一人しか殺せない
夜乃偽物
第1話 『システム』
「だからさぁ。やめとけって、そういうの」
「そういうの、とは?」
帰りのバスを待つ少しの間、友人との談笑。もっとも、笑えるかどうかは人に寄るが。
「だから、『システム』に文句言うことだよ。お前だってわかってんだろ? 今の時代には必要だよ」
「……ま、そう考えても可笑しくはないかもね」
『システム』。五十年前、いっこうに上昇しない景気と、近隣の国々との国際関係の悪化に寄って、将来への不安とぶつけようのない怒りがこの国を蹂躙した時代が有った。憲法や法律に縛られた民衆は、法が裁いてくれない悪や、法の抜け道をくぐる人々にうんざりし、この『システム』を作り出してしまった。生涯のうち、人間を一人だけ殺しても良い、という法治国家とは思えない法案。まあ、度重なる政治不安や劣悪な外交を繰り返していたあの時代の国に、まともな法治がなされていたかどうかは甚だ疑問だが。
「そう悪く考えんなよ。別に、指定されたらすぐに消去される訳じゃねぇし。要は、喧嘩したときに仲直りしやすくするための手段みたいなもんさ。普通に生きてりゃ、『システム』の面倒になることなんてねぇよ」
『システム』によって許される殺人は、殺人対象を携帯端末で指定して一週間の間、時間をおかれる。その期間中、殺人対象と殺人指定者は自由に話し合いができ、もしその間に関係が円満になれば、後から指定の取り消しも可能だ。現在の政府は、『システム』のことを『より効率よくトラブルを解決するための先進的な法案』と銘打っている。
「この国は変わったよ、『システム』のおかげで。自分の死が手元に存在するって言う認識が、ききかんりのうりょく……だっけか? それを奮い立たせたんだよ。みんながみんな、逃げ腰じゃいられなくなったんだ。それって良いことじゃねぇのか?」
「うん……でも、それは一面的な考えで……」
確かに、『システム』が導入されてから、この国の住人は人が変わったようになった。『誰の怒りも買わないように生きなければならない』という考え方が浸透し、迷惑行為や犯罪件数は激減し、先進国で一番治安が良い国四十八年連続一位、『世界一クリーンな国』として国際社会にも認められるようになった。しかし……。
友人は、僕の煮え切らない態度に怪訝そうな顔を見せ、首をひねった。僕が何を考えているかを考えている、というより、僕が何故『システム』に懐疑的な考えを持ち続けるのかが、真剣に疑問、といった感じだ。僕も真剣に疑問だ。平和主義の国に、こんな法案がまかり通り、なおかつ五十年の間国民から支持を得てもはや日常化している、この状況に。
友人や、周囲の人間は『システム』をさも正当な仕組みであると考えているようだが、僕にはそれが少し理解できない。なんというか、何かがおかしい気がするのだ。簡単に言うなら、正しくない、気がするのだ。道徳的な観点や、正義に反するような気がする。だけれど、僕の周囲の大人たちは、そんなこと一言も漏らさない。みんながみんな、『システム』をごく自然の社会の流れとして考え、もはや『システム』に賛成か反対かなど、考える人などごく少数だ。『システム』があってこその人生、『システム』があってこその現代社会。呼吸をするのが当然のように、『システム』は人間の生活の一部と化している。みんな何を考えているのだろう? 頭が可笑しいのではないか。
「ていうかさ、大人が言ってんだぜ? 『システム』はこの日本に必要不可欠の要素だって。この前テレビで見たもん。お前、別に頭良くないだろ? 格好つけて変に考えんなよ。ガキだなぁ」
そう言って、友人は停留所に停まったバスに駆け寄り、じゃあな、と一言、バスに乗って去っていった。僕とこんな会話をするのは相当に退屈だったらしい、話しを途中で遮り、自分の主張を僕に押し付けて、言うだけ言って消えていった。それでも僕は、どうしても僕は、思考を止められない。
僕が感じるこの違和感。世界の意見と、僕の意見との食い違い。これは、思春期の学生が抱きがちな、身にならない戯れ言に過ぎないのだろうか。『システム』は正しくて、間違っているのは僕のくだらない思考。本当にそれで良いのだろうか。人を『消去』できるこの世界は、本当にかつて誰かが夢見た楽園なのだろうか。僕には分からない。教えてくれる人なんて、どこにも居ないのだから。
「ねぇ、ちょっと……」
「ん? ……なにかな」
