タイベリーの独白(Tayberry's Monologue)

 なんと聡明な女性だろうか。

 私は『タチカワ』さんの類稀なる思考力と状況分析能力、よどみない弁舌に感心すると同時に、ひどくそれを怨んだ。


 私はこの『ベリーズファーム&ペンション・カシス』のオーナーである。

 私がこのペンション兼農場をオープンさせたのは、かけがえのない一人娘の影響である。娘の恵深は無類のベリー類好きであった。バイト先も『DEWBERRY』というカフェであったくらいだ。

 もともと宮崎県のレストランの料理人だった私は、いつか退職してベリー農園を営む夢を持っていた。そんな夢を恵深に語ると、大袈裟に喜んでくれた。ベリー農園を経営するなら、私も一緒に住み込みで手伝っても良いよ、などと冗談かもしれないが笑って応えてくれた。

 恵深が同性愛者だということは薄々気付いていた。高校時代に男達に性的暴行を受けた忌まわしい経験が心的外傷トラウマとして根強く残ってしまった恵深は、残念ながら男性を恋愛の対象として捉えることが出来なくなったようだ。私以外の男性には心を閉ざしていた。一方で大学時代は少数の仲の良い女子とよく買い物などに出かけていた。その友達に彼氏ができると、ひどく落ち込んでいた。容姿は母譲りで美しい恵深が大学の四年間で一度も彼氏が出来なかったのは、そもそも異性をそういう対象に出来なかったのではないか、と私も気付き始めていた。

 就職とともに上京した恵深は、あるとき恋人が出来たと報告してきた。そして、おそるおそる娘は言った。「相手は……、女の子──なの」と。

 私の推測は現実のものになってしまったが、恵深にとって大切な人であれば、出来るだけ応援したい気持ちでいた。それがたとえ女性であっても。だから私は一言「おめでとう! 良かったね」と言った。

 そんな恵深が順調に愛をはぐくみ、結婚の意志があることを聞いた。面白いことに、相手の名前も『めぐみ』というらしかった。『恩』と書いて『めぐみ』と読むそうだ。一体どうやって呼び合っているのか、と聞いたら、一人称が『私』で相手を呼ぶときは『メグちゃん』だから、二人で会話する分には何ら困らない、と笑っていた。

 将来的には渋谷区に引っ越して、同性パートナーシップ証明書を提出すると聞いた。まだ条例でそれを認めている自治体はかなり少ない。LGBTという言葉が少しずつ認知されてきて、これから増えるだろうが、世間的にはまだまだ風当たりの強いマイノリティーである。その中でも、敢えて同性婚という道を娘たちは選んだ。若干イレギュラーであっても、それが彼女たちにとっての愛の形なのだ。

 しかし、そんな矢先であった。

 恵深がストーカーに追われた挙句、事故を起こしてしまったらしい。恵深の運転する車は、ストーカーをこうとしてスピードを出し過ぎたあまり曲がりきれず、ガードレールに激突した。

 事故の一報を聞いて、私は急遽、宮崎からはねに向かった。恵深は片足の足首から先を切断する大怪我を負ってしまった。幸い命には別状はなく、意識もはっきりしていた。しかし婚約者のめぐみさんに、かたわになってしまった自分が捨てられるのではないか、という不安に押し潰されそうになっていた。それはあたかも足を失うことよりも大きな恐怖だったように見えた。

 ところが恩さんは恵深を見捨てなかった。片足なくなったって義足で歩けるじゃない、と恵深を励まし続けた。その甲斐あってか、恵深の積極的なリハビリで順調な快復を見せていた。退院したらさっそく結婚の前撮りをしようね、と笑いながら二人で喋っていたのが印象的であった。

 退院を翌週に控えたある日のことであった。

 恵深は自害した。

 四年前の八月二十日の深夜のことだった。

 その報せを受けた私は、にわかに信じられなかった。信じられるわけがなかった。ハンディキャップを背負っても、新しい可能性に向かって歩みだそうとしていた矢先だった。ようやく笑顔を取り戻しつつあったのになぜ。

