タイベリーの独白(Tayberry's Monologue)
なんと聡明な女性だろうか。
私は『タチカワ』さんの類稀なる思考力と状況分析能力、よどみない弁舌に感心すると同時に、ひどくそれを怨んだ。
私はこの『ベリーズファーム&ペンション・カシス』のオーナーである。
私がこのペンション兼農場をオープンさせたのは、かけがえのない一人娘の影響である。娘の恵深は無類のベリー類好きであった。バイト先も『DEWBERRY』というカフェであったくらいだ。
もともと宮崎県のレストランの料理人だった私は、いつか退職してベリー農園を営む夢を持っていた。そんな夢を恵深に語ると、大袈裟に喜んでくれた。ベリー農園を経営するなら、私も一緒に住み込みで手伝っても良いよ、などと冗談かもしれないが笑って応えてくれた。
恵深が同性愛者だということは薄々気付いていた。高校時代に男達に性的暴行を受けた忌まわしい経験が
就職とともに上京した恵深は、あるとき恋人が出来たと報告してきた。そして、おそるおそる娘は言った。「相手は……、女の子──なの」と。
私の推測は現実のものになってしまったが、恵深にとって大切な人であれば、出来るだけ応援したい気持ちでいた。それがたとえ女性であっても。だから私は一言「おめでとう! 良かったね」と言った。
そんな恵深が順調に愛を
将来的には渋谷区に引っ越して、同性パートナーシップ証明書を提出すると聞いた。まだ条例でそれを認めている自治体はかなり少ない。LGBTという言葉が少しずつ認知されてきて、これから増えるだろうが、世間的にはまだまだ風当たりの強いマイノリティーである。その中でも、敢えて同性婚という道を娘たちは選んだ。若干イレギュラーであっても、それが彼女たちにとっての愛の形なのだ。
しかし、そんな矢先であった。
恵深がストーカーに追われた挙句、事故を起こしてしまったらしい。恵深の運転する車は、ストーカーを
事故の一報を聞いて、私は急遽、宮崎から
ところが恩さんは恵深を見捨てなかった。片足なくなったって義足で歩けるじゃない、と恵深を励まし続けた。その甲斐あってか、恵深の積極的なリハビリで順調な快復を見せていた。退院したらさっそく結婚の前撮りをしようね、と笑いながら二人で喋っていたのが印象的であった。
退院を翌週に控えたある日のことであった。
恵深は自害した。
四年前の八月二十日の深夜のことだった。
その報せを受けた私は、にわかに信じられなかった。信じられるわけがなかった。ハンディキャップを背負っても、新しい可能性に向かって歩みだそうとしていた矢先だった。ようやく笑顔を取り戻しつつあったのになぜ。
現地で得た情報は、どうやら恵深は何者かに暴行を受けたらしい。病室という閉鎖空間でおぞましい恥辱を受けていたというのか。
心当たりがあった。もともと恵深はストーカー被害を受けていたのだ。直接的ではないとはいえ、ストーカーらの行為によって恵深は怪我を負った。どうやら見舞いにも来たと言うが、謝罪もなしに雀の涙ほどのお金を置いていっただけらしい。そればかりか、
もし、恵深に危害を加えたのが彼らの仕業なら、許すことなど出来ない。法によって裁かれるべきだ。
しかし恵深は遺書を書いていなかったようだ。暴行の犯人たちも、確固たる証拠がなかった。もしかして、恵深の身体の中に加害者たちの体液が付着しているのではないかと主張したが、警察はあまり
結局私の訴えは泣き寝入りに終わってしまった。身体の一部を欠損した精神障害者が悲嘆に暮れた挙句、
納得がいくわけがなかった。せめて恵深が死してもなおのうのうと生きているかもしれない加害者たちが誰か暴きたかった。私は、恵深が言っていた『ミックスベリー』のグループチャットなるものを探してみた。インターネットは便利であった。辿り着いたコミュニティーは一見、犯罪とは無縁そうなものであった。ハンドルネームと呼ばれるニックネームがベリー類の果実である。このような世界には縁がなかったのでよく分からなかったが、調べてみようと思った。参加資格として、ベリー類の名前に本名が由来していることという文言があった。『銀鏡』という名前から『シルバーベリー』と名乗りたかったが、既に使用されていた。仕方なく『泰』という名前が、国名のタイの漢字表記であるため、『タイベリー』と名乗って、様子を窺うことにした。
一方で仕事はめっきりやる気を失っていた。私は辞職して、ベリー農園を営むことにした。ベリー農園を作れば、そこに恵深の魂が現れてくれるような気がしたからだ。比較的寒冷な気候の方が栽培に適しているというので、温暖な宮崎ではなく長野の山間部に引っ越すことにした。日頃から慎ましく生きてきた私は、貯金は潤沢であった。
農業に造詣が深かったわけではないが、宮崎は日本有数の農業県であり、多少の知識はあった。宮崎と気候はかなり違っていたが、順調にベリー類は育ってくれた。品種改良も進んで、簡単に効率良く育つものが増えたのだろう。
最初は農園だけだったが、遠方からでも来やすいようにペンションも経営することにした。その狙いは客のニーズに
