Healing

「てめっ!また居眠りしやがって!そんなに給料下げられたいか!?」

ハゲ課長の怒鳴り声でやっと目覚めた。そうかまた居眠りしてたのか。

「あっ…いえ、あのすいません!真面目にやります。」

「当たり前だ。書類は帰ってからでいい。とりあえず目覚ましに営業行ってこい。」

まぁ気晴らしにはいいかと思い、周りの同僚に笑われながら下の階に降りた。

外は数日前の吹雪が嘘のように快晴だった。まだ二月だというのに少し暑いくらいだ。営業車に乗り込み、道路に出た。スーツ姿のサラリーマン達が忙しそうにセカセカと歩いていた。一体何を急いでいるのか、自分にはまったく理解できなかった。「あんたらが動くから俺も動き回らなきゃいけなくなるんだよ」別に他人のせいにしてもどうしようもないのはわかっているのだが、そう思わずにはいられなかった。

 喫茶店TaPiRslAndに初めて行って奏音さんに会ってから数日経ったが、まだ夢の中に奏音さんは出てきてはいなかった。むしろ雨に濡れる夢さえも見てはいなかった。別に奏音さんに会うだけならあの喫茶店に行けばいいのだが、ここ数日は夕方に行っても閉まっていた。そういえば定休日も営業時間も知らなかった。ネットで調べてみてもなんと検索数ゼロだった。唯一あの日調べた地図に名前が載っているだけで、やっぱり不思議な店だった。今の日本で検索しても出てこないなんて。しかし前向きに考えると、他人にはあの店のことは知られないということだ。もうすでにあの店に行ったことのある隠れ家マニアみたいな人はいるかもしれない。しかしあの店の前を通って誰が喫茶店だと思うだろう。検索しても出てこない、見た目も怪しい。失礼だが、そんな店大抵の人は入りたいと思わないだろう。つまり奏音さんと話せるのはほぼ自分だけだ。そう考えるとなんだか嬉しくなった。

 その日、仕事から解放されたのは夜の十時過ぎだった。居眠りしたことで書類が遅れ、さらに先輩からほぼ強制的に仕事を押し付けられた。なんでも「今夜合コンがあって残業なんてしてる場合ではない」という自分勝手な理由で、会社で一番年下で一番勤務年数の短いお前に、ということだった。

 「お前今日も課長に怒られてただろ?今のうちに本当は仕事熱心なところを見せつけとけ。大丈夫、お前ならなんとかなる!」

とかなんとか言い残して、先輩は定時きっかりにダッシュで帰って行った。

 「合コンねぇ…。」

そういえば合コンなんて何年していないだろうか。大学生のときは勉強もろくにせず友達と遊びに遊んでナンパして彼女つくってちょっとした浮気がばれてフラれて合コン行って彼女つくって…であっという間に四年間が過ぎ去ってしまった。その四年間だけは自分でも親不孝者だと思った。無理を言って高い授業料払ってもらって遠くの私立大学に行かせてもらったのに、卒業後の進路もろくに考えずただ遊んで地元に帰ってきた。特にやりたいこともなかったし就職先なんてどこでもよかったので、とりあえず適当に今の会社の面接を受けてみたら採用されて今に至っているのだが、入社して二年経ったが、まあ遅刻はたまにするし居眠りもするし特に仕事ができるわけでもなかった。簡単に言えば「使えない社員」だ。それでもクビにならないのは社員数がギリギリだからだ。新規採用で採ってもすぐに辞めていくし毎年定年退職で去っていくし、社長いわく「まぁ菊池はまだ出勤してくるだけマシなほうだ。」ということでクビにはならないらしかった。

学生時代に遊びすぎたからか、地元に戻ってきてからは彼女をつくるということに関してあまり乗り気ではなかった。異性に興味がなくなったわけではなかったのだが、なぜか「異性と交際する」という行為がとても面倒なことに思えてきてしまっていた。たまに合コンに誘われたのだが、いろいろな理由をつけて断り続けていたらついに誘われなくなってしまった。「まぁそのうち、三十ぐらいになれば結婚できるだろ」的なあまい考えしかなく、自分のやりたいように過ごしていた。

そんなとき、奏音さんと出会った。久々に、本当に久々にときめいたのだ。あの笑顔に。ちょっと不思議な人ではあるが、惹かれてしまえばそれもまた魅力のひとつだった。今は面倒なことではない、早く彼女に会って話がしたかった。