 現地で得た情報は、どうやら恵深は何者かに暴行を受けたらしい。病室という閉鎖空間でおぞましい恥辱を受けていたというのか。

 心当たりがあった。もともと恵深はストーカー被害を受けていたのだ。直接的ではないとはいえ、ストーカーらの行為によって恵深は怪我を負った。どうやら見舞いにも来たと言うが、謝罪もなしに雀の涙ほどのお金を置いていっただけらしい。そればかりか、べつとも憐憫れんびんとも淫欲とも取れる目で、恵深を見てきたらしい。誠意などどこにもなく胸糞の悪さだけが残ったといきどっていた。そのストーカーについて問うたところ、素性のよく分からない三人の男だということだ。でも『ミックスベリー』というグループを構成しているらしい。何のことかさっぱり分からなかったが、恵深自身も知らないという。いくらベリー類が好きな恵深といえど、加害者たちのことなど知りたくもないだろう。ストーカーについて得られた情報はそれだけだった。

 もし、恵深に危害を加えたのが彼らの仕業なら、許すことなど出来ない。法によって裁かれるべきだ。

 しかし恵深は遺書を書いていなかったようだ。暴行の犯人たちも、確固たる証拠がなかった。もしかして、恵深の身体の中に加害者たちの体液が付着しているのではないかと主張したが、警察はあまり大事おおごとにしたくなかったのか、調査には非常に消極的であった。邪推かもしれないが、恵深がLGBTであるがゆえに、蔑視されているかと勘繰ったほどだ。

 結局私の訴えは泣き寝入りに終わってしまった。身体の一部を欠損した精神障害者が悲嘆に暮れた挙句、さいに至ったと結論づけられた。

 納得がいくわけがなかった。せめて恵深が死してもなおのうのうと生きているかもしれない加害者たちが誰か暴きたかった。私は、恵深が言っていた『ミックスベリー』のグループチャットなるものを探してみた。インターネットは便利であった。辿り着いたコミュニティーは一見、犯罪とは無縁そうなものであった。ハンドルネームと呼ばれるニックネームがベリー類の果実である。このような世界には縁がなかったのでよく分からなかったが、調べてみようと思った。参加資格として、ベリー類の名前に本名が由来していることという文言があった。『銀鏡』という名前から『シルバーベリー』と名乗りたかったが、既に使用されていた。仕方なく『泰』という名前が、国名のタイの漢字表記であるため、『タイベリー』と名乗って、様子を窺うことにした。

 一方で仕事はめっきりやる気を失っていた。私は辞職して、ベリー農園を営むことにした。ベリー農園を作れば、そこに恵深の魂が現れてくれるような気がしたからだ。比較的寒冷な気候の方が栽培に適しているというので、温暖な宮崎ではなく長野の山間部に引っ越すことにした。日頃から慎ましく生きてきた私は、貯金は潤沢であった。

 農業に造詣が深かったわけではないが、宮崎は日本有数の農業県であり、多少の知識はあった。宮崎と気候はかなり違っていたが、順調にベリー類は育ってくれた。品種改良も進んで、簡単に効率良く育つものが増えたのだろう。

 最初は農園だけだったが、遠方からでも来やすいようにペンションも経営することにした。その狙いは客のニーズにかなっていたようで、順風満帆だった。東京や名古屋からでも足を伸ばしてペンションに宿泊する人は多かった。渓谷のそばにあり、吊り橋を渡りながら絶景を味わえるのもセールスポイントだ。元料理人の私が、長年つちかってきた技で振る舞われる料理も評判だった。ペンションの名称は『ベリーズファーム&ペンション・カシス』。『カシス』としたのは、農園でカシスを栽培しており、比較的キャッチーな響きであろうという単純な意図で大きな意味はない。

 一方の、恵深を襲った犯人たちの手がかりはなかなか掴めなかった。長野県で宿泊客の対応に追われているようであれば、それに時間を割けないのは自明の理であった。チャットにも顔を出していたが、『ミックスベリー』の仲間たちは、表面上かもしれないが仲睦まじく会話を楽しんでいた。一人称が『僕』または『俺』の、明らかに性別が男だと分かる人は、東京在住ではないらしい。『ハックルベリー』は三重県、『ゴールデンベリー』は大分県、『グーズベリー』は栃木県の出身もしくは在住らしい。

 しかし、あるとき『ミックスベリー』のメンバーで初のオフ会を泊まりがけで行うという案が浮上した。全国津々浦々に散らばる彼、彼女らだが、意外なほどに皆、積極的であった。それは今から半年ほども前であり、皆、職場の日程を調整して、十四名中十二名の参加を確約したのだ。

