第二十四話 匪賊(Vicious persons)

「メ、『メグ』さん。本当かい?」

 そう口を開いたのは『ヒデタカ』であったが、他の者も同様に信じられないという表情を見せていた。

「ええ。私が吊り橋を落として外部と遮断し、枡谷、後藤、彩峰、それから相馬さんを死に追いやり、訓覇さんを襲撃したように見せかけ、さらには『ヒマラヤンブラックベリー』と名乗って、『ミホ』さんに私を襲わせた、真犯人よ! まさか訓覇さんのあのフェイスシールドが証拠になるとはね。すっかり失念していた私が不明だった。念のため、死んだ後藤の口の中を洗って、彩峰を殺したあと彼女の唾液を採取して後藤の死体の口に含ませたのに、無意味だったのね……」

 銀鏡は捨て鉢な物言いで自白した。しかしすぐに涙を目に浮かべてひざまずいた。

「そ、相馬さん、あなたを殺してしまった……。ごめんなさい!」すでに取り返しのつかない被害者に泣いて謝った。その態度の変わりぶりはすでに情緒を乱しているようであった。

「信じられん……」本人が自供してもなお、言葉に説得力はなかった。それもそうだろう。知鶴が銀鏡に詰問きつもんするまでは、誰もが瀕死の重傷を負った被害者としてしか見ていなかった。誰も彼女を犯人だと思いもよらなかったはずだ。

「オーナー、もう何てことしてくれたのぉ! あんな死神の演出、すぐバレるに決まってるでしょ!?」銀鏡は涙で崩れた顔で菓子オーナーを責めているが、その姿はやや錯乱しているように見えた。一方の菓子オーナーは渋い表情で沈黙を守っている。

「菓子オーナー、私もあなたに質問したい。何で、警察が来られないと嘘をついたんです?」知鶴は静かに尋ねた。

「……!! 『タチカワ』さん、あなたは、すべて知っておいでか……!」菓子オーナーは突然の指摘に目を見開いた。

「え!? 警察が来られないってのは嘘だったんですか!?」『ワカバヤシ』は驚愕している。

「私ももっと早く気付いているべきだった。オーナーは警察に連絡したフリをしただけなんです。土砂崩れで警察が来られないっていうのはオーナーの作り話だったんです。だって、このペンションに来るまでは九十九つづらおりの山道だったけど、ここに向かうT字路を曲がってからは山ではなく森の中を進んでいるような道でした。土砂崩れなんて起こりそうな道じゃないんです。そして、通常はフロントから電話がかけられると思うのですが、あのときわざわざロビーを抜けた奥にあるオーナー室に入って電話をかけに行きましたね。それも思い返してみると不自然です」

「そ、そういえば……」

「そして、銀鏡さん。あなたの銀鏡恵深ってのは偽名ですね?」

「ぎ、偽名!?」頓狂な声を出したは訓覇だ。対照的に『ヒデタカ』や川幡は驚いていない。

「失礼ながら、あなたのバッグから身分証明書を探したときに、運転免許証が見当たりませんでした。車で来ていると思われるのに、おかしいなと思いました。代わりに保険証や診察券といった、顔写真のない身分証明書ばかり出てきました」

 実はここから先は、知鶴は自分で真相を説明したくなかった。ある程度は、院長からのメールで動機となるものは分かっている。でもデリケートな問題なのだ。できれば、犯人の口から聞きたかった。いや、どうしても聞かなければならない。ある人物を糾弾するために。

