2−2

 しばらく相談した上で、二人は三階の雑貨街を訪れることにした。

 成城側の低層階には高級ブティックが並んでいたが、そこは『おばさんっぽい』という理由で鈴香が却下した。

 その点、若い子が集まる雑貨街の方がおしゃれな服が多いはず、というのが鈴香のロジックだった。

 マレスは完全には納得していない様子だったが、とりあえず鈴香についていくと決めた様だ。


「じゃあ、行きましょ」


 元気よく、だが上品に歩き出す。

(高校の頃とはずいぶん違うな)

 滑るように歩いていくマレスの背中を見ながら、鈴香は高校の頃のマレスと今のマレスを重ねることに苦労していた。

(なんか、大人っぽくなっちゃった。これならディオールってのもわかるかも)

 学校にいた頃のマレスは、それでも年相応の女の子だった。

 今、目の前を歩いていくマレスとは大違いだ。目の前にいる少女は、どちらかと言うと女性と言っても良いような大人っぽさを醸し出していた。

(どうだろう? 喜ぶかなー、あのお店)


 鈴香が選んだのは、鈴香も好きなアパレルブランドのアンテナショップだった。元々は10代の女の子向けブランドだったが、最近では大人向けのクラシックなスタイルの服も多く発表している。小物類も充実しているので、ひょっとしたら鈴香が欲しいものも見つかるかも知れない。


「ここなんてどう?」

 お気に入りのブランドショップの前で、鈴香はマレスに尋ねた。


「へえ」

 両手を後ろ手に組んだマレスが感心したように明るい店内を覗き込む。

 オープンスペースになっている店内の壁面はパステルカラーで内装され、壁面にはティアラをあしらったブランドロゴマークが大きく描かれていた。そこここに小型のスポットライトが備えられ、店内を明るく照らしている。