 なお、私『タイベリー』は不参加を表明した。最初から不参加ではなく、あとから都合が付かなくなったと嘘をついたのだ。これにはある目的があった。私は恵深を襲った人間を暴くのが目的で入会しており、もともとメンバーと実際に会って仲良くなるつもりなどない。ならば、自分のペンション兼ファームをオフ会の舞台にすれば良いではないかと思ったのだ。幸いオフ会が行われようとしている日には、まだ宿泊予定客はいない。貸し切りにしてしまおうと、私『タイベリー』から提案したのだ。これほどまで好条件にして『ミックスベリー』にうってつけの舞台はない、と言って。同時に私はペンションのホームページにあるオーナーの名前を削除した。『銀鏡 泰』と明記したら、その苗字を見たストーカーたちが恵深の飛び降り自殺事件とひもけて、そこはやめようと言うかもしれないからだ。オフ会中は『カシス』に因んで『菓子かしすみ』と名乗ろう。変な名前だが、ハンドルネームと本名がリンクする『ミックスベリー』の会のコンセプトに合致しているかもしれない。富山県出身というのも真っ赤な嘘だ。

 『ミックスベリー』のメンバーは予想どおり、第一回オフ会の場をこのペンションで開催することに異議を唱えなかった。これで、犯人たちの顔を拝めるかもしれないと思った。反省すらしていないかもしれない彼らに、せめてざんさせたかった。ここには恵深の魂もきっと来ている。オーナー室に置かれている娘の遺影に向かって手をついて謝らせたかった。そして罪を悔い改めるよう誓わせたかった。

 しかし思いがけない客が来た。オフ会開催の一ヶ月前。八月二十日。恵深の命日の出来事である。

 ここには普段、家族客かカップルが来る。その客は一人であった。まだ若い美しい女性だ。珍しいことである。いや、はじめてかも知れない。一人旅なのかもしれないが、ベリー農園に来るのは異例である。

 さらには、チェックイン時に宿やどちょうに記された名前を見て大いに驚いた。そこには『銀鏡 恩』と書かれていたからだ。娘の命日、オフ会を前にして単なる偶然だとは思えなかった。

 この客は、絶対恵深に関わりを持つ人物だと思った。さいに思い出してみると、恵深の棺にすがるように泣いていた弔問客だ。それに『めぐみ』というのは恵深の婚約者ではなかろうか。この人は、達成できなかった同性婚を妄想して、あたかも結婚したかのように『銀鏡』という姓を名乗っているのだと思った。そして同時に悟った。この女性はオフ会で何かアクションを起こす、と。

 それを支持する気にはなれなかったが、なぜか止める気にもならなかった。大切な宿泊客を、勝手にこれから危険行動を起こす要注意人物だと決めつけるのは、オーナーとして如何なものかと思いはばかられたのもあったかもしれない。

 やはり、その『銀鏡 恩』と名乗る女性客の行動は、明らかに観光やさんという類いのものではまったくなかった。まさしく偵察だった。それ以外の何物でもない。

 ロビーや食堂で、調度品やインテリアをまじまじと観察したり、火かき棒の重さを確認するように手に取ってみたりしていた。さらには外に出て、客室の中がどのように見えるか観察したり、非常口の扉を観察したりしていた。まるで建築家のようにそれをメモに取っていた。何よりもそれを私にアピールしているが如くであった。

 

 そしてオフ会当日を迎えた。

 私の読みどおり、ぞろぞろと集まったメンバーの中に、偵察に来ていたくだんの女性もいた。川上犬のシンが吠えなかった。シンは一度経験した臭いに対しては警戒を解く習性があった。そして、待っていましたと言わんばかりにさっそく凶行が行われた。幹事が崖から転落した上に、吊り橋が破壊された。想像の斜め上をいう残虐な犯行でおののいたが、直感的にこれは『銀鏡 恩』の犯行だと悟った。同時にこの幹事が、恵深を襲った犯人グループの一人だということに驚きを感じつつも、被害者に憐れみを持つことはなかった。

 同時に、吊り橋というただ一つの退路を断たれたことにより、事件に連続性を臭わせた。私は、『銀鏡 恩』の犯行であることを隠蔽いんぺいし、事件を攪乱、さらに次なる殺害を幇助ほうじょまでした上で、彼女を擁護してやろうと思った。決して褒められることではない。むしろ大いに痛烈に非難されることだと分かっていた。しかし、恵深の無念を晴らすべく自己を犠牲にする行動をたすけずにはいられなかった。