 銀鏡は黙っている。

「お願いです。真相を語って下さい。なぜあなたは殺さなければならなかったのかを」

 明らかに彼女は思い悩んでいた。語るべきか語らざるべきかを。きっとこれまで辛い仕打ちを受けてきたに違いないのだろう。知鶴まで胸がきつく締め付けられる思いだ。

 一分間ほどの沈黙のあと、ゆっくりと銀鏡は口を開いた。

「菓子オーナーはね。私の義理の父親になるはずだった人なの」

「え!?」当事者と知鶴を覗く一同は驚きの声を上げていた。

 知鶴は、これから自称『銀鏡恵深』が語ることはある程度想像ができていた。でもこれは本人の口から語られるべき内容なのだ。

「ちょっとずつ認知されてきたとはいえ、まだまだ世間の風当たりが強いから本当は言いたくなかったの。このことは……」

「……」菓子オーナーを含め一同は押し黙っている。

「私はね、本名は鎌形かまがためぐみって言います。だから『メグ』っていう呼び方は偽名じゃないのよ。銀鏡は偽名だけど。そして、私はLGBT。テレビで一回くらいは耳にしたことあるでしょ? レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、そしてトランスジェンダーの頭文字を取った呼び名で、いわゆる性的マイノリティーってやつ。私はその中のレズビアンなの」

「LGBT……」『ヒデタカ』が呟く。驚きよりも、その言葉の意味を深く噛みしめているようだった。

「私の恋愛対象が女性でしかないことに気付いたのは高校生の頃。昔から割と背が高くて目立っていた私は、男子から告白されることも多かった。この頃はまだ誰かを好きになることをあまり理解できず、愛するって何だろうって思っていた。告白された男子の中でもいちばん誠意の伝わってきた同級生の男子と付き合ってみた。そして時間が経てばもっと好きという気持ちになれるのかな、と思いながら過ごしていた。でも……」

 皆、かたを飲んで彼女の発言を見守っているようだった。

「交際数か月経ったあるとき、その彼がついに私に肉体関係を求めてきたことがあった。交際していればそういう気持ちになるのはごく当然のことかもしれないし、彼は別に私に無理やり迫ったわけではない。彼は優しかったし、私の話をよく聞いてくれる人だった。でも私はどうしても受け入れられなかった。男性の裸に拒否反応のようなものを感じてしまって……。それを告げたら、彼はショックを受け、自然に別れることになった。そのときに、私は男性を愛することができない人間ではないかということを悟ったの」

 彼女は遠くの壁を眺めながら、どこか吹っ切れたような笑みをこぼしていた。その瞳は涙で潤んでいるように見えた。その表情からは、悲しみと解放感の入り交じったような複雑な心情が垣間見られた。

「その後、大学に入ってそれなりに名のある会社に就職して、男性から言い寄られることが多々あったけど、どうしても誰にも性的な魅力というものを感じることはできなかったの。そのとき、とある女性に出会った。彼女は同じ職場の一つ下の女性で、ばゆい光のような、でも一方でどこか影を感じるような美しい人でした。その彼女と話す機会があって、そのうちに少しずつその人の魅力に気付いた。九州から仕事のために単身上京したこと、父子家庭であり男手一つで育てられたこと。私が男性を恋愛対象にできないことを言うと彼女はどこか安心したように衝撃の事実を語ってくれた。それは、彼女は以前レイプの被害に遭っており、そのときから男性を一切受け付けなくなったということ。ちなみに、私の両親は大学のときまでに二人とも病気で亡くなっていて苦労を味わってきたけど、彼女は彼女でかなり苦労をしてきたことを知った。そして彼女自身もレズビアンであること自覚していて、私に心を許してくれるようになった。ただの職場の同僚ではなく、友達を超えて、恋人という仲に発展するのには時間はかからなかった。自然の成り行きだった。そして私は思ったの。自分がレズビアンであることをしっかり自覚して、それを包み隠さず生きていこうって──。でも現実は甘くなかった」

「世間の目がそれを許さなかった、とか」訓覇が重々しい口調で察するように言った。

「そう。私たちがレズビアン同士だと悟った他の同僚の間で噂になり、上司の耳にも入った。おそらく職場にLGBTの人間がいることを不快に思ったんでしょう。同僚からも上司からも嫌がらせを受け、私たちは退職に追い込まれました」

「ひどい……」そう呟いたのは『ワカバヤシ』だ。

「再就職を試みるも、時代は氷河期。一身上の理由で退職した履歴のある人間をほいほい雇ってくれるほど世間は甘くなかった。私だけは何とか、都内のとある病院の事務職に入り込むことはできたけど、彼女はなかなか正社員として採用されることはなく、カフェ店員としてアルバイトをしながら生活していました。そのカフェは『DEWBERRYデューベリー CAFÉカフェ』と言ってベリー類を使った月替わりスイーツを看板メニューにしている店で、彼女自身もベリー類は大好物だったからアルバイトながらも彼女なりにやりがいを感じながらやっていたわ」