 会社の電気を消して戸締りをして駐車場にある車には向かわず、コートを羽織って寒い夜の街を歩き出した。「さすがに今日は営業していてほしいなぁ」と思いながら。

花の金曜日の夜ということもあり、駅前は酔っ払いの若者やサラリーマンで賑わっていた。合コン終わりだろうか、気になった女に電話番号を教えてもらおうと必死になるちょっとチャラい兄ちゃん。肩を組んで大声で何か話しながら歩くスーツ姿のおっさん二人。その混雑をすり抜けながら帰り道を急いで歩く真面目そうな高校生。みんな幸せそうだった。街の光に照らされてキラキラ輝いて見えた。この見慣れた風景を、自分は嫌いではなかった。

みんな何かに疲れて過ごしその疲れを癒すため必死になる。一週間、一生懸命働いて疲れ切って迎えるこの夜に、疲れを癒すことに、発散することに仕事よりも一生懸命なのだろう。

この賑わいの中に先輩はいるのだろうかと、ちょっと探しつつ、フラフラ歩いてくるおっさんをよけつつ、喫茶店まで一人ゆっくり歩いた。

 店の前まで来ると歩く人もほとんどなく、冬の冷たい空気が一層冷たく感じられた。喫茶店のドアには窓もなく中の様子がわからないので、営業しているかどうかを判断するにはドアを引いてみるしかなかった。「今日はやっているはず」と繰り返し心の中で唱えながらドアノブを回してみた。

「ガチャ」

開いた。開いた瞬間、心臓の鼓動がとても早くなった。思い切って中に入るとそこに奏音さんの姿は見当たらなかった。店内は物音ひとつなくシーンと静まり返っていた。

「…すいませーん。」

少し小さめな声で呼んでみた。するとカウンターの奥のほうから物音がした。

「…ガシャ。あっ、ヤバい!あ、はい、ただいま。」

しばらくして奏音さんが慌てて出てきた。

「あ、お久しぶりです!久しぶりってほどでもないか。数日ぶり?まぁいいや、どうぞおかけになってください。」

奏音さんはこの前のようにとびきりの笑顔で向かえてくれた。それだけで仕事の疲れが一気にとれたような気がした。

「大丈夫ですか?なんか割れたような音しましたけど。」

「ちょっとお皿割っちゃって…もう滅多にお客さん来ないもんだから急に来たらビックリしちゃってですね、あ、別に龍彦君のせいじゃないんですよ。私がちょっとドジなだけ。」

そう言ってちょっと舌を出して笑った。その仕草がかわいすぎてもうどう返答すればいいか、次の言葉を出すのにちょっと時間がかかってしまった。

「…あ、えっと、えーとね…えーと、そういえばこの店は奏音さん一人でやってるんですか?」

「あ、はいそうです。だってお客さん本当に滅多にしか来ないんですもん。私一人でも暇ですよー。」

そりゃだって誰が見ても外からは喫茶店だとは思わないしネット検索にもひっかからないのだから当然といえば当然なのだが、とりあえず失礼を承知で聞いてみた。

「そういえば前から疑問に思ってたんですけど、なんでお店の外見をあんなに目立たないようにしてるんですか?」

奏音さんはムスッっとしたわけでもなさそうで笑顔で答えてくれた。

「だって、別に多くの人に来てもらいたいわけでもないんで。そりゃお客さんいっぱい来たらお金はたくさん手に入りますけどねー…んーまぁ利益目的でやってるお店じゃないんですよー。」

「え?じゃあこの喫茶店の目的って…」

と言いかけたところで遮られた。

「あ、そういえばご注文まだじゃないですか!何にします?またブラックでよろしいですか?」

別に今はコーヒーを飲みたいわけでもなかったが、せっかくなので淹れてもらうことにした。

「じゃあブラックで。」

「かしこまりましたー。少々お待ちくださいませ。」

そう言ってまた奥に行ってしまった。「…利益目的じゃない?どういうことだ?なんか聞いてほしくないみたいだったな…。」コーヒーが来るまでいろいろ考えてはみたがまったくいい答えが見つからなかった。