 そして事件は彩峰さんの自殺をもって終焉に向かうはずであった。

 正直、恩が犯人であることを微塵も感じさせないほど見事なシナリオだったと思う。しかしながら、予告殺人とは異なる人物が死んでいたり、女性の彩峰さんが死んでいたり、不可解な点はあった。

 恵深を襲ったストーカーグループが誰なのか私は知らなかったが、相馬さんはあまりストーカーには見えなかった。これは完全に見た目の判断であるが、もし恩が『マルベリー』の正体を間違えて襲ってしまったら、何のための綿密な殺人計画か分からない。残る男性は、『ヒデタカ』、訓覇先生、『クラタ』の三名。訓覇先生は『ハックルベリー』なので除外だ。そして、『ヒデタカ』の正体について私は知っていた。あの男は、ようの不倫相手だ。何でここにいる、と驚きを隠せないままでいるが、彼に対してはもう私の中では不問に処している。年月を経てずいぶん老け込んだが、面影は充分残っている。消去法で『クラタ』が『マルベリー』だ。しかも私は、恩が彩峰さんを自殺に見立てて殺しているところを目撃してしまった。だから、彩峰さんが『クラタ』を襲撃したことにしなければならなかったのだ。でないと辻褄が合わなくなる。

 私は機転を利かした。まず彩峰さんの部屋の密室状況を捏造ねつぞうした。大胆にも皆の前で窓が閉まっていると嘘をついた。そして一同をロビーに集結させてからは、オーナー権限で比較的自由に行動が出来た。次に、客室の非常口から彩峰さんの部屋に向かう鮮明に足跡を付けておいた。彩峰さんの部屋には、即席で作った死神の装束のダミーを用意しておいた。さらには非常口の外開きの扉をもう少しで閉まりそうな状態にドアクローザーを調整したのだ。ちょっと押せば、ガチャリと音を立てるように。そして逃げ込む予定の空き部屋の扉をあらかじめ開けておく。非常口へと向かう分岐の付近に空き部屋があったのだ。これで準備は完了だ。そして行動に出る。プレイルームにハロウィンパーティー用の死神のコスチュームがあったのでそれに変装した。鎌は草刈り用のものを持ってきた。死神の鎌にしては短いが、この際仕方がない。これで、皆の前に現れて、恩と犯人が併存している状況を作り出すのだ。そして『クラタ』を襲う。また恩を襲うフリをすれば、恩が犯人でないと信じさせる後押しとなる。しかし『ヒデタカ』の死に物狂いの反撃で『クラタ』をりくすることは結局出来なかった。私が死神を振る舞える時間も限られていた。死神のコスチュームの隙間から、中身が彩峰でないことが悟られたらおしまいなのだ。『クラタ』をこれ以上襲撃することを諦めて客室方面に逃げ、非常口から出たように見せかけるため、廊下に鎌を放って、その空き部屋に駆け込む。死神のコスチュームを脱いで適当に隠し、最後に空気の移動で非常口の扉がガチャリというように空き部屋の扉を勢いよく開けた。実際に着た死神の装束は後で処分すれば良い。これで恩が犯人ではないという状況証拠を作れる、はずだった。


 現実は甘くなかった。

 『クランベリー』と名乗った『タチカワ』さんにより、いとも簡単に状況の不自然さを指摘し、鮮やかに真相を暴いたのだ。

 恩の巧妙なトリックだけでなく、私が警察を意図的に遮断し捜査を攪乱していたことも。何と洞察力、観察力、状況分析力に秀でた女性だろうか。

 私と恩の計画は、『クランベリー』によって瓦解した。

 激情に駆られた恩が『マルベリー』こと本名丸森をバタフライナイフで刺そうとしたとき、本当に今更ながらこれ以上恩に罪を重ねて欲しくないという歪んだ道義心が働いた。罪を償え、などというたくを並べた。我ながら実に最低な人間だと思う。ストーカーの一味である丸森を殺められなかった無力感と、これと相反して被害を大きくしてはならないという正義感が、胸の中で同居していた。


 そのときだった。目の前を閃光のごとく横切った人物がいた。その人物は殺意を抱いていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆


タイベリー(Tayberry)


ブラックベリーとラズベリーの種間交配種。イチゴ大の黒紫色の果実。赤く色づいた後、黒紫っぽく色づいていきます。樹勢はブラックベリー譲りで丈夫で育てやすく、果実はラズベリーに近く大実。七月収穫。品種名メジーナが日本で出回っている。香りが強く、ジャムに良い。

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