこの瞬間に過去になった。
そんな僕の思いなど知る由もないオフクロは
「何が? あんたと約束なんかしてへんで」
サラッとそう言ってのけると仁美さんの横に座った。
「安ちゃん、ビール頂戴」
オヤジは更に顔が引きつっていた。
そして何故か目が泳いでいた。明らかに挙動不審者だ。
ここだけは気まずい空気が流れている……別れた嫁に会うのはちょっと気が引けるのだろうか?
何を今更……。
でも両親がこの場に一緒にいる構図は新鮮で尚且つ少し嬉しい。
「あ、おばさん、こんばんは」
宏美はオフクロが注文し終わると立って挨拶をした。
「あぁ、宏美ちゃんかぁ、こんばんは。なんか亮平が遅くまで連れ回しているみたいね」
「いえいえ、そんなこと無いですよ」
「連れ回しているんは私や」
「なんや仁美がぁ?」
オフクロは呆れたように仁美さんを見た。
「今日の食器選びに付き合って貰ってん。宏美ちゃんは良いセンスしているわ」
「へぇ。あんたら仁美と一緒に付き合ったんかぁ。それはありがとうね」
オフクロは僕と宏美の顔を交互に見て笑った。
「そのままご飯も食べたもんねぇ」
と仁美さんは宏美に同意を求めるように聞いた。
「はい。とっても美味しいイタ飯屋さんでした」
と宏美は元気よく答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます