Dear my…

喫茶店がコンクリートの部屋に変わってしまった日から数日はショックからなかなか立ち直れずにいた。あの日の翌日も風邪と言って休むつもりだったが、家にいても奏音さんのことを考えてしまうばかりだったので、結局会社に行くことにした。今は仕事に集中しているほうがいいのかもしれないと思った。

雨の夢は、あれ以来見ることはなくなっていた。夢の中でも奏音さんに会えなくなることは残念なのか、現実で悲しくならないからいいことなのか、よくわからなかった。

仕事だけに集中できた(むしろ仕事しか集中することがなかった)ので、順調にことが進み課長からも同僚からも、評価は上がる一方だった。給料も少しだけ上がった。なんだかんだでやっと新人が入ってきていろいろ指示のできる後輩もできた。そんな日々の中で、奏音さんのこともようやく諦めがつき少しづつではあるが頭の中から消えていった。

 徐々に暖かくなってきた春間近のことだった。後輩に「課長からの評価が上がる」とかなんとか言って面倒な書類を任して、息抜きがてらにのんびり配達に回っていたときのことだった。

春の陽気が気持ちよくて窓を開けながらゆっくり車を走らせていた。いつものように得意先を回りながら「いい天気ですねー、もう春ですねー。」なんて会話をしながら。

十分息抜きできたしそろそろ会社戻るかなぁ、と車を走らせていると、いつのまにかあの通りにいることに気付いた。そう、あの喫茶店TaPiRslAndがあった通りに。

特に意識はしてはいなかったが、なんとなくこの道を通ることは避けていた。「また奏音さんのことを思い出してしまう」そんな気持ちがどこか心の片隅に少しだけあったから。

「早く通り過ぎたい」という気持ちももちろんあった。しかしそのときは「懐かしい」という気持ちのほうが強かった。気づいたらものすごいノロノロ運転をしていたみたいで、ホーンを鳴らされて後ろが渋滞していることにようやく気づいた。仕方なくハザードを出して一端車を路肩に停めた。

その場所から数メートル前に喫茶店があったはずの入口があった。ここを最後に訪れてからまだ数か月しか経っていなかったので当たり前といえば当たり前だが、何も変わってはいなかった。

車を降りて入口のドアの前に立つとなぜか心臓の鼓動が速くなっていた。もうドアの向こうにはバクの置物だらけの小さな喫茶店もない。いつも笑顔で迎えてくれた奏音さんもいない。だけどここに来ると緊張した。もう目の前のドアを開けたい衝動を抑えきれなかった。

ドアノブを回すと迷わず一気に手前に引いた。中は相変わらずあの日見た光景のまま、薄暗いコンクリートの部屋と錆びた階段があるだけ、と、思っていた。以前は動揺して気が付くまでいたらなかったのだろう。階段の後ろ側、部屋の奥の掃除用具入れのようなロッカーの横に古びた小さな丸いテーブルが一台置いてあることに気付いた。明かに場違いだった。なぜこの場所にこれがあるのかが不思議だった。近づいてみて、そのテーブルに見覚えがあることに気付いた。その丸テーブルはまぎれもなく喫茶店TaPiRslAndに置いてあったものだった。

そのテーブルを見て、また込み上げてくるものはあったがなんとかこらえた。テーブルのホコリを払っていると、裏側に何かが張り付けてあることに気付いた。手に取って見て、心臓が止まりそうになった。それは、自分に宛てた手紙だった。震える手で丁寧に折りたたまれた数枚の紙を開いた。


菊池 龍彦様


龍彦君へ。まず最初に、ごめんなさい。本当にごめん。何も言わず消えてしまったこと、謝ります。

この手紙を龍彦君が読んでくれてる頃にはもうお店自体がなかったことになっているだろうね。けど私そういや龍彦君の電話番号も知らなかったし、家なんて知るよしもなかったし、「そういや、どうやってこの手紙を渡そうか?」って、書いてる最中に気付いたよ(笑)バカだねー私。だからお店に置いてた丸テーブル、置いてくことにしたよ。きっと龍彦君ならこの手紙気付いてくれるだろうなぁって思ってね。あ、この丸テーブルあげるよ。邪魔だろうけど、持って帰ってくれたら嬉しい(笑)

 さて…どこから話したらいいだろう。まず私が何者か、かな。わかってたかもしれないけど、私はね、普通の人間ではないよ。けど恐ろしい妖怪でもない。幽霊でもない。この世にちゃんと生きてる。本当は私も自分が何なのかわかってない。ただ、人の夢に入れたりその他にも特殊な能力があるんだ。例えば、そこにあったはずの喫茶店をすぐに元のコンクリートの部屋に戻せる。とか。

 そしてもう一つ。私は誰かに呼ばれたらすぐにその場所に移動する。そしてその土地の適当な空いてるスペースに喫茶店を開いて、呼んでくれた人を笑顔にする。これは自分で決めたこと。唯一ずっと守り続けてることなんだ。だから、ごめん。挨拶するまもなく移動しなきゃならなかった。夢で、遠くから呼ばれたんだ。今回は小さな女の子に。

龍彦君からしたら、私を呼んだ覚えなんてないでしょ?そりゃそうだよ、だって逆に私が龍彦君を呼んだんだから。

 そういや、夢の続き見れた?私はね、実はあの街に来る前からあの雨の夢を見てた。それで龍彦君と出会って一緒に雨に濡れて告白されて抱き合って、キスをした。もう正直に言うよ。私は、龍彦君のことが好きだった。夢の中で出会って恋しちゃったんだ。現実世界で龍彦君に会いたくてしょうがなかった。だから、呼ばれるんじゃなくて、呼びにきた。探しに探してさ、ようやく見つけて、あの街に喫茶店を開いてさ。で、龍彦君に同じ夢を見てもらって、なんとかお店に来てもらえるように願ったんだよ。

本当は私のお店は呼んでくれた人しか入れないようになってるんだけどね、神谷内さんはなんでだろ?やっぱりあの人も凄い能力を持ってる人なんだろうなぁ、普通にお店に入ってきたんだもん、そりゃビックリしたよ(笑)けど話してみたらすごいいい人で。このまま通ってもらえたら嬉しいなぁって。

 龍彦君が私のこと気になってくれてたみたいで嬉しかったよ。夢の中でとびっきりの告白してくれて、ありがと。現実で抱きしめあいたかったね。

 そのうち、また会えるよ。きっと。だから私のこと忘れずにいてくれたら嬉しいです。

 雨の夢は、幸運の暗示。あなたがこの先幸せになりますように。


                            奏音


手紙を読んでいる途中から涙が溢れてきた。それは悔し涙ではなかった。奏音さんへの感謝の涙。奏音さんと両想いだったという事実を知っていろいろ悔やんだが、もう悔やんでも仕方のないことには変わりなかった。もう前を向いて行く。突き進んでいく。そう奏音さんに誓った。そして、奏音さんのことをずっと忘れないでいようと思った。いつかまた会える日まで。


 外に出るともう夕暮れだった。会社に帰ったらさすがにハゲ課長に怒鳴られるかもしれないと思った。

丸テーブルを無理やり車に詰め込んで、ゆっくりと車を走らせた。

 


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雨夢 白鴉 煙 @sirokarasu

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