第3話 クラスメイト

「おお、おはよう」

「……おは、よう」


 おぼつかない足取りで、学校まで向かった。教室は昨日と何ら変わらない、いつも通りの風景。誰かが笑って、他の人も笑って、笑って、嗤って、わらって、ワラワラと。みんなが笑っていた。誰一人、その環から外れようとせず。


 みんな。その中には、彼女の姿も。


「おい、どうしたんだよ」

「なんでもない……。それより、ちょっと話しが有る」


 僕は友人の手を取り、人気のない踊り場まで連れ出した。なにがなんだか分からないと言った顔だったが、知ったものか。僕は、どうしても友人に話さなきゃならないことが有る。

 乱暴に引き連れた僕の態度が気に喰わないのか、友人は唇を突き出して不審の目をまなざしを向けてくる。その、まるで僕の方にこそ非が有るかのような態度は、僕の中の理性を激しく刺激した。


「なあ。お前、僕が『システム』に反対してるって、何人に話した?」

「あー……あれな。いや、なんつーか……」

「何人に話したかって聞いてんだよ!」


 思わず襟につかみかかる。苦しげにうめく友人の顔を間近に見てなお、僕の逆上は止められない。


「ぐふ……いってぇな。二三人だよ、二三人」

「口頭で言ったのか?」

「いや、SNS。タイムラインでお前の話しが出て、そこでちょっと話しただけだよ」


 友人の体を壁際に押しやり、携帯端末を取り出す。SNSのアプリケーションを起動して、友人のタイムラインを片っ端から調べ上げる。


 あった。友人が、僕の知らない人たちと何やら話している。その中に、僕のことが書かれた記事があった。『あいつ、システムに反対してるんだとか』『マジで? システム反対派とか、何考えてんの?』『あいつバカだから笑』『俺前からオタクっぽいって思ってたわ』『間違いない』『あるな』『あるわ』 など、くだらない戯れ言。その誹謗中傷を投稿した中には、もちろん友人の名前も。


 友人の方を見据えてみる。僕に乱暴されたことに苛立って、眉間にしわを寄せているが、それ以外は特に変化はなかった。まるで、自分はお天道様に恥じることなど一つもない者のように。


 なんなんだ、こいつは。自分の友人に陰口を叩いていたことを、その友人に知られたっていうのに、なんでそんな平気そうな顔をしてられるんだ。居心地が悪いとか、心持ち悪いとか、顔向けできないとか、そんな感情はないのか。僕たちは友達なんじゃないのかよ。なんで、なんでそんな平気に友達を裏切れるんだ。君は、


「……もういいよ。乱暴してごめん」

「……ま、気にすんなよ」


 なんで僕が悪いことをしたかのようになってるんだ。そんな恨み言を飲み込み、僕は友人を置いて教室に戻った。うんざりだ。なにがなんだか、誰が何をしたいのか分からない。


 もっとも、今までも、分かっていたつもりであっただけなのかもしれないのだが。


***


「……あの、ちょっといいかな」

「……なに?」


 放課後、僕は勇気を振り絞り、彼女に話しかけた。彼女は、かつて夕暮れ時の公園で見せてくれた柔らかな笑顔からは想像もできない、床に散らばる誇りでも見下ろすような冷たい目線で僕を見た。あまりのギャップに震え上り、なんでもないですと言いたくなるが、両の手を握りしめて、なけなしの根性を振り絞る。


「あのさ、『システム』のことなんだけど……」

「ああ、それのこと……」

「や、やっぱり、間違いなんだよね? 僕を『消去』しようなんて。押し間違いとか、そんな類いなんだよね?」


 救いを求める信者のように、彼女に寄りかかって上目遣いで見つめる。そうだ、彼女が僕を『消去』しようとする訳がない。利害とか、快楽を得るためだとか、好き嫌いとか、合法的な方法だとか、そんなものは今回は関係ない。彼女は他の人たちとは違う、僕と同じ『システム』懐疑派の人間だ。僕と同じ孤独、僕と同じ疎外、そして僕と同じ勇気を、お互いからもらったんだ。そんな彼女が、『システム』を利用し、しかもその対象に僕を選ぶなんてあり得ない。あり得てはならない。


 彼女は心底迷惑そうに僕を振り払い、


「そんな訳ないじゃん」


 と、一言言い放った。その意味を、そこに込められた感情を、そこに至るまでの揺らぎを、いっさい感じさせない無機質な声で。


 そんな訳ないじゃん。それは、イッタイドウユウ意味ナンダロウ。カノジョが、ボクをショウキョスルコトに対してのコトバ? ボクをウラギルなんてこと、アリエナイってコト? そうナンだよネ? カノジョがボクをウラギルナンて、そんな訳ないよね。


 固まったままのボクを一瞥し、カノジョは教室を去っていった。気づけば、そんな僕らの様子を、クラスの連中が気持ちの悪い笑みを浮かべて眺めていた。また、みんな笑ってる。笑って、嗤って、ワラワラって。その中には、友人ーーみたいな奴も。


 羞恥心か、自尊心か、わからないけれど。その視線に耐えられず、僕も教室を後にした。やめてくれ。これ以上、僕に理解できないことをするのはやめてくれ。これ以上、これ以上、僕を置いていかないでくれ。そんな目で見られたら、僕はーー


***


 何もなかったかのように家に帰り、晩ご飯を食べ、風呂に入って寝た。起きて、今自分が確かに持っているものを確かめた。友人も、思慕も、なにもかも失ったような気がしたから。じゃあ僕に残されたものは? 六日限りの寿命?


「……違う」


 違う。僕には、今の僕には勇気がある。あの日、彼女の存在が与えてくれた勇気。それは、とても歪なものかもしれない。嘘で塗固められたものなのかもしれないし、実は真実からのものなのかも。どちらだっていい、どうだっていい。確かに感じたんだ、自分は一人じゃなっていう感覚を。自分の存在を肯定しくれるものの暖かさを、ぬくもりを。この際、嘘でも構わない。僕は、僕が感じたままに生きて死にたい。


「……そうだ。僕は間違ってない」


 拳を握りしめて、あの日と同じことを考える。おかしいのは『システム』の方だ。『システム』と、それの手のひらの上で踊らされている他の人たちの方なんだ。恥知らずの低能どもめ。流されるだけの、お前たちと僕は違う。


 裏切られるだけ裏切られた。傷つくだけ傷ついた。それに、あと六日で死ぬらしい。なら、もう何かに惑わされて生きていく必要もないだろう。


 覚悟を決めた。自分の思いを、貫き通す覚悟を。『システム』に操られるだけの人形にはならない。『システム』なんかに屈しない。僕一人じゃあ何もできないかもしれない、なら、せめて一矢報いたい。そのためなら、。僕のこの思いが、いつか誰かに届くと信じて。


 これは、僕のささやかな抵抗だ。なにもかも失った僕に、この世への未練なんて大してない。やるだけやって、せめて華々しく終わらせてやる。




 ––––今でも思う。確かに、僕の思いは間違ってないんじゃないかって。今となっては、それは吐き気をもよおす悍ましい傲慢にも聞こえるが、それでも間違ってないと、思える。間違ってたのは、僕の存在だ。


 


 


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