雨夢

白鴉 煙

Rainy day

雨だ。なんで傘さしてないんだろう、ずぶ濡れじゃないか。けど、嫌な気分ではない。しとしと降る雨の中、ただ突っ立っている自分。周りの目線とかそんなものどうでもいい。ただ濡れていたい。あと10分ぐらいは。いっそのこと、服なんか全部脱ぎ捨ててしまいたい。身体の毒素が洗い流されていく、そんな感じだ。あぁ、雨が弱まってきた。もうちょっと、もうちょっとだけでいいのに…。


 目が覚めると汗だくだった。まるで夢の中で雨に濡れたかのように。重たい身体を嫌々起こしてカーテンを開けると、外は吹雪だった。

「マジか。また渋滞するじゃねぇか…。」

時計を見るとまだ朝6時だったが目が覚めてしまったのと汗だくが気持ち悪かったので、とりあえずベッドから降りてスーツに着替えた。支度して外に出ると馬鹿みたいに吹雪いていてストレスしか溜まらない面倒な仕事には一層行く気にならなかったが、ここで休んでもどうせ翌日に煩わしい上司に怒られて残業も増えるだけなので、とりあえず嫌々車に乗り込んだ。視界も悪い上に、いつもは混まない道路もスリップした車が前方にいるようで大渋滞だった。おまけに脇道もない川沿いの一本道なので迂回するにも引き返すこともできず、ただただイライラしながら動くのを待つしかなかった。これはもう遅刻確定だ。とりあえず会社に遅れると電話することにした。

 「あ、もしもし菊池ですけども、ちょっと渋滞に…。」と、言ったところで「あーそうかお前もか。はいはい、わかったわかった。」と、なぜか電話に出た課長に呆れられて勝手に切られた。

 「こっちだって遅刻したくて渋滞にはまってんじゃねぇんだよ、ハゲ!」

もう何時出勤でもいいや。怒られることだけはわかったのでどうでもよくなった。そう考えると気分も少しは楽になった。きっとみんなそうなんじゃないのか。前の車の人も後ろの車の人もスリップした人もみんな。イライラしたって疲れるだけ。ゆっくり行こう。今日はどうでもよい日だ。

 外の吹雪は一層強さを増してきた。

「朝早く起きて渋滞に巻き込まれて遅刻して…ついてない一日だ。そういやなんで早起きしたんだっけか…あ、そうかまたあの夢か。」

 あの夢をちょくちょく見るようになったのは二、三か月前あたりからだ。気がつくと見知らぬ住宅街に立っていてしばらくすると雨が降ってくる。傘も持ってない。合羽もない。けどなぜか物陰で雨宿りしたい気分でもない。濡れていたい。ただしとしと降ってくる雨に濡れていたい自分がいるのだ。その雨は豪雨でもなく小雨でもない。程よい雨。シャワーのような。熱くもなく冷たくもない。程よい雨。それになぜか少しだけ甘い。とても心地よくて、ずっと濡れていたい。弱まってくると、現実世界に戻されるのだ。自分でもよくわからなかった。なぜ雨の夢なのか。なぜ頻繁に見るようになったのか。「まぁたまたまだろ、自分は本当は雨の日が好きなのかも知れないな。」などと考えていただけだった。

 ようやく渋滞の列が動きだし、三十分程遅刻して会社に到着した。遅く出勤するとちょっと離れたコインパーキングに駐車しなくてはならないのだが、いつもは争奪戦が繰り広げられる会社の狭い駐車場も今日は閑散としていて楽に駐車できた。「やっぱりまだみんな出勤してないんだなぁ。」と、呟き車から降りようとしたら携帯に着信があった。会社からだ。早く出勤しろという電話かと思い嫌々出た。

「おう、菊池か。今日電車も止まってて車も渋滞で動かないし大体の人が出勤できないみたいだから仕事休みになったわ。社長が、気をつけて帰宅するようにってよ。俺は家近いからもう帰宅したけど、お前もうおそらく会社近くまで来てるだろ?悪いなぁ、社員全員に急いで電話してたらお前だけ電話するの忘れてたよ。気をつけて帰れよ。あと明日は遅刻すんなよ。じゃあな」

 会社近くどころじゃねぇよ、会社だよ!なんだよあのハゲ、大事な直属の部下を忘れてんじゃねぇよ。もうちょっと早く連絡くれたらよかったのに。にしても電話してきた課長はいつもになく上機嫌で優しかった。こんな上機嫌な声を聴けるのも年に五回あるかないかだ。吹雪も悪くないなと少しだけ思った。とりあえず今日一日暇になったので部屋に帰ろうかと思ったが、帰っても特にやることもない。朝早く起きたぶん寝てしまえばいいのだが、せっかくの休日に寝てしまうのはもったいない。しかしこの天気なのでドライブするわけにもいかず、平日なので友達も仕事だろう。いろいろ悩んだ末、いつものごとくとりあえずカフェで温かいコーヒーでも飲んでゆっくりしてから帰るということにした。

