第8話 王子様、町役場に行く

 そういう訳で王子さまとギャラクシーが町の上に来たときには、山の周りには人っ子一人いなかったのです。いえ、正確には一人いたのですが、その人は少し後で出てきます。

「あっ、青い風が吹いている!」

 ギャラクシーは地表に降りられないので、一人降りた王子さまはビックリしたように言っていました。そして、

「水の星?!」

と、首をかしげます。

 そして、すぐに歩き出すと空を仰ぎ深呼吸しながら「気持ちいい」とつぶやくと、うれしそうに背伸びをしていました。さらに歩いて行くと、小さくて羽毛のような可愛らしく頼りない草がビッシリ生えた、まるでカーペットを敷いたような坂道を景色を楽しみながら登っていきます。

 ところが途中まで行くと、道をふさぐ壁と建物があって、それは行く手を阻むようにどこまでも続いて終わりの見えない、それもそのはずでぐるりと山を取り囲んでいたのですから、王子さまは途方に暮れていました。

 見ると建物は壁と同化したように、例えれば満員電車で無理矢理割り込んだような形で建てられていました。建物には、“イナモトコタイキモトコタミ”町役場と書いてあります。役場は王子さまの前に立ちはだかると、まるで天を支えているかのように高く、青空に突き刺さっていました。

 民家三十軒分ほどもある巨大な建物ですから当然と言えば当然なのですが、王子さまは建物の前に立つと『この家を通らないと、山には行けないの? 嫌だなあ。』と思ってキョロキョロ辺りを眺めましたが、他に道は見つかりません。

 しかし、どうして王子さまは山に行きたいのか? それは、山に登れば空で待っているギャラクシーに、少しでも近づけると思ったからです。

 そうは言っても他に道はないものですから、しかたなく王子さまは、

「こんにちわ、こんにちわ!」

と、大理石の柱が十八本もズラズラッと並んでいる玄関に向かって、おずおずと声をかけていました。するとどうでしょう、

「う、る、さ、い!」

と、どこからか声が返ってきたのです。どこで答えているのか?! しばらくの間、王子さまは右や左、建物の上や坂道の下の方を見ていましたが、

「あっ、分かった。」

と言って、一人で納得していました。そう、それは建物の十階にある小さな窓で誰かが怒鳴り返していたのです。見ると、何かがピカピカッと光っていました。しかし、そのピカピカは怒鳴り終えると下まで聞こえるような音を立てて窓を閉めていました。

 怒鳴り声といい、苛立ったように窓を閉められると、王子さまは怒られているとしか思えませんでしたが、特に何も悪いことはしていません。

 分からないことはすぐに解決して明日に延ばさないようにと、学校でも会社でも言ってるではありませんか! そこで、王子さまもすぐに解決するため両足に力を込めると勢いよく手を振って、窓に向かって飛び上がっていました。

 王子さまは“スーパーマン”や“スパイダーマン”、また私たちが知っているどのアニメのヒーローよりも速いので、あっという間に十階の窓まできていました。そして空中にとどまると、部屋をのぞき込んでいました。

 中をのぞくと、それはそれは広い部屋で、床一面に真っ赤な絨毯じゅうたんが敷かれ壁にはたくさんの写真がズラズラッと掛けられていました。部屋には男が一人、この言い回しは落語をよく聞く人なら分かると思いますが・・・、分厚いメガネを掛け険しい顔で立っていました。

 王子さまが見たピカピカはメガネのフレームだったのですが、フレームのピカピカとは反対に男の人は地味で高そうなダボダボの服を着ていました。履いている靴もダボダボで、まるでサーカスのピエロのようでしたが、落ち着きなくあっちに行ったりこっちに行ったりしています。

 ただ裾から見え隠れする純白のソックスには金の刺繍が入れられていて、光を浴びるとまぶしいばかりに光っていました。歩き回って光らすのはいいのですが、床の真っ赤な絨毯じゅうたんはフワフワでくるぶしまで埋まって、息を切らしたおじさんランナーのようにゼイゼイ言いながら歩いています。

「ええい、どいつもこいつも! わしの気持ちも知らんと、何をしとるんじゃ?!」

 ギャラクシーと同じようにブツブツと独り言を言っていましたが、よっぽど腹に据えかねていたのでしょう、側にあった背の高い、花や木が鮮やかなすみれ色で描かれた高級そうな花瓶をにらみつけると、『ウオーッ』と言って蹴飛ばそうとしました。

 しかし、着ている服がダボダボすぎたのと絨毯じゅうたんがフワフワし過ぎていたので、裾を踏んづけると勢い余った立派なおひげさん、男の人にはそれはそれは立派な口髭が生えていましたが、スッテンコロリと何度も床を跳ねてのびてしまいました。

「おお、クソ! う、う、う、何ともいまいましい。ああ・・・、イテ!」

 おひげさんは怒りと痛さで青くなったり赤くなったりしますが、寝転んだまま腰に手を当てるとお猿さんのように撫でます。そうして、もう蹴る気力もなくなったのでしょう、立ち上がると窓の近くに置いてあった自分の三倍ほどもある大きな椅子にドカッと腰を下ろしてしまいました。

 それを見ていて窓にピタッと顔を寄せた王子さま、小さな子がガラスにほっぺたを押し当てたあの顔で、

「こんにちわ。」

と、遠慮がちに男の人を呼びました。

「ウオーッ、なんだ、なんだ、なんだ?! 何だ君は?」

 放心したように椅子に座っていた立派なおひげさんは、思わず蝶ネクタイを引っ張ったまま椅子から三十センチも飛び上がってしまいます。

 でも驚いたのは王子さまも同じで、声をかけただけでこんなに驚かれるとは思いもよらなかったものですから、耳まで真っ赤にするとドギマギしながら、

「こんにちわ! 僕、王子さまです。」

と挨拶していました。

「王子さま・・・、王子さま・・・、王子さま?! なんだそりゃ、かんだそりゃ、バカなことを。町長じゃなくて、王子さまだと?! ああ、訳分からん。」

 おひげさんは頭をかきむしり黒目をグイッとまぶたの奥まで押し上げると、カニのように口から泡を吹き出しました。ブクブクブクブクと口から出る泡がはじけると、今度は、

「ああ、金がない・・・。誰も役場に出てこんぞ・・・。どぎゃんかせんといけんばいがな・・・?」

と泡の中から言葉が飛び出してきました。王子さまは恐ろしいものを聞いてしまったような気持ちになってあわてて窓から離れましたが、小さな胸が張り裂けそうなほどドキドキしていました。そして、慌てて飛びたった王子さまが青空の中に消えようとしていた頃に、立派なおひげさんの口ひげは吹き出した泡でおおわれて見えなくなっていました。



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