Chance

「ほんとー?よかったねー、ついに会えたんだ、私に。まぁまだ中盤だね。野球でいえば六回裏ぐらいかなー。」

奏音さんはそう言って微笑んだ。

 夢で奏音さんと出会ってから、現実世界の奏音さんと会えるまで一週間かかってしまった。毎日のように仕事帰りに喫茶店「TaPiRslAnd」に通っていたのだが、ずっと鍵がかかったままだったのだ。「また風邪で寝込んでいるのだろうか…」と心配したが、奏音さんいわく

「なんかちょっと気分転換したくて、ちょっと友達と旅行にねー。」

ということらしかった。

「へー、どこ行って来たの?」

と聞いてみたら、何か困ったような顔をして奏音さんは答えた。

「んーと、んーちょっと遠く。国内だけど…まぁいいじゃん!ちょっとだけ遠くだよ。」

本当に友達と旅行に行ったのかどうかが怪しくなってくる回答だった。何か隠しているのだろうかと疑ったが、単に聞いてほしくないだけなのかもしれなかっただけなのかもしれないので、話題を変えてみた。

「そういえばさ、前に言ってたけど、苗字が特にないってどういうこと?本当にないの?」

奏音さんはまた困った顔をしてちょっと微笑んで言った。

「…そうだね。うん、ないよ。ないっていうか、知らないんだ。苗字。いろいろあってね。人生いろいろだよ。」

奏音さんは笑った。この人は本当に明るい人だ。そして、強い人。過去を知りたかったが、これ以上聞かないことにした。ちょっと空気が重たくなってしまったので話題を夢の話に戻した。

「でさぁ、奏音さんあの夢の続き知ってる…」

「カラン」

背後からドアに取り付けてある鈴がなった。ドアが開いた。ということは誰かがこの店に入ってきたのだ。この店に。看板もない、ネットにも載ってないこの喫茶店に。自分以外に客はいないと思い込んでいたので、ドアが開いたことにとても驚いた。

「あら、いらっしゃいませー。」

奏音さんがそう言うと背後からしゃがれた女性の声がした。

「おや?珍しい。私以外にも客がいるなんて。奏音ちゃん、いつものコーヒー。」

後ろを振り返ると、腰の曲がったお婆さんが立っていた。もう八十歳は超えているだろうか。しかし髪は派手な紫色で、着ている着物も薄紫色。おまけにメガネの淵も紫色だった。杖をついてゆっくりゆっくりとこちらに向かって歩いてきていた。

「はーい、いつものやつですね。用意してきます。龍彦君、悪いんだけど神谷内さんが椅子に座るの手伝ってあげてもらっていいかな?足が悪くて一人じゃなかなか難しいみたいで。」

奏音さんはそう言い終えると奥に行ってしまった。

まぁこの状況で手助けしないわけにもいかないし、困ってる人を助けるのは当たり前だという考えを持っていたので、立ち上がって紫色のお婆さんのところへと向かった。

近くまで行くと微かな煙草の匂いにプラスして、仏壇の線香の匂いがした。

「大丈夫ですか。席まで支えますよ。」

そう言って曲がった背中あたりを支えながらゆっくり歩いた。

「手伝ってくれるのかい。悪いねぇ、足が思うように動かくてね。」

と、言ったその直後だった。紫婆さんは何かを思い出したかのように急に足を止めてこっちを見て笑いながら話し始めた。

「あんたは幸せになれるね。なかなかいい感じだ。」

「…え?あ、はい…ありがとうございます。」

いきなりのことでよく理解できず曖昧な返答しかできなかった。

この婆さんも何なのか。超能力者とか預言者とか、そういう類の人物なのか。この喫茶店は、そういう人が集まる場所なのだろうか。

自分に支えられながら紫婆さんはまたゆっくりと歩き出した。カウンター席まで辿り着くと、自分のすぐ隣の席に座った。そして颯爽と着物の内側から煙草を取り出し、吸い始めた。