 会社は駅からそう遠くないちょっとしたオフィス街にあるので周囲にはカフェやら居酒屋やらラーメン店やらが何件もあった。なにせ学生のときからコーヒーが大好きなので、会社周りの大衆的なカフェからこじんまりとしたカフェまで、すでに二、三回は行ってしまっていた。せっかくなので普段行ったことのない店に入りたかったので新しいカフェとか雑貨屋でもできてないかとウェブで周囲を調べてみると、見慣れない店名を見つけた。

 「TaPiRslAnd」

「…タピルスランド?」はたして「タピ/ルスランド」なのか「タピル/スランド」なのか、どこで区切っていいのかわからなかった。まず読み方がそれであっているのかすら、英語があまり得意ではない自分にはまったくわからなかった。喫茶店かどうかもちょっと疑わしかったが、店名の下のタグを見ると「喫茶店・カフェ」に分類されていた。「あれ?けどこの周り、何回か行ってるけどそんな店あったか?」仕事がミネラルウォーターの営業兼補充ということもありこの街の道やら民家などに関してはそこらの人より詳しい自信があった。特にこの通りはお得意様が多く何回も行ったり来たりした場所だった。ただ見逃していただけだと思い、この喫茶店に行ってみることにした。

 車はそのまま駐車場に止めておいて外に出てみると、吹雪は若干弱くなっていた。大通りを歩いてみても車も人も疎らだった。いつものこの時間なら込み合うバス停もおじいさんとおばあさんが二人だけバスを待っていた。今日はこの街自体が休日なのだろうか。シーンとして静かで。こんな日が一日ぐらいあってもいい。そう思った。

 みんな一生懸命セカセカと働きすぎなんだ。そうじゃなきゃこの世界は上手く回らないのだろうが、自分は本当はゆっくり進みたい。ゆっくり進みたいのにそれを許してはくれない。周りが速く、せわしなく動くから。そして流れができて渦ができる。その流れに逆らえず周りと同じスピードで動かざるえなくなる。渦に飲み込まれる。今日はスローだ。渦がなくなったかのようにゆっくりだ。明日からまた渦に巻き込まれるのだから今日ぐらいスローペースで行こう。いろいろ考えながら慣れない雪道をゆっくり慎重に歩いた。

 その何て読むかわからない喫茶店は、歩いて二十分ぐらいの場所にあった。大通りから横に入った道の真ん中辺り。たしかによく通る道なのだが、なるほどこれは気づかないはずだった。その喫茶店はビルの一階部分にあり、驚くことに店の看板すら出ていなかった。入口は薄汚れたアルミ製のシルバーのドア。ビルの裏口みたいだった。喫茶店的要素がまったくなかった。ウェブのマップをたよりに歩いて、二、三度通り過ぎてようやく発見できた。普通に前を歩いて通ってもまず喫茶店だとはわからなかった。当たり前だが、入るのに一見躊躇した。どう見ても怪しかったし、昔この場所に喫茶店があったが今はやってませんみたいな感じなのかとも思った。まぁせっかく寒い中歩いてきたのでとりあえず騙された気分で入ってみることにした。

 「いらっしゃいま…あ。来た!」

ドアを開けて入ると鈴のカランという音とともにバーの向こうから若い女性の声がした。

 「待ってました。あなたを。」

歳は同じぐらいだろうか、身長が女性にしては高くスラッとしていて痩せ形の、見た目も声もとても明るい一見どこにでもいそうな女の人だった。 

 「え?いや俺初めてここ来たんですけど…」

一瞬不思議そうな顔をして、何かを理解したように言った。

 「んー、あ!そうか!そうですよね!まぁいいや、とりあえずお座りください。」

よくわからないまま言われるがまま女の目の前のカウンター席に座った。店内は暖房が効きすぎで暑く、とりあえずコートを脱いだ。

 「注文はどうなさいます?」

注文と言われてもまずメニュー表が見当たらなかった。

 「あの…メニュー表は?」

 「あ、うちメニュー表ないんです、申し訳ございません。えっと、コーヒーかカフェオレか、二択です。」

 「…じゃあブラックで」

 「かしこまりました。少々お待ちください。」

そう言って肩下まである黒髪をなびかせ店の奥へと行ってしまった。「なんか変な感じだな…。」別にぼったくりでもなさそうだが、店員の女の人が不思議な感じだったので、とりあえず早めに抜け出ようと思った。

 外見とは違い店内はちゃんとした喫茶店だった。カウンターが四席、その周りに古めかしい丸テーブルが二つあった。こじんまりとしていて雰囲気も特に悪くはなかった。ただ、不思議に思ったのは店のいたるところに同じ動物の置物が置いてあったことだった。「なんだっけあれ?白と黒で…カバだっけ?」よく思い出せなかったが見たことのある動物ではあった。