「知らなかった、こんなブランドがあるんだね」

「ここだったら、マレスちゃんが好きそうな服もあると思うよ。これとかどう?」

 鈴香はかたわらのラックから白いフレアスカートを取り上げた。そのままマレスのスカートに重ねてみる。

「うん、似合う似合う」

「そう?」

 フレアスカートのすそは青く縁どられており、それが全体の雰囲気を引き締めていた。

「見てみる? マレスちゃん、ちょっとそこで回って?」

 鈴香はスマートフォンを取り出すと、マレスの前にかざして見せた。

「こお?」

 一瞬戸惑った顔を見せたが、それでもマレスが鈴香の前できれいなピルエットをして見せる。

「早いよ、待って、まだカメラになってない……はい、いいよ」

「じゃあ」

 何がなんだかわからないという表情のまま、スマートフォンを構えた鈴香の前でマレスがもう一回くるりと回る。

「おっけー」

 鈴香はスカートの値札を手に取ると、今度はそこにあったQRコードをカメラに読み込んだ。

「何をしているの?」

 不思議そうにマレスが鈴香のスマートフォンを覗き込む。

「こら、人のスマホ見ちゃダメじゃん」

「あ、ごめん」

「今見せるから待って……はい、いいよ」

 鈴香がマレスに見せたスマートフォンの画面の上では、目の前の商品を身にまとったマレスがゆっくりと回転していた。

「えーっ! すごい」

「普通だよ。シャネルでもやってるでしょ?」

「やってないよ。シャネルとかだとね、お店の人がお部屋に大きな鏡を持ってきてくれるの」


 それは富豪限定サービスだって。


 鈴香はその言葉を飲み込むと、

「角度も変えられるよ。画面いじってみて?」

「こお?」

 マレスが鈴香が持つスマートフォンの画面の上で指を滑らせる。

 画面の上に結像したマレスの立体画像が指の動きに合わせて上下左右に角度を変える。

「すごーい。初めて見た‼」

 興奮したマレスが顔の前で両手を合わせる。白い頬が紅潮している。

「そう? 普通だよ」

「面白ーい」

 マレスが興奮して自分の画像をぐるぐる回す。

「マレスちゃん、そうじゃなくって、スカート、スカート」

「あ、そっか。……うん、このスカート好きかも」

「でしょ? じゃあ、上着も探してみよ? ここでコーデすれば全部スマホで見られるよ」

 二人できゃあきゃあ騒ぎながら、今度はジャケットの売り場へと向かう。


 マレスの左手にはしっかりとさっきのスカートが握られていた。一点ものではないのでそこにおいておけばいいのだが、どうやらそれでは気が済まないらしい。

 二人でレールに並んだジャケットのQRコードを次々と読み込んでいく。

「ね、鈴香ちゃん、この組み合わせはどうかな?」

 マレスが奥の方から紺色のショートジャケットを掘り出して自分の前にかざして見せる。

 ジャケットの色がスカートのすその色とマッチしている。なかなかいい取り合わせだ。

「うん、いいかも。見てみる?」

 またも鈴香がQRコードをカメラに読み込む。

 そのとき……。


「あれ?」

 ふいに笑顔だったマレスの表情が真顔に戻った。

 横目で吹き抜けの方を窺っている。

「今の、銃声?」

「ん? なに?」

 マレスの急な変化に鈴香はついていけない。

 なにか気に障ることをしちゃった? わたし。


「鈴香ちゃん、ちょっと持ってて」

 マレスは腕にかけていた服を鈴香に渡すと、右手をトートバックに差し込みながら店から飛び出した。

「え? あ、待って、マレスちゃん」

「ダメ、鈴香ちゃんはそこに居て」

 後を追おうとする鈴香を厳しい声でマレスが制止する。

「わたしよりも前に出ちゃダメ」

「あ……、うん。わかった」

 とりあえず服の山を腕の中に抱え込む。

 周囲はいつもの風景だ。いつものように騒がしい。

 談笑する男女、服を胸に当てている女子高生、休憩用のソファの上で居眠りしている家族連れ。

 そんな中でマレスの姿だけが異様に映る。

 マレスが低い姿勢で吹き抜けの手すりへと近づいていく。

 鈴香はそろそろとマレスに近づこうとした。

 だが、前を見たままマレスが後ろ手で左手のひらを鈴香に見せる。


(あ! あれってハンドサイン?)


 ハンドサインは自衛隊に入ってすぐに鈴香も教わった。

 広げた手のひら。これはストップのサインだ。

 両手にいっぱいの服を抱えた鈴香は慌てて立ち止まった。

 なごやかな雰囲気の中、戦場の兵士のように低い姿勢で移動するマレスの姿はひどく浮いていた。

 だが、マレスには周囲の好奇の目は気にならないらしい。

 腰を屈めた低い姿勢のまま、マレスは手すりに近づくと、ゆっくりとした動作で一階のフロアに目をやった。

 バッグから出したコンパクトを頭上にかざし、鏡で眼下を探っている。

 やがて得心が行ったのか、マレスは後ろ手のまま鈴香に手招きした。

「手すりよりも上に頭を出さないでね。そこのガラスから下を見て」

 前を見たまま、マレスが鈴香に言う。

「う、うん」

 言われたとおり、低い姿勢で手すりの下のガラスから一階の吹き抜けを覗き込む。


 そこに見えたのは、粉砕された頭部から大量の血液を流す中年の男性の背中だった。

「‼」

 鈴香が凝固したのとほとんど同じタイミングで、パニックが一階のフロアをさざ波のように通り抜けていく。

 ふいに「キャーッ」という叫び声がどこからか聞こえてきた。

 パンッという乾いた音。

 叫び声が唐突に静寂へと変わる。

 再び叫び声。だが、その声も乾いた音に次々かき消されていく。


『ご来館の皆様にお願い申し上げます』

 ふいに館内放送が始まった。

『当、キャベッジモールは占拠されました。皆さま、落ち着いて行動してください』

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