「ありがとさん。助かったよ。あんた、龍彦だっけかい?煙草は苦手かい?一本やるよ。」

正直、大学時代から隠れて吸っていたので苦手ではなかったが、最近は値段が上がったこともあり吸ってはいなかった。しかしせっかく差し出してくれたので貰うことにした。

「あ、はい。ありがとうございます。吸わせてもらいます。えっと、灰皿は…」

灰皿を探しているとちょうど奏音さんが奥から戻ってきた。

紫婆さんが言った。

「奏音ちゃん、いつもの灰皿ちょうだいよ。」

奏音さんはコーヒーと薄紫のガラスの灰皿を置いて言った。

「はい、いつもの灰皿といつもの神谷内ブレンドコーヒー。今日はいつもより上手く淹れれたと思いますよー。」

「ありがとさん。…ん、この前よりちょっと濃いかな。奏音ちゃん、もっと自信持ちな。いつも十分美味しいよ。」

紫婆さんは一口飲んでそう言った。

「はい。ありがとうございます。けど自分ではまだまだだと思ってますので。あ、龍彦君サポートありがとー。って煙草吸ってる!」

奏音さんは驚いたようだった。

「何?煙草吸ってるのが珍しい?」

「いやぁなんか龍彦君に煙草吸うイメージなかったからさぁ。美味しそうだね。私は一回も吸ったことないからわからないけどねー。」

奏音さんは笑って言った。

紫婆さんはもうコーヒーを飲み干してしまっていて、二本目の煙草に火をつけてから言った。

「ところであんたら、カップルなんかい?仲良さそうでいい感じだねぇ。」

思わずコーヒーを噴き出しそうになってしまった。慌てて違うと言おうとしたところで、先に奏音さんが顔を赤らめて慌てて言った。

「ち、違いますよー。もう神谷内さんいきなり言うんだから焦ったじゃないですかぁ。龍彦君はこのお店に最近来てくれるようになってですね、えーっと…そうあれ、友達です。ねっ?ただの友達だよねっ?」

友達と言われて嬉しかったが、内心少しショックだった。そうか。奏音さんから見たらただの友達感覚なのか。まだ会って少ししか経ってないし、当たり前ではあったが。

「えぇ、そうです。友達です。最近ここを知って通うようになりました。」

紫婆さんはにやけながら言った。

「そうかいそうかい。まだ付き合ってはないんだねぇ。まだ、ね。私ゃ期待してるよ。いいじゃないかい、せっかくいい感じなんだし。それに、奏音ちゃん。龍彦はいい男だよ。一目見てわかったよ。逃しちゃダメだよ。」

奏音さんはまた顔を赤らめて言った。

「いやあのですね…た、ただの友達です。はい。それより神谷内さん。もう、見えちゃったんですか?」

「あぁもう見えたよ。」

一体何が見えたというのだろうか。さっきの話も気になったので聞いてみた。

「何が見えたんですか?さっきいい感じとおっしゃいましたけど…。」

と聞いたところで奏音さんが言った。

「神谷内さんはね、不思議な能力があってね、人の未来が見えるらしいんだ。今はもう引退しちゃったけど、若いときからずっと占い師をしてきたんだよ。それで沢山の人を救ってきたんだって。凄いよね。世の中にこんな凄い人いるんだね。」

奏音さんは天然なのだろうか。自分の能力を忘れているのだろうか。自分からみたら二人とも信じられないほど凄いのだが。

紫婆さんはこっちを向いて言った。

「さっきも言ったけど、あんたは幸せになれる。これは確実。ただし、今のあんたは何かが足りないね。過去もちょっとだけ見えたけど、あんたはもっと努力しなきゃダメだね。仕事も遅刻しがちだろ?そんなんじゃダメだ。まず仕事に真面目に取り組みな。自分のペースでいいから。そっからだよ。そこから幸せの道が開けてくる。」

