第7話 来客
「そういえば、鈴原が単車の免許を取ったのは、一平の影響やったなぁ」
と安藤さんが思い出したように呟いた。
「え? お父さん単車の免許持ってたん?」
と冴子が聞き返した。
「持っとるで。確か中型やったはずやけど……一平は限定解除まで行っとったな。そうそう、一平は免許を取ってからは学校が終わってからはユノをケツに乗せてどっかでかけとったけど、それを見て乗りたくなったみたいやな。一緒に走りたかったんやろう。ユノに言わすと『どこまでもお邪魔虫や』」
安藤さんはそういうと笑いながら自分で入れた珈琲を美味しそうに飲んだ。
「安藤さんや父さんたちは暴走族だったんですか?」
僕は聞いてみた。安藤さんならあり得るかもしれない……。
僕のちょっと失礼気味な問いに安藤さんは
「ちゃうで。よくつるんで走っていたけど、悪さはしなかったな。まあ、単車はいじっていたけど純粋に速さを競っとっただけやな。腕を磨いていたと言って欲しいわ。だから夜中に爆音響かせて走ったりはしなかったなぁ。六甲山はよく走ったけど。その当時はまだ再度山(ふたたびさん)ドライブウェイは単車で走れたし……」
と最後は懐かしそうな表情で答えてくれた。
そして
「それはそうと、亮平は単車の免許取らんのか?」
とまた思い出したように聞いてきた。
「う~ん。考えてなかったです」
と僕は応えた。今までそんな事は考えた事も無かった。
「原付ぐらい取ったら? 二人乗りは出来けへんけど……あれは学科試験だけやから誰でも取れんで」
「そうなんですか……考えてみます」
「まあ、自転車代わりやけどな」
と言って安藤さんは笑った。
単車には全く興味がなかったが、原付の免許位は取っておいても良いかもしれない。オヤジに相談してみようかな……と思った瞬間にとっても新鮮な気持ちになった。
今まで『オヤジに何かを相談しようか』という発想を持った事が無かった。
十六年間オヤジはそこに居ない人だった。
居ない人に相談できないし思いもつかない。
会って二か月程度で、もうなじんでいる。
僕は案外ファザコンだったのか? それとも順応性が高いのか?
そういえば『オフクロに相談しよう』なんて思った事がないな……小学生時代はあったのかもしれないが、ここ数年はそういう発想にはなったことがない。
折角、自立しかけたのに……でも、オヤジに相談するって今の僕には新鮮な発想だ。
男同士の会話かな?
その時、店の入り口のカウベルが鳴った。
オヤジが来たのか? と思ったが入ってきたのは二十代位に見えるの女性だった。
その女性はカウンターまで来ると安藤さんに
「今日は藤崎さんは来られてませんか?」と聞いた。
藤崎って僕の苗字じゃないか。
安藤さんは僕の顔をチラッと見てから
「今日はまだ来てないなあ……一平……いや藤崎とお約束でも?」
とその人に聞いた。
「いえ。ここに来たら大抵は、いると聞いていたので……」
とその女性は答えた。
「それは夜ですねえ……。昼間はあまり来ないですよ。この頃は……」
「そうなんですか」
その女性は残念そうな表情を浮かべた。
「なんだったら電話してみましょうか?」
「いえ、結構です。でも折角なので、アイス珈琲を下さい」
気を取り直したように女性は注文をした。
「良いんですか?……それじゃあ、どこでもお好きな席にお座りください」
と安藤さんは今まで見た事のない笑顔で接客していた。
僕は安藤さんがこんなに丁寧に接客するのを初めて見た……というか、この店で常連以外の客を見た事がない。
入ってきた時は逆光ではっきり見えなかったが、とってもきれいな女性で安藤さんと話をしている時はちょっと見入ってしまった。
女性は店内を見回してから奥の席に座った……それは僕がオヤジと初めて会った時に座った席だった。
冴子が当たり前のようにシルバーに水とおしぼりを乗せて、奥のテーブルに座ったその女性に向かった。
「いらっしゃいませ」
静かにテーブルに水とおしぼりを置くと一礼して戻ってきた
それを宏美と僕は無言で目で追った。
日々、タカビーなお嬢様が予想もしなかった行為にでたので二人とも驚いていた。
開いた口が塞がらないというのはこの状況を言うのか……カウンターに戻ってきた冴子は僕らを上から目線で見下して「ふん!」と鼻を鳴らすと長い髪の毛をゴムで束ねた。