「その彼女さんもベリー好きだったんだね」再び訓覇が、今度はどこか同情するように言った。

「そう。実はその彼女こそが、本物の銀鏡恵深です。世間の風当たりは強くても私たちはその関係をはぐくみ、ついに結婚しようと言う話になったの。そして、パートナーシップ条例を出している東京都しぶで同性パートナーシップ証明書を提出する予定だった。同性婚は通常の婚姻とは違うけど、今後もし普及すれば同じ苗字を名乗れる日も来るのかな、そのときは私も『銀鏡』という苗字を名乗ってみようかな。だって素敵な苗字ですもの。でもそうしたら二人とも『銀鏡めぐみ』になるね、なんて笑い合ったりしてた。楽しい日々だった。恵深と二人なら、待ち構える苦難も立ち向かえる気がしていた。しかしながら同性婚と言う幸せを目前にして悲劇が私たちを襲ったの」

「同性愛者が何を言ってやがる。もうこいつさっさと警察に突き出そうぜ!」丸森が妨害する。知鶴はその言葉を聞いて、着火したかのごとく憤激し、彼を鋭く睨み付けた。

「丸森ィッ!! 貴様は黙っとけ!!」知鶴は自分でも信じられないほど大きく威迫的な声を出していた。それを聞いた訓覇や『ヒデタカ』は目を丸くして怯んでいるように見えた。知鶴は一応謝っておく。「あ、すみません。鎌形かまがたさん、続けて下さい。その悲劇とは何ですか?」知鶴は、混同しないように敢えて彼女の本名である『鎌形』と呼んだ。殺人犯ではない丸森には恫喝どうかつで返し、殺人犯であるはずの鎌形には敬語で対応する。この逆転現象が、これから展開される不条理さゆえであるのだ。

 鎌形は知鶴と丸森を一瞥いちべつしてから話を再開した。いや丸森に対しては睨みを利かせたと言った方が正確かもしれない。

「その悲劇の始まりは、恵深がカフェの仕事をして数か月した頃。彼女の勤務先の店に一人の男が来店したの。目を奪われるくらいの彼女の美貌に心打たれたその男は、彼女にクレームを口実にナンパを試みるもあえなく撃沈。どうしても諦めきれなかった彼は、元職場の先輩にお願いした。見た目の冴えない彼に比べてちょっとだけなルックスの彼がそのカフェに行って、同じように恵深をナンパした。それでも恵深の心は揺るがなかった。当たり前だよね。恵深はレズビアンだもの。でも懲りない奴らは、ルックスだけは整っている仲間にナンパを懇願した。その男は、偶然にも自分たちがベリー類の名前と関連していることに着目した。そしてお目当ての店員の苗字は『銀鏡』。カフェは『DEWBERRYデューベリー』。こいつは急遽、野郎三人でグループチャット『ミックスベリーの会』を発足し、恵深を『シルバーベリー』という名前で招待した。さすが、今回のオフ会を企画するだけあって、ただのサル頭ではなかったね。そう、この男こそが枡谷一期。二番目にナンパした男が後藤輝市。最初にナンパした冴えないチビがここにいる丸森桑麻。枡谷は『ストロベリー』、後藤は『ラズベリー』、丸森は『マルベリー』と名乗って、恵深をチャット仲間に引き入れることによって仲良くなろうと考えたのよ」

 ここで鎌形恩は一つ間を置こうとした。しかし間髪入れず、「それでその彼女はどうしたんですか?」と『ワカバヤシ』が質問する。

「そんな、いくら『ミックスベリーの会』なんて可愛い名前でも、彼女は入らなかったわ。彼女は男性恐怖症だったし、出逢いなんて求めてなかったし、それより何より、彼女はスマートフォンもパソコンも持っていなかった」