普段テレビなんかでやってる占いとかはまったく信じもしなかった。「今日はラッキーデー」なんて言われても何とも思わなかったし、実際何にもなかった。けどこの人は信じれると思った。何より出会ってすぐに仕事に遅刻しがちなのを見抜かれたことに驚いた。沢山の人をいい方向に導いてきたのも嘘ではない気がした。よくわからないけど、本物の占い師だと思った。

何も言えないでポカーンとしていると、紫婆さんは煙草に火をつけてから続けて言った。

「具体的なことは言わないけどね。私にゃ見えてる。…さてと、若い二人の邪魔しちゃいけないしババアはそろそろお暇するよ。奏音ちゃん、コーヒーごちそうさん。」

そう言って小銭を机に置いてよろよろと立ち上がった。

「あ、はい。ありがとうございました。またお待ちしてます。あ、ドアまでサポートします。」

奏音さんは一緒にドアまでゆっくり歩いた。紫婆さんはドア付近で奏音さんに何か呟いたみたいだが、カウンターまでは聞こえなかった。

お見送りを終えた奏音さんは戻ってきて言った。

「絶対幸せになれるって。龍彦君すごいねー。どんなこと起こるんだろうね、ワクワクだね。」

ちょっと冷えたコーヒーを一口飲んで言った。

「なんか凄い人だということはわかったよ。そういやなんであの人紫づくめなん?」

奏音さんは笑って言った。

「私も気になって聞いてみたけど、ただ単に紫が好きなだけみたいだよ。この灰皿も実は神谷内さんの私物なんだー。いちいち持ってくるの面倒だからって店に置いていってる。」

紫色がラッキーカラーなのだろうか。それにしても全部紫で統一しなくてもとは思った。

コーヒーも飲み終えたのでそろそろ帰ることにした。最後にさっきのドア付近での会話が気になったので聞いてみた。

「そういやさっきドアのところで神谷内さんなんか言ってなかった?」

奏音さんはお釣りを数える手を止めて顔を赤くして恥ずかしそうに言った。

「あ、気付いてたのか。えっとね…そのね、私ゃ男女の間に友情なんてないと思うよ。だってさ…。」

急に心臓の鼓動が速くなった。今なのか。今、奏音さんに言うべきなのか。

「…奏音さん。今度…」

と振り絞ったところで奏音さんに遮られた。

「いや、あれだよ。私が言ったんじゃないからね。神谷内さんが言ってただけだからね!神谷内さんの意見!はい、お釣り。よし、今日は閉店。おしまーい。」

そう奏音さんは早口にまくしたてて慌ててお釣りを渡した。

デートに誘う機会を逃してしまったことがショックだった。

奏音さんは外まで見送ってくれた。外に出ると人影が一つもなく、ただ北風が少し強めに吹き付けていた。

「それじゃまた来るわ。」

と言って立ち去ろうとしたところで奏音さんは恥ずかしそうに言った。

「…龍彦君、夢の続き、ね。さっき聞こうとしてたでしょ?あのね…夢の中で…そのね…友達のままだと…思う?思うか思わないかだったら、どっちだと思う?」

寒いはずなのに、緊張して暑かった。ここはもう逃したら終わりだと思った。

勇気を振り絞って言った。

「思わない。あとどれぐらい先かはわからない。けど多分、いや、絶対…俺は夢の中の奏音さんに告白すると思う。」

こんなに緊張したのは何年振りだろうぐらいに緊張した。

奏音さんは笑った。安心したような、そんな感じだった。

「私も、思わない。続き知ってるけど、思わないよ。友達のままなんて。…待ってるよ、飛び切りの告白。」

待ってる?告白を、待ってる?夢の中で?現実で?これは成功したのか?

いろんなことが頭の中を錯綜した。

「こんな寒いとこにずっといると風邪ひくよー。またね、バイバイ。」

と言って奏音さんは手を振って店内に入っていった。

しばらく一人で寒い中ボーっと突っ立っていた。









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