もう一つ、彼女が不思議な感じだった。「やっと来た!って…どこかで会ったかな?たしかに見たことあるような気もしなくもないけど…いや、違うな。やっぱり初対面だよな。誰かと勘違いしてるだけだな。」客は自分一人しかおらず、見た限り店員も彼女だけらしかった。

 「お待たせしましたー。」

淹れたてのコーヒーと頼んでもいないチーズケーキを持って彼女が奥から出てきた。

 「どうぞ。あ、このケーキ、サービスです。」

 「あ、どうも。」

 「いいえ、さっき近くのお店で買ってきたもので申し訳ないですが…なにせ今日あなたが来るとは思ってませんでしたので。」

 「あのー…先ほども申しましたが、俺はこの店来たの初めてですし、勘違いでなければあなたと会ったのも初めてです。誰かと勘違いしてません?」

彼女はちょっと困った顔をして笑顔で言った。

 「あなたにはまだ見えてませんでしたか…。私はあなたに何回も会いましたよ、夢の中で。」

あまりに不思議なことを言うのでコーヒーをちょっと噴き出してしまった。

 「夢の中!?何?冗談ですよね?」

つい勢いよく半分立ち上がって大声を出してしまったので彼女は驚いたようだった。

 「え、えぇ。夢の中で。あなた道路の真ん中に立って気持ちよさそうに雨に打たれてたじゃないですか。どうやら私はあなたより先を見てるようですね。もう二、三日ぐらいで私と出会うと思いますよー。」

 最近自分の見ていた夢を初対面の女性に当てられてその上予知までされて、もう恥ずかしいやらよくわからないやらで変な汗が体中からにじみでてきた。彼女は満面の笑みだった。

 「あなたは何者なんですか!?」

焦りに焦って失礼な投げかけをしてしまったが、彼女は笑顔のまま答えた。

 「あ、申し遅れました。私はこの喫茶店の店主の奏音です。苗字は特にありません。いたって普通の人です。」

苗字が特になく、人の夢を的中させる人は普通ではないとは思ったが、指摘しても無駄そうなので特に言わないことにした。とりあえず一回深呼吸をして落ち着きを取り戻し自己紹介をした。

 「かのん、さん?素敵な名前ですね。あ、えっと俺は…」

 「菊池龍彦さんですよね、よろしくお願いします。」

なぜか自分の名前を知られていた。

奏音さんは軽くお辞儀をした。

 「えっと…いろいろ聞きたいことがあるんですが、失礼ですがこの喫茶店の店名はなんて読むんですか?」

夢の中の話を続けられても混乱するだけなのでとりあえず話をそらしてみた。

 「自分でもたまに読みにくいなぁと思うんですよ。テイパーズランドって読みます。」

 「あぁそう読むんですね。どういう意味なんですか?」

 「私の考えた造語なんですけどね。Tapirsは日本語ではバクです。動物の。landは土地。つまり、バクたちのいる場所っていう意味なんです、私の中の解釈では。」

そうか、店内に飾ってあるのはカバじゃない、バクか。そのとき初めてわかった。

 「バクってまた珍しい動物ですね。バクが好きなんですか?」

 「そうですね。バクは悪い夢を食べてくれると信じられている動物。だからいい夢だけ見れたらなぁって思って。だから店内もバクだらけにしちゃいました。」

奏音さんは笑いながら言った。夢の話からそらしたのにまた夢の話に戻ってしまった。もう混乱するのはしょうがないから、この人とは夢の話をするしかないみたいだった。

 「奏音さん、夢が好きなんですか?バクが好きだったり。それに…俺と夢で会ったって…。」

ちょっと戸惑いながら聞いてみた。

 「んー説明するのが難しいんですけど、私は昔から不思議な力といいますか、他人の夢に登場できるんです。例えば片思いの人の夢に自分を登場させたいって思って眠りにつくとほぼ確実にその人の見ている夢の中に出られるんです。で、次の日に現実世界でその人と会うと「昨日夢に君が出てきたよ」って。そこから恋愛に発展したりとか。私の言ってること理解できてます?」

奏音さんはまた笑った。

 「理解できてるようなできてないような…あれ?けど奏音さんは俺とは現実世界では出会ってなかったですよね?なんで俺の夢にでてきたんですか?」

 「それはですね…まぁそのうちわかると思います。とりあえず龍彦君と現実世界でそのうち会えたらなぁって思ってたら今日お店に来てくれて。私、会えて物凄く嬉しいです。」

もう正直に話すと、この時点ですでに自分は奏音さんに惹かれつつあった。ちょっと不思議な人ではあったが、美人で笑顔も魅力的で明るいし、なによりとても気さくで話しやすい人だった。自分のタイプでもあった。初対面でデートに誘うのもあれなのでとりあえず何回かこの喫茶店に通うことにした。



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