「それじゃ、出来ようがないですね」『ワカバヤシ』が納得して頷いている。

「でもこの三人は、往生際が悪く諦めなかった。余程恵深のことが気に入ったんでしょう。彼女がレズビアンだとも知らずに執拗に店舗の周りをうろついたり、彼女の仕事終わりを待ち伏せしたりしていた。そんなある日にとうとう悪夢が発生した。恵深は、この男三人組に仕事終わりを待ち伏せされ付きまとわれた上に、そいつらに車であおられ交通事故を起こされたの。命に別状はなかったものの、右の足首から先を失う大怪我を負った」

「そんな……」川幡も思わず声を上げていた。

「失意のどん底にいた恵深のもとに、私は何度もお見舞いに行った。彼女はになってしまった自分が私に捨てられないかひどく心配していたけど、私は恵深を捨てたりしなかった。障害を負っても彼女は彼女。生きているだけで嬉しかった。一方、車で煽った奴ら三人も見舞いには来ていたみたいだけど、恵深の話ではまったく誠意は感じなかったみたい。一応三人の連名のちょっとした見舞金は置いてあったみたいだけど。どうやら奴らは、恵深が同性愛者であることに忌避感を覚えたのでしょう。廊下でそんな話をしているのをこっそり聞いてしまったみたい。でもそれだけなら今までもあったこと。それだけなら良かった。しかし、悪夢はこれだけに終わらなかった! 奴らは最悪の行動に出たのよ!」

「え?」川幡の驚きは心なしか悲痛を伴っていた。

「銀鏡恵深を病室で輪姦りんかんしたの。かたわなんだからこれくらい我慢しろよって言ってね」

「最ッ低!!」そう言いながら、川幡は丸森の方をキッと睨み付ける。川幡のこんな嫌悪感と非難に満ち溢れた声を聞くとは思いもよらなかった。つられるように他の参加者も丸森に白眼はくがんを向けた。

「彼女の最期の日の日記の一節にはこう綴られてあった。それは遺書だった。今でも一文字違えず克明に頭に刻まれているわ。『私は、私の身体の一部を欠損させるに至らしめ、さらには同性愛者の私という尊厳をじゅうりんし崩壊させた、ミックスベリーの三人組、枡谷一期、後藤輝市、丸森桑麻を一生怨みながら、今日という日で人生の終止符を打ちます』と。悲しみで紙は涙で濡れ、怒りと悔しさでペン先が折れるほどの強い筆圧と震える筆跡でそれは書かれていた。日記を通じて彼女の悲痛な感情がありありと伝わってきた。そして私は許せなかった。ただでさえ、彼女は過去にレイプされ心に消えないほどの深い傷を負っているのに、奴らはLGBTの尊厳を一切無視した上に、重ねて過去の心的外傷トラウマと同じ苦痛を与え、結果的に一人の女性を死に至らしめた!」

