第5話 死のう

 もう、解説に意味なんてない。全てはもう、終わったこと。だけれど、あえて、あえて物語の終わりを演出しようとするのなら、こんな話しが有った。


「だから、嫌がらせだよ」


 吐き捨てるように、いや実際、地面に這いつくばる僕に唾を吐き捨てながら、クラスメイトの彼は言った。狂ったように彼を殴りつけ、あっけなく返り討ちにあった僕を見下して。


 一週間前。僕が『システム』に反対してることを、クラスメイトに告げた日。彼女は、クラスメイトに『消去』宣告をされた。そして、その数日後に僕に『消去』宣告をした。僕を消去しようとした彼女が死んだことによって、僕は『システム』の『消去』から解放された。


 僕が新たに知った事実はそれだけで、他にはなにもわからなかった。彼女がなにを思ってそんなことをしたのかなんて、なにも。


 嫌がらせ。僕はその意味を、真剣に考えた。

 いつ。一週間前、僕が『システム』に逆らったとき。

 どこで。この教室で。

 誰が。クラスメイトが。

 なにを。僕を。

 なぜ。僕の存在が鬱陶しい。

 どうして。居なくなったとき、僕が一番傷つきそうな相手だったから。

 どうやって。罪悪感なんて感じようもない、免罪符の殺人で。


 それが、クラスメイトから聞き出した彼女が『消去』された理由。嫌がらせ。僕への、異端者への嫌がらせ。


 彼女になにか非があったのなら。彼女が人に恨まれる理由があったのなら、僕はどれほど、どれほど楽になれたろう。僕に向けられた、くだらない排斥が、そのまま僕にだけ向けられていれば、どれだけ。


「……もう、むりだ」


 クラスメイトが去り、他の人たちも去り、朱がさしてきた校舎裏。ボロボロの体を横たえて、そうつぶやいた。僕にはもう、無理だ。もうこれ以上、今のままの自分では居られない。このまま生きていれば、僕は、


「死のう」


***


 思い返してみると、僕は本当に愚か男だった。恥の多い人生なんてものじゃない。僕の生き様その全てが、恥だ。


 自分は、他の人より賢いと思っていた。幼い頃から、観念的に物事をとらえ、斜に構えていた。真理への探究心や、ことの真偽を確かめようとする姿勢。とにかく、いっつも何かを考えていた。そうするのが、一番格好いい生き方のような気がして。そうすると、馬鹿な同級生と比べて優越感に浸れて。


 大人になっていくと、僕はますます思考を続けるようになった。それは多分、こいつは馬鹿だ、と見下す対象が増えたからだ。子供の頃に考えていたほど、大人は賢い生き物じゃないと知ったから。僕は一人だけ賢ぶって、それに知識欲という名目を付けて、ひたすら馬鹿にした。


 そんな僕を、真に理解してくれる人は誰もいなかった。それはそうだ、僕は周りの人間を見下していた。温和な振りをして人畜無害な外面をして、その内は子供らしくなにも考えない彼らを見下していたんだ。誰に理解される訳もない。そして僕も、理解されようとしなかった。理解されるのを、怖がった。


 『システム』は、そんな僕には格好の侮蔑の対象だっただろう。あれほど分かりやすく、僕の偽善の向けどころになるものはない。現代社会における、悪徳の象徴。殺人に免罪符を送るという、唾棄すべき仕組み。僕は思わず食いついた。自分の哲学を押し付けるための、玩具として。


 こうして、今までの自分を俯瞰してみて、初めて気づいた。愚かなのは僕の方だった。賢ぶって、マイノリティがすばらしいと勘違いして、大衆は愚か者の集団と見下して、自分が誰かに信じてもらえる人間だと誤解した。裏切るとか、裏切られるとかの段階じゃない。誰のことも見下す僕が、だれかに信じてもらえると思うなんて、とんでもない傲慢だった。友人は僕のことを裏切ったんじゃない。友達でもない、信頼関係のない人間を、裏切るなんてことはできないのだから。


「……無恥で、無知なのは、僕だったんだね」


 友人ーーいや、友人らしき人は言った。『普通に生きてりゃ、『システム』の面倒になることなんてねぇよ』と。その通りだった。僕が『システム』と相容れないのは、普通じゃないからだった。

 物事を知ろうとしないのは、知れば異端になると知っていたから。

 異端になると、誰かを傷つけることになると知っていたから。

 この世界で誰かを傷つけることとは、『消去』という『綺麗な死』を迎えることと同義であると知っていたから。

 知ってたからこそ、知ろうとしなかった。


「間違ってたのは、僕だったんだ」


 彼女の、僕に間違った道を示してくれた、彼女のことを考える。彼女は、何のために僕を『消去』しようとしたのだろう。異端の僕が憎かったから? それとも。僕に、『システム』に服従してほしかったから? 自分が死ぬことは知ってたから、誤って僕を殺す心配なんてなかったから。ただ僕に、『消去』への恐怖を感じてほしかったから? 僕に、生きててほしかったから?


 『君って、本当に格好いいね』。彼女は、どんな気持ちでその言葉を口にしたのかはわからないが、多分、褒め言葉じゃないんだろうな。頑固な僕への、最大の侮蔑。


 そうだ、僕は格好よく生きたかった。漫画やアニメのヒーローみたく、正義に生きたかった。誠実でありたかった。

 馬鹿な話しだ。十七年間も生きて、まだそんな戯れ言を吐き出せるなんて。こんな世界に、誠実さなんてものがある訳ないこと、みんなはとっくに気づいていたのに。


「もう、いいや」

 

 うだうだうだうだと、何を言ったてもう変わらない。さっさと終わらせよう。世界に迷惑だ。


 暗い、闇より暗い小さな部屋。銀色の光を放つそれを、胸にあてがう。ずぶりと、肋骨の隙間を縫う死への誘い。失格者。僕はこの世界の、失格者だ。『システム』にはじかれた、世界の迷惑者。『普通に生きてりゃ、『システム』の面倒になることなんてねぇよ』、か。もしかしたら、今まで『消去』されてきた人たちも、僕と同じ失格者なのかもしれない。


 銀色はさらに突き進み、やがて、僕の腐った心に。

 痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタいいたいいたい。


「いきて、いてえぇよォぉ……!」


 いきていたかった。死にたくなんて、なかったよ。

 


 

 

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