翌日、変にぼうっとした頭で流し聞きした授業が終わり、さて帰ろうかと鞄を手に取った時、涼やかな声が後ろから投げかけられた。振り返り顔を見て、少しドキリとする。動揺を気取られないよう、必死に平生を装う。気持ち悪い顔になっていないだろうか、髪型はキチンとしているだろうか、体育の時間に流した汗の臭いはしないだろうかなど、一瞬のうちに百も物を考えてしまう。深呼吸を一つして、なんとか普通の挨拶を行う。
「今日さ、一緒に帰れない、かな。ほら、河原町の方のケーキ屋さん、最近人気らしいじゃん。君ならいつも暇そうだし、よかったらどうかなって」
「……おい、僕を暇人扱いするなよ。失礼だなぁ」
文句を言いながら、顔がにやけてしまわないか必死になる。気を抜けば緩々になってしまいそうな顔面の筋肉にむち打ち、クールな自分を演出する。
「それで、どうなん? 行けそう?」
「行ける行ける、ちょっと待ってて」
遠慮がちに問う彼女の表情に魅せられ、僕はあっさりと首肯する。友人の言っていたことは、やはり正しかったかもしれない。思慕を抑えることもできない僕は、まさしく無恥な愚か者と言えるだろう。
「君さ、あれって本当なん?」
「あれって?」
市街の洋菓子店に寄った帰り、彼女は唐突に僕に質問してきた。夕暮れ時の市民公園、僕にとってはとても胸が高鳴るシチュエーションだったが、彼女の表情はとてもロマンチックな話しができそうなものではなかった。愁いを帯びた、物寂しげな顔だった。
「君が、『システム』 を……その、なんというか……よく、思ってないっていうか……」
「あー……」
彼女が婉曲に婉曲を繰り返して告げたのは、意外にも『システム』のことだった。だがおかしいな、僕は『システム』についての講釈なんて、友人の前でしか吐露したことがないはずなのだが。
「ね、本当なの……?』
「……そうだよ。変、かな」
恐る恐る訊いてくる彼女に、僕は思い切って打ち明けた。僕が『システム』を疑問視していることを知れば、彼女はきっと僕から離れていくだろう。この国で、『システム』に文句を付ける人なんて見たことがない。異端である僕は、きっと気味悪がられる。それでも、僕は彼女に嘘をつきたくなかった。一度でも嘘をつけば、もう二度と彼女と誠実な気持ちで彼女と向き合えないと思った。そんなのは嫌だ。
……僕は彼女のことをそれほど想っているのか。自分の思考回路を分析して、ほほが熱くなる。
ごくりとつばを飲んで、彼女の返答を待つ僕。しかし、彼女からは予期しない言葉をいただいた。
「ん……変じゃあ、ないと思うよ。ていうか、なんだかすごいなぁ、って」
「わたしもさ、みんながみんな『システム』を疑問視しないこの状況、なんか変だと思ってたんだよね。だけど周りにそんなこと言ってる人、誰もいなかった。みんな『システム』はあくまでトラブル防止策だから、とか、中には『システム』で鬱陶しい人を『消去』したのを、まるで武勇伝みたいに吹聴したりしてて。まあその鬱陶しい人は、誰にでも迷惑をかける、すごく悪い人らしいんだけど……。それでも、人殺し……『消去』を、なんの違和感なく利用する人が……怖かった」
うつむきながちに語る彼女に、僕は語る言葉を見失っていた。僕の身近に、そんな体験をした人が居たなんて、全く知らなかった。ましてや、彼女が。
「でもさ、君の噂を聞いて、なんか安心した。安心……ていうか、元気出た。わたしと同じようなこと考えてる人が居るって聞いたの、初めてだったからね。君が居てくれたから、わたしはそんなに変じゃないんだって思えた」
はにかんだ微笑を浮かべ、彼女は僕に向き直る。
「……だから、なんといいますか、今日はお礼が言いたかった。ありがとう、って。『システム』の正しい正しくないはともかく、君はすごいと思う。この国で、そんな意見を口にするなんて、わたしにはできなかったから」
そう言って、彼女は僕に満面の笑みを見せた。なんだか、初めて人の笑顔を見た気分だ。明るくて、優しくて、ずっと見ていたい。そう思わせるほど、彼女の笑顔は純粋で、混じりけのない美しいものだった。そうだ、僕は美しいと感じたんだ。そして、そんな笑顔を見れたこと、今まで自分が思考を止めなかったことを、初めて誇らしいと感じた。自分は間違ってないと、『システム』はおかしいんだと、改めて感じた。
––––とんだ勘違いだった。
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