安藤さんはグラスに氷を入れそれにアイス珈琲を注ぐと、何の違和感もなく冴子の前にそれを置いた。
僕たち二人は再び、目で冴子を追った。
「お待たせしました」
コースターをテーブルにそっと置いて、その上にアイス珈琲の入ったグラスを置きシロップとフレッシュ、そしてストローを置いた。
動きに無駄がない。そして滑らかで自然だ。
「ありがとう」
その女性は微笑みながら冴子の顔を見て言った。
とても上品な笑顔だった。
「どうぞ、ごゆっくりしてください」
冴子はそう言って頭を下げた。
女性は軽く頷くと、ちょっと大きめのショルダーバックから雑誌を取り出して読み始めた。
戻ってきた冴子は再び僕らを見下してから、また「ふん!」と鼻をならせてまた僕の隣に座った。
「冴子(キャサリン)……お前、ここでバイトでもしてんのか?」
と僕は冴子に聞いた。
「そんな事せえへんわ……ってその名前で呼ぶな」
宏美も
「でもめっちゃ慣れとったたやん。きゃさりん」
と笑顔で聞いた。
「あんたまでキャサリンって言う?」
冴子は宏美を睨みつけて憤った。
「あ、ごめん。なんだか馴染んじゃった」
宏美は屈託のない笑顔で謝ったが、全然気にもかけていないようだった。
間違いなく宏美は天然だ。僕は確信した。
「ふん。たまにここで手伝うだけよ。ここは身内の店も同様だから、手が空いていたら手伝うわよ」
と冴子は憮然とした表情で応えた。
「え~全然、サマになっていたわ」
と宏美も信じられないような顔をして驚いていた。
「俺にも水頂戴! ウェイトレスさん」
と僕がツッコむと
「自分でお入れ! バカ亮平」
とひとことが返って来ただけだった。
やっぱり甘かった様だ。冴子(キャサリン)やっぱりタカビーでやな奴だ。
しかしあの女性の事がちょっと気にかかる。オヤジとどういう関係なんだろう?
オヤジにメールでもしようかな。
狭い店なのでその女性を話題にすると聞こえそうなのでその事には触れずに、自然と話は冴子(キャサリン)の信じられない行動についてになった。
その内に話が飛躍して、タカビーなお嬢様が注文を取りに来るお嬢様喫茶なんか流行るんじゃないかと宏美と僕が言うと冴子は一言
「ばっかじゃないの?」
と一瞬で僕達を見下した。
それでも負けずに
「オジサマ連中やオタクならメイド喫茶や執事喫茶の次に流行りそうな気がする……」
と更に畳みかけていたら安藤さんが
「それはお嬢様やないな。女王様喫茶やな。ちょっと志向が違う方向に向かっているような気がするなあ……おじさんには理解できるけど、高校生にはちょっと早いかな……」
と鞭でたたく真似をしながら話題に参戦してきた。
「じゃあ、お仕置き喫茶とか……」
「もうそれじゃあ、もうストレート過ぎるでしょうが……」
安藤さんが呆れたように笑った。
「あんた達、ばっかじゃないの?」
と正真正銘の本物のお嬢様は、僕たち下々の人間をゴキブリでも見るかのように見下して馬鹿にした。
自分がネタでいじられているのがお嬢様の琴線にいや逆鱗に触れたのだろう。
分かり易い奴だ。冴子(キャサリン)は……。
そんな時、扉のカウベルの音が店内に響いた。
入ってきたのはオヤジだった。
安藤さんが目くばせするとオヤジは無言で頷いた。
そして僕たち三人に笑いかけてから奥の席に向かった。
どうやら安藤さんがメールで知らせたようだ。
「あ、藤崎さん!」
その女性は驚いたように声を上げた。
「おお、やっぱり愛ちゃんかぁ」
とオヤジが叫んだ。どうやらオヤジとは案外親しい間柄の様だ。
「専務、お久しぶりです」
とその女性は立ち上がろうとしたが、オヤジは手で制して自分がその人の前に座った。
「その呼び方は止めてよ。もう専務でも何でもないし……それよりどうしたん?」
とオヤジは聞いた、
「近所まで来たついでに寄らせて貰いました。藤崎さんが『いつもここで昼寝している』っておっしゃてましたよね。それを思い出して来たんです」
愛ちゃんとオヤジに呼ばれた女性はとても明るい表情で話していた。
「ああ、そうなんや……近所って……ああ、お父さんのお店か?」
「そうです。父の店にちょっと用事があったので。ここまで登ってきました。だから折角なので寄らせて貰いました」