「この野郎ぉ!」と『ヒデタカ』は丸森に言い放ち、敵意を剥き出しにした。しかし丸森はシラを切った。

「何だか知らねーな! 俺は! この女のいうことはだ!」

「でまかせなんてあるか! 私は恵深の日記を持ってるのよ!」

「何で、そこまで情報を握っておきながら、警察に言わなかったんだい!?」そう尋ねたのは、菓子オーナーだ。

「決まってるじゃないですか!? そんなの! この三人を私の手で裁いてやると、心に誓ったからよ! 私が銀鏡恵深に成り代わって! 私はこのとき悪魔に心を売った!」

 そう発言したときの鎌形の目はどこか狂気に満ちていた。

「鎌形さん……」

「オーナーだって! そんなこと言っておいて、あなたこそ復讐の機会を窺ってたんでしょ?」

「そっか!」『ヒデタカ』が手を打って閃いたように大きな声を出した。「だって、オフ会の場所をここにしようと提案したのは、『タイベリー』だ!」

 そうなのだ。この事件は、枡谷、後藤、丸森の三人を殺したいほど怨んでいた二人が、復讐のために起こしたものなのだ。これはオフ会が企画された時点で計画が始まっていた。

「それで、鎌形さん。あなたはこのペンションを下見に来たんですね」

「ええ。そうよ。実はね、死んだ恵深の日記に、『お父さんは、ベリー類が好きな私のために定年退職したらベリー農園を経営したい』って綴られていたの。そして、今回のオフ会の舞台のベリー農園が、恵深が死んだ四年前にオープンしたということで、ひょっとしたら恵深のお父さんが経営してるんじゃないかって勘繰った。下見に行ったら、めちゃめちゃ川上犬に吠えられたけど、奥から出てきたのは葬式で見た恵深のお父さんだった。でも、一回しか会ってなかったし自信が持てなかったから、私は偽名を使って宿泊者名簿に『銀鏡 恩』って書いたら、目を丸くして身体を震わせていた。そのとき間違いなくこの人がお父さんだって確信を得たのよ」

「そうなんですか?」知鶴は、今度はオーナーに訊く。

 オーナーは黙って頷いた。そして鎌形は続ける。

「でも誤解しないでちょうだいね。『タチカワ』さんが説明してくれた通り、私はここに下見に来たけど、オーナーとは共謀はしていない。いくら娘のかたきとはいえ、殺人の共犯にはしたくはなかった。悪魔に心を売るのは私だけで良い。でも何かあったときに、オーナーは有利な証言をしてくれるかな、と色気を出したっていうのは事実だけどね。でもまさか、警察は来られないとか外に不審者がいるなんて言ったり、自ら死神の変装をして丸森を襲ったりするとは思わなかったけどね! ビックリしたよ! 菓子オーナーこと『しろやすし』さん」

 ここで、キーホルダーの謎が解決した。ここに来たばかりの知鶴の前でオーナーのポケットから落ちた、あのキーホルダーだ。『S. YASUSHI』と書かれていたのは、彼の本名だったのだ。そして、ロビーで見つけた、神社で撮影されたオーナーと女の子の写真。その神社の幟には『銀鏡神社』と書かれていたのだ。自分と同名で所縁ゆかりのある場所で記念撮影をしたのだろう。一緒に写っていた女の子は、オーナーの実の娘の銀鏡恵深だろう。

「銀鏡泰さん……」『ヒデタカ』が静かにその名前を反復する。オーナーは白状するようにやっと本名での自己紹介を行った。

「わ、私が、鎌形恩さんの同性婚婚約者である銀鏡恵深の父、銀鏡泰です。私の『タイベリー』は『やすし』が『タイ』と書くことから名付けられたものです。本来なら『銀鏡』という苗字から、『シルバーベリー』と名乗るのが自然ですが、それはもう先客が使っていましたから……」銀鏡泰オーナーは訥々とつとつと語った。

 先客とは鎌形恩のことだ。鎌形は『めぐみ』の『グミ』から『シルバーベリー』と名乗ったのだ。同じ名前は使えないので『タイベリー』にしたのだ。


「ところで彩峰さんはどうして殺してしまったんですか?」知鶴は問うた。

「『ブラックベリー』は、LGBTに対して差別的な発言を繰り返していたじゃない?」

「そ、それだけ!?」

「私には直接的な恨みはないけど、チャット上でよく『カウベリー』をいじめていたじゃない」

「まあ確かにそういうところ彼女にはあったけどね」訓覇は静かにそう答えた。

「彼女はチャット上でも簡単に人を非難することがあって、特に『カウベリー』はせっかくの心の拠り所を彼女に奪われていることを察した。『ブラックベリー』と『カウベリー』が同時にチャット上にいることって、あまりなかったと思わない?」

「そ、そう言えば」今度は『ワカバヤシ』が納得の声を上げる。

「だから『カウベリー』に訊いてみたのよ。もちろん『ヒマラヤンブラックベリー』というハンドルネームを使ってね。『ブラックベリー』はいなくなってしまった方が嬉しいか、とね。そうしたらそのとおりだってね。だから彼女を抹殺するために、事件に協力して欲しいとお願いしたら、乗ってくれた」