一方の、恵深を襲った犯人たちの手がかりはなかなか掴めなかった。長野県で宿泊客の対応に追われているようであれば、それに時間を割けないのは自明の理であった。チャットにも顔を出していたが、『ミックスベリー』の仲間たちは、表面上かもしれないが仲睦まじく会話を楽しんでいた。一人称が『僕』または『俺』の、明らかに性別が男だと分かる人は、東京在住ではないらしい。『ハックルベリー』は三重県、『ゴールデンベリー』は大分県、『グーズベリー』は栃木県の出身もしくは在住らしい。
しかし、あるとき『ミックスベリー』のメンバーで初のオフ会を泊まりがけで行うという案が浮上した。全国津々浦々に散らばる彼、彼女らだが、意外なほどに皆、積極的であった。それは今から半年ほども前であり、皆、職場の日程を調整して、十四名中十二名の参加を確約したのだ。
なお、私『タイベリー』は不参加を表明した。最初から不参加ではなく、あとから都合が付かなくなったと嘘をついたのだ。これにはある目的があった。私は恵深を襲った人間を暴くのが目的で入会しており、もともとメンバーと実際に会って仲良くなるつもりなどない。ならば、自分のペンション兼ファームをオフ会の舞台にすれば良いではないかと思ったのだ。幸いオフ会が行われようとしている日には、まだ宿泊予定客はいない。貸し切りにしてしまおうと、私『タイベリー』から提案したのだ。これほどまで好条件にして『ミックスベリー』にうってつけの舞台はない、と言って。同時に私はペンションのホームページにあるオーナーの名前を削除した。『銀鏡 泰』と明記したら、その苗字を見たストーカーたちが恵深の飛び降り自殺事件と
『ミックスベリー』のメンバーは予想どおり、第一回オフ会の場をこのペンションで開催することに異議を唱えなかった。これで、犯人たちの顔を拝めるかもしれないと思った。反省すらしていないかもしれない彼らに、せめて
しかし思いがけない客が来た。オフ会開催の一ヶ月前。八月二十日。恵深の命日の出来事である。
ここには普段、家族客かカップルが来る。その客は一人であった。まだ若い美しい女性だ。珍しいことである。いや、はじめてかも知れない。一人旅なのかもしれないが、ベリー農園に来るのは異例である。
さらには、チェックイン時に
この客は、絶対恵深に関わりを持つ人物だと思った。
それを支持する気にはなれなかったが、なぜか止める気にもならなかった。大切な宿泊客を、勝手にこれから危険行動を起こす要注意人物だと決めつけるのは、オーナーとして如何なものかと思い
やはり、その『銀鏡 恩』と名乗る女性客の行動は、明らかに観光や
ロビーや食堂で、調度品やインテリアをまじまじと観察したり、火かき棒の重さを確認するように手に取ってみたりしていた。さらには外に出て、客室の中がどのように見えるか観察したり、非常口の扉を観察したりしていた。まるで建築家のようにそれをメモに取っていた。何よりもそれを私にアピールしているが如くであった。
そしてオフ会当日を迎えた。
私の読みどおり、ぞろぞろと集まったメンバーの中に、偵察に来ていた
同時に、吊り橋というただ一つの退路を断たれたことにより、事件に連続性を臭わせた。私は、『銀鏡 恩』の犯行であることを
そして事件は彩峰さんの自殺をもって終焉に向かうはずであった。
正直、恩が犯人であることを微塵も感じさせないほど見事なシナリオだったと思う。しかしながら、予告殺人とは異なる人物が死んでいたり、女性の彩峰さんが死んでいたり、不可解な点はあった。
恵深を襲ったストーカーグループが誰なのか私は知らなかったが、相馬さんはあまりストーカーには見えなかった。これは完全に見た目の判断であるが、もし恩が『マルベリー』の正体を間違えて襲ってしまったら、何のための綿密な殺人計画か分からない。残る男性は、『ヒデタカ』、訓覇先生、『クラタ』の三名。訓覇先生は『ハックルベリー』なので除外だ。そして、『ヒデタカ』の正体について私は知っていた。あの男は、
私は機転を利かした。まず彩峰さんの部屋の密室状況を
現実は甘くなかった。
『クランベリー』と名乗った『タチカワ』さんにより、いとも簡単に状況の不自然さを指摘し、鮮やかに真相を暴いたのだ。
恩の巧妙なトリックだけでなく、私が警察を意図的に遮断し捜査を攪乱していたことも。何と洞察力、観察力、状況分析力に秀でた女性だろうか。
私と恩の計画は、『クランベリー』によって瓦解した。
激情に駆られた恩が『マルベリー』こと本名丸森をバタフライナイフで刺そうとしたとき、本当に今更ながらこれ以上恩に罪を重ねて欲しくないという歪んだ道義心が働いた。罪を償え、などという
そのときだった。目の前を閃光のごとく横切った人物がいた。その人物は殺意を抱いていた。
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タイベリー(Tayberry)
ブラックベリーとラズベリーの種間交配種。イチゴ大の黒紫色の果実。赤く色づいた後、黒紫っぽく色づいていきます。樹勢はブラックベリー譲りで丈夫で育てやすく、果実はラズベリーに近く大実。七月収穫。品種名メジーナが日本で出回っている。香りが強く、ジャムに良い。
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