2−3
「せ、占拠されたって、どういうこと?」
混乱した鈴香はマレスに縋りついた。
「つまり、ここから出られなくなっちゃったってこと。わたしたち、閉じ込められちゃったの」
妙に落ち着いた声でマレスが鈴香に説明する。
「鈴香ちゃん、わたしと一緒に居てね。うろうろすると危ないから。……でも、どこから撃ってるんだろう。射手が見えない」
低い姿勢で一階のフロアを覗き込んだまま、先ほどまでとは打って変わった冷たく硬い声でマレスが呟く。
パニックは徐々に上の階層へも伝播しつつあった。
『え、なに?』
館内放送を聞いた周囲の客が立ち竦む。肩を揺さぶられ、午睡を決め込んでいた男性が目を覚ます。
『皆様、我々としても、事を荒立たせたくはありません』
再び館内放送。
『お客様におかれましては、引き続きショッピングを続けて頂いて結構です。また、従業員の方も引き続き業務を続けて頂きますよう、切にお願いいたします。ただし、不審な行動、あるいは逃亡を企てた場合、我々は容赦なくお客様、あるいは従業員の方々を射殺致します』
『えー、どういう事?』
周囲から混乱した叫び声が聞こえる。
『当、キャベッジモール内に滞在頂く限りは皆様の安全を保障致します。ただし、くれぐれも外にはおいでになりませんよう。また、これ以降スマートフォン等の使用も禁止させて頂きます。外部とのご連絡はお控え下さい』
慌てて、鈴香は手にしていたスマートフォンをお尻のポケットに押し込んだ。
「鈴香ちゃん、行くよ」
マレスは、鈴香の手を取ると再びブランドショップの店内へと戻った。
自然な動作で鈴香が抱えていた服の山の半分を左腕にかけ、作った笑顔で服を眺め始める。
訳が分からないまま、鈴香はどんどん奥に進んでいくマレスの後を追いかけた。
「ね、鈴香ちゃん、このモールの構造って知ってる?」
違う服を探すふりをしながら、マレスが鈴香に話しかける。
「えー、知らないよ」
「シッ。わたしを見ないで。一緒に服を探してるふりをして?」
泣きそうな鈴香をマレスが叱る。
「う、うん」
仕方なく、鈴香もマレスの隣で丸いハンガーラックにかけられたカットソーを眺め始めた。
「ここのバックオフィスの場所はどう?」
ハンガーをガチャガチャと鳴らしながらマレスが鈴香に尋ねる。
「知らない。だって、わたしも初めてきたんだもん」
「そっか……」
少し考え込む。
と、マレスは左手にかけていた服を傍らの椅子の上に積み上げると明るい声で鈴香に言った。
「ねえ、鈴香ちゃん、トイレどこだか知ってる?」
「ト、トイレ?」
面食らってマレスの顔を見る。
マレスは少しいたずらっぽい表情を浮かべると、左目でウィンクした。
「一緒にいこ?」
「う、うん……」
マレスが左手で鈴香の手を取り、まだ立ち竦んでいる店員に近づいていく。
「あの、すみません、おトイレってどこですか?」
右手を口に添え、小声で女性店員に尋ねる。
「あ、トイレならお店を出て左に曲がっていただいて、突き当りを右に行ったところにあります」
蒼い顔をした店員がそれでも気丈にマレスに答える。
「ありがとうございます……行こ、鈴香ちゃん」
「トイレってね、水回りだからバックオフィスの近くに配置されることが多いの。バックオフィスは外につながってるはずだから、そこから出られるはず」
足早に通路を歩きながら、マレスは背後の鈴香に説明した。
「バックオフィスは普通一階にあるから、降りないとね」
マレスはトイレの横にある非常階段の分厚いドアを開けると中に入った。
「さ、降りましょ?」
手招きして鈴香を促す。
非常階段は不愛想な作りのただの階段だった。
クリーム色に塗られた壁に覆われた、緑色の階段を降りながら背後の鈴香にマレスが話しかける。
「でも、外に出ちゃうと危ないかも知れないから、一度退避ルートを確認したら戻りましょ? 大丈夫、なんとかなるから」
「な、なんとかなるって?」
どことなく不吉な予感がして、思わず聞き返す。
「二人でこのモールを占拠している連中を排除するの。鈴香ちゃんも手伝って?」
「は、排除? 二人で?」
凶暴なマレスの言葉に鈴香は凝固した。
手伝ってって、どゆこと?
ドロドロと鈴香の表情に
ごめんなさい、パパ、雨さん。鈴香はここで死ぬかも知れません。
クリーム色のドアを開け、二人は一階に降りた。
造作は三階と変わりがない。
不愛想なクリーム色の壁。商業施設とは思えない場所だ。
マレスは鈴香の先に立つと、慎重に周囲を探り始めた。
死んだ目をした鈴香の前で、歩きながらマレスがスマートフォンを取り出す。
官給のオリーブドラブ色のかわいくない奴だ。下士官にならないと支給されない装備品だが、特にうらやましいと思ったことはない。
マレスは角を曲がりながらスマートフォンを操作し始めた。
「ね、ちょっと、マレスちゃん、スマホは使うなって」
慌てて鈴香はマレスを止めようとする。
「大丈夫、あんなのブラフよ。スマホの電波飛ばしてるところなんて特定できないもの。万が一誰か来ても殺すだけだし」
構わず、マレスはスマートフォンを耳に当てた。
「緊急。N3900713より支援要請。世田谷区のキャベッジモールにて民間施設占拠事案発生。現在座標はGPSを参照」
定型文になっているキーワードを、市ヶ谷地区のAI化された部隊管制に流し込む。
『N3900713了解。事案受領、当該部隊に伝達します』
マレスが耳に当てたスマートフォンからAIの回答がかすかに聞こえてくる。
「んー、そうじゃなくて。N3900713、π13ユニットへの通話を要請」
『要請受諾。接続します……』
「あ、クレア姉さま?」
目的の相手に繋がったのか、マレスの表情が明るくなる。
「……はい、そうです。なんだか面倒なことになっちゃった。支援要請します」
π13ユニット? ああそうか、
初めて遠目にπ13ユニットを見たとき、人とまったく見わけがつかないのに中身は電子戦兵器だと聞かされて鈴香は腰が抜けるほどびっくりした。透き通るような白い肌、夜の闇のような青い瞳、長い銀髪。事前に話を聞かされていなかったら、モデルさんか何かと勘違いするところだ。
人間そっくりなのに中身は人間ではないと聞いて、鈴香はクレアの事をなんとなく薄気味悪く思っていた。だが、どうやらマレスは違うらしい。
大体、あの様子はどうなんだろう。こんな状況なのに楽しそうに話している。
そうだ、今は生きるか死ぬかの状況なのだ。それなのになんでマレスちゃんはこんなに普通にしているのかしら。
ひょっとすると、少しアタマのネジが緩んでるのかも知れない。
「……はい、そうなんです……え、本当に?」
と、マレスはスマホに手を当てると鈴香に言った。
「もう本部も状況を把握しているって。クレア姉さまと和彦さんもこれからこっちに向かうみたい」
ああ、カードが揃ってしまった。
『あの二人がいるところは絶対に危ないぞ』
頭の中で、雨さんの言葉がリフレインする。
雨さん、ごめんなさい。二人じゃなくて、一人でも十分危ないみたい。
鈴香はダメかも知れません。
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