「そうなんやぁ……歩いてきたん?」
「はい。三宮から歩いて来ました」
「そうかぁ、この坂を上ってくるのはしんどかったやろう?なんせこの店は『峠の茶店』っていう名前やからなぁ……」
とオヤジがボケをかましていた。
「嘘ですね」
女性は微笑みながら間髪入れずに見破った。流石元部下。お約束の対応だ。
「はい。嘘こきました……」
オヤジも素直に認めていた。
「それにしても、いい運動になりました。『峠の茶店』って言いたくなるのも分かります」
愛ちゃんは笑いながら、アイス珈琲を飲んだ。
なんだか大人の女性って感じがとっても良い。
そんな女性と普通に話ができるオヤジがなんだか眩しい。
冴子がいつの間にか水とおしぼりを持って二人が座るテーブルに向かった。
「ご注文は?」
表情も変えずに冴子は聞いた。
「お、冴子か……そうやなぁ……珈琲頂戴」
「はい」
そう応えると冴子はさっきと同じように帰ってきた。
「素早いなあ……全然違和感ないわ」
と僕が感心して言うと
「ふん!……安藤さん、ホットです」
とそれには答えずオーダーを通していた。
「何なのかしら?あの女。一平のオジサンに馴れ馴れしいわ」
と安藤さんが2オクターブ程高い声で冴子に言った。どうやら冴子の心の声を代弁したらしい。
「そんなんじゃありません」
と冴子は押し殺した声で反論したが、僕と宏美は『分かり易い奴だ」と改めて実感した。
そう、笑いを抑えて肩を震わせて僕達二人はそれを実感した。
「あんた達まで何なん?」
冴子はこちらに振り向いて呆れたように言った。
「いや……何でもない……キャサリン」
もう僕の中では冴子よりキャサリンがスタンダードになってきている。
――そうかぁ……キャサリンちゃんは俺のオヤジが好きなんだぁ……中年が好みだなんてなかなか渋い趣味しているなあ……今まで噂一つ立たなかったのは、だからなのか……――
中学生時代はカップルでいる奴なんて少なかったけど、『誰が好きか?』なんて話はしていた。でも冴子が『同級生の誰々が好きだ』……という話は聞いたことがなかった。
――ふ~ん。そういう事かぁ――
と心の中で一人で合点がいっていったが、冴子と目が合った瞬間に
「そんなんじゃないからね」
と言われた。
――お前は超能力者か! なんで分かるんや?――
「はい、ホット上がったよ」
と安藤さんがカウンターにオヤジが注文した珈琲カップを置いた。
冴子は無言でそのカップをシルバーに乗せて奥のテーブルに向かった。
「お待たせしました」
そう言っ冴子は珈琲カップをテーブルに置いた。
「お、ありがとう冴ちゃん」
オヤジは冴子の顔を見上げて言った。
「いえ」
「この子な。俺の同級生の娘やねん。かわいい子やろ」
とオヤジは愛ちゃんに冴子を紹介した。
さっきまで無表情だった冴子はにこっと笑って頷いた。
「あの頷きは『かわいい子』に対してやな。『同級生の娘』やないな」
と安藤さんが呟いた。
僕と宏美が激しく同意したのは言うまでもない。
「この人な、俺の元部下やってん。良く仕事してくれていたんや」
とオヤジは今度は冴子に愛ちゃんを紹介した。
「はい。藤崎さんに毎日しごかれてました」
とその愛ちゃんは笑いながら応えた。
「そんなにしごいてないぞぉ」
とオヤジは慌てて否定したが
「藤崎さん仕事中は怖かったですよ」
とひとことで返されていた。
「そうかぁ?」
オヤジは納得していない表情で言ったが、身に覚えはあるようだった。
「特に怒ったら本当に怖かったですよ」
と愛ちゃんは真顔で言った。
「それ、なんとなく分かります」
と冴子が口を挟んだ。
「でしょう? ほら藤崎さん、この子もそうだって言ってますよ」
愛ちゃんは笑いながら勝ち誇ったように言った。
「なんか俺、不利やな」
オヤジは笑っていた。明らかに楽しそうだった。
そして冴子も笑いながら帰ってきた。
「良かったね……単なる元部下で」
安藤さんが余計な一言を投げかける。
「別にそんな事、気にしてませんから」
と言いながら冴子の表情は明るかった。
う~ん。つくづく君は分かり易いぞぉ……本当に冴子って素直だなぁ……と僕は心の中で感心していた。
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