「お待たせしましたー。今日はこの前よりちょっとだけ濃いかもしれません。すいません、コーヒー淹れるのもまだまだ下手なんです。」

たしかにちょっと濃かったが独特な味でとても美味しかった。

「いえ、とても美味しいです。この店のコーヒー、気に入りました。」

「えー本当ですか!?すごく嬉しいです!ありがとう!あ、そういや龍彦君、私と同じぐらいの歳でしょ?もう敬語使わなくていい?そのほうが楽だしさ。」

「あ、全然いいっすよ。じゃあ俺も敬語使わないでおこう。俺、今年で二十二。奏音さんは…あ、女の人に年齢聞くのは失礼か。」

答えにためらうこともなくすぐに返事がきた。

「あ、やっぱり同じだ。私も二十二。同級生だね!」

実は初めて奏音さんを見たときちょっとだけ歳上に見えた。自分より雰囲気が大人びていたから。だからまさか同じ歳だとは思わなかったし、自分がなんだか幼稚に思えた。

「タメなんだー。けど一人で喫茶店経営してるなんて、なんか凄いね。いろいろ尊敬するわ。」

「そんなことないよー。実はこのお店開いてもうすぐ三か月になるんだけどいろいろ慣れてないことも多くてね。ほら、コーヒー淹れるのだって下手だし。まだまだ不慣れすぎてダメダメだね。」

奏音さんはずっと笑顔だった。なんだろうか、別にアルコールを摂取したわけでもないのに酔ったような感覚だった。変な風に言えば、おそらく奏音さんの笑顔に酔った。もう確実に惚れていた。早くデートに誘おうと思ったが、そういえば今日の本題の夢の話を聞くことをすっかり忘れていたことに気付いた。

「そういえばさぁ、夢の話なんやけど、俺、この前奏音さんに会ってから今日まで雨に濡れる夢見てないんよなぁ。なんでかなぁ?見たいけど見れない。」

奏音さんは淡々と言った。

「あれだよ、そういうときもあるよ。うん。私もそういうときあった。けど諦めずに強く願い続けたんだ。そしたら好きな人の夢に入れた。もう少しだよ。夢は気まぐれだからね、頑張って!ファイトだ!」

強く願い続ける…強く。奏音さんに会いたいと願い続ければ会えるのだろうか。夢の中でも会いたい。この人に。夢の中でももっと話していたい。もういろいろ限界だった。つい言ってしまった。

「か、奏音さんに会いたいと強く願えば、あの夢の続き見れますか?」

心臓が飛び出そうだった。初めてナンパしたときも、初めての夜も、これほど緊張してなかったはずだ。一瞬、いや数秒間キョトンとして、奏音さんは照れくさそうに笑って言った。

「ふーん、そうかぁ。そうだね、強く願えばねぇ。んふふ、なんかすっごく嬉しい。私に会いたいのかぁ。そうかそうかぁ。んっふふー。」

鼻歌まじりで凄く上機嫌だった。つい言ってしまったのでしょうがないが、まぁとりあえず嫌われなくてよかったと思った。

「私はもう龍彦君に夢の中で会ってるからねー。続きは知ってるけどなー。内緒。どうなるのかなぁ、おたのしみにー。」

なんかもう照れくさくて恥ずかしくてまた変な汗が出てきた。このままの勢いで現実世界でデートに誘えばOKしてくれそうではあったが、これ以上なかなか言葉がうまくでてこなかった。

「あ、もうこんな時間だ。ごめん、今日ちょっと片づけとかいろいろあるからそろそろお店閉めたいんだけど、いいかな?お客さんにこんなこと言うの失礼だけどね。」

気が付けば日付が変わる間際だった。一応聞きたいことは聞けたし、引き上げることにした。

「あ、わかった。コーヒーごちそうさま。また来るわ。ちなみになんだけど、定休日とかあるの?昨日とか閉まってたみたいだけど…。」

「昨日も来てくれてたんだ!ごめんねー、ちょっと風邪ひいて寝込んでたんだ。今日はもう全回復したから大丈夫。ちなみに定休日も営業時間も決めてないよー。適当って言ったらあれだけど、まぁ私一人のお店だから私の気分次第かな。疲れたらお店お休み。変わってるでしょ?だって今夜中の十二時だよ?普通の喫茶店はこんな時間に営業してないでしょ。」

たしかに言われてみればその通りだった。お酒を提供してるわけでもなく、コーヒーとカフェオレしかメニューがないのに夜中まで営業している。まず全国どこを探してもこんな喫茶店はないだろうとは思った。コートを羽織って入口のドアの前まで来たときだった。背後から言葉が流れてきた。

「雨の夢ってさ、幸運に恵まれる暗示だよ。」

それは耳からは入ってはこなかった。心に、頭の中に直接囁かれた。まるで風のように、カウンターの方向から流れてきたのだ。「え?」と言って振り返ると、「バイバイ」と手を振ってくれていた。あっけにとられていると「ん?どしたの?」という顔をし始めたので、とりあえずちょっとだけ手を上げてドアを開けて、寒い夜の街に戻った。






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