第2話 勇気

「お前、『システム』に反対してるってマジ?」


 数日後の放課後。今まで碌に話したことのないクラスメイトから、突然こんなことを話しかけられた。朝からクラスメイトの視線が、何故だかきつかったのはこのためか。彼女は、僕が『システム』に良くない感情を抱いているという噂を聞いたと言っていた。ならば、他の生徒に知られていてもおかしくはないだろう。

 以前の、より具体的に言うなら、数日前までの僕なら、そんな訳がないだろう、と情けなく嘘をついていただろう。だが今日の僕は違う。


「……そうだけど。別にいいんじゃないかな、ちょっと良くないなって思っても」


 彼女と話し合って気づいた。『システム』に反対してるのは僕だけじゃないって認識が、どれほど救いになるかを。彼女だけじゃない、僕もそうだった。彼女の存在が、僕に見たことのない勇気をくれた。今の僕は、違う。友人にしか胸の内を明かせない、臆病者なんかじゃない。


 いい気になって、話しかけてきたクラスメイトの表情を伺う。その瞬間を、僕は一生忘れないだろう。明るい笑顔が特徴的だったそのクラスメイトの顔は、彫刻のように冷たく凝固していた。機械なんて生温い、生き物の暖かみを感じさせない冷徹な眼。それが僕をじぃっと見つめているのに気づき、背筋が凍る思いがした。


 永劫に思える、彼と僕との見つめ合いは、その実十秒にも満たなかった。彼は、そっかと一言漏らして、彼の姿を見守る友達らしき人たちの下に向かった。緊張が解け、浅いため息を漏らす。


 なんだ、大したことないじゃないか。別に喧嘩になる訳でもないし、大声もあげられなかった。僕が思っていたより、『システム』反対派というのは迫害の対象になる訳じゃないらしい。よきかなよきかな。


 必死で強がり、止まらない嫌な心臓の鼓動を落ち着ける。落ち着け、大丈夫だ。なんの問題もなかった。悪いことなんて、起こりやしない。理性では収まらない鼓動をなだめ続ける。


 この時の僕は未だ何も知らなかった。いや、知ろうとし過ぎていたのかもしれない。どちらにせよ、くだらない戯れ言だ。全ては、もう手遅れだった。


***


 嫌な予感がしていた。食が進まない、体が何となくだるい、寝付きが悪い。変な予兆が有った。今思うに、これらの症状は、これから起こることの衝撃に、僕が参ってしまわないように、耐性をつけてくれたのかもしれない。


 朝起きて、朝食をいただき、学校に向かう準備をする。夜のうち、充電していた携帯端末を取り出し、何の気なしに通知を見てみる。毎日の日課のようなもので、深夜に届いた連絡がないかを調べるのだ。大抵の場合、友人通しが馬鹿な会話を繰り広げていたり、SNSの連絡しかないのだが。


 だからすぐには気づかなかった。『余命 一週間』と映し出された液晶画面に。


 瞬間、思考が凍る。固まるだけでなく、冷静に、クールに物事を考え込む。二度見して、三度見しても消えない画面。知らない宛先からのメール。詳細が載せられた本文。僕の名前、誰かの名前、感情を感じさせない活字の雨。


 『消去』。『消去』消去 消去 消去 しょう去 消きょ しょうきょ ショウキョ delete ––––そして、


 death


「……はは」


 額に手のひらを押し付け、渇いた嗤い声を絞り出す。なんだこれは、馬鹿げている。僕が、この僕が『消去』の対象? 


 今までの人生、人の恨みを買うような真似をしてきたなんてことは、断じてない。誰であろうと誠実に、物事の心理を正しく見極める、賢いとはいかなくとも、分別のある人生を送ってきたという自負はある。人の迷惑になるようなことはしたことがないし、誰かを傷つけることをよしとしたこともない。そんな僕が、なんで……?


 メールの詳細欄を流し読みし、ある名前を見つける。それは、僕が所属するクラスの生徒のもので、前々から面識はある人の名だった。休み時間に会話することも有り、友人とまではいかなくても知り合いの域には入っている人物。


 その人物が、使


 強い嘔吐感に襲われる。なんとか口元を押さえつけるが、酸っぱい舌ともれだしそうな吐瀉物の不快感に、あえなく手元を決壊する。床には今日の朝ご飯が散らばり、部屋は汚臭で充満していく。それでも吐き続ける。止まらない、おぞましさ。


 殺される、僕は殺される。僕を殺すその人が、赤の他人であればどれだけ救われたか。見知らぬ人であればどれだけ楽だったか。つい昨日、仲良く期末テストについて語ったあの人でなければ、どれほど今僕は仕合せであったか。僕を殺そうとするあの人を、僕がどんな感情を抱いていなければどれほど嬉しいだろうか。


 なんてことはない。僕に『消去』を申し付けてきたのは。僕に消えろと言ってきたのは。僕に『自分の人生を台無しにしてまで殺したくはないけど、鬱陶しいから死んで』と宣言してきたのは。


 彼女だった。


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