「『ミホ』さん、そうなの?」

 『ミホ』は身体を震わせながら言った。

「……はい。私は『牛窪うしくぼ美穂みほ』と言います。ハンドルネームは『カウベリー』です。『ヒマラヤンブラックベリー』さんは私の心のオアシスでした。『ブラックベリー』にいつもけなされていたので、私は『ブラックベリー』が嫌いでした。できれば彼女がいなければいいのに、と思いました。そうしたら『ヒマラヤンブラックベリー』さんはそれを叶えてあげると言うのです。そのために私は『シルバーベリー』さんこと『メグ』を浴槽に沈めるように指示されました。これは『タチカワ』さんが推理した通りです。そして、必ず殺さないこと。殺してしまったらあなたが殺人犯になってしまう。それだけは避けたい、と何度も言われました。まさか、私が襲った『メグ』さんが『ヒマラヤンブラックベリー』さんであり真犯人だとは、夢にも思いませんでしたけどね……」

 『ミホ』もまた本名を名乗った。『牛窪』というらしい。『牛』が『Cowカウ』というからだろう。

「私は、まず『ストロベリー』こと枡谷を事前に呼び出しておいた。この時は『シルバーベリー』のハンドルネームでね。吊り橋近くの崖のあたりで待機していた私は、崖の下に何かあると指差し、奴にそれを覗かせているところを突き落とした。まだ事件の起こっていない段階なので、枡谷は無警戒だったわ。また事前にリサーチしていた私はこのペンションの倉庫におのがあることも把握していたので、それを使って吊り橋を壊した。問題はそれ以降の犯行だった。『タチカワ』さんの言う通り、私では警戒心を抱き始めた状態で一人の男を絞殺する自信はなかった。でも、後藤がナッツ類でアナフィラキシーショックを起こすことは予想していたので、それを使わない手はないと思った。特にナッツアレルギーは重篤な症状を起こす傾向が高くて、命にかかわる場合もあると聞くからね。色仕掛けで口づけを迫れば、彼は断ることはないと思った。かなり不確実な方法だけど、自分の腕力だけでは彼に太刀打たちうちできない。だからショック症状を起こさせて弱らせたところで絞殺してやろうと思った。別に犯罪の美学がどうのこうのというわけじゃないよ。レズビアンの私にとっては、殺したいほど憎い男とのキスは、こっちがショックで倒れそうになるほど気持ち悪かった。吐き気をもよおした私は、浄化のために美穂さんに夜這いを仕掛けた。次の標的が『シルバーベリー』だと分かったとき、急におどおどし始めた美穂さんが『カウベリー』だと勘付いた。だから何も知らない美穂さんが私に嫌悪感を持つように、彼女にセックスをせがんだの。そうすれば私をちゃんと予定どおり襲ってくれるかな、と思ってね」

「用意周到というか、何というか。すごいな。そんなこと行われてたんや」訓覇が言った。

「美穂さんは本当にこちらの思惑どおりよく私を襲ってくれたと思う。途中までは完璧だった。でも、偶然とは恐ろしい。それで私は無実の人間を殺してしまった……」

「相馬さんのことやな」訓覇の口調は重い。

「そう! 私が恵深の日記で確認したレイプ犯のうちの一人の名前が『丸森そう』。つまりハンドルネーム『マルベリー』よ。だから、自分のハンドルネームを悟られないようにするためには、奴は『ソウマ』と名乗るはず。そう踏んでいた。しかし、まさか『そう』という別人がいるなんて。そしてあの自己紹介のとき、丸森は自分より先に『ソウマ』と名乗った人間がいたため、悪魔のような機転を利かせた。こいつは咄嗟に『クラタ』という偽名で名乗った。つまり枡谷が殺された時点で、自分も殺されるかもしれないと察した丸森は真犯人に標的である『ソウマ』をミスリードさせた。そして丸森は、自分は『クランベリー』を連想させるようなハンドルネームを演じたのよ。こいつは、相馬さんに被害者の身代わりをさせたのよ!」

「何て野郎だ!」ここで訓覇も怒りをあらわにする。

「ち、違う! 俺は『クラタ』だ! 『クランベリー』だ」あくまで丸森はシラを切った。

「卑怯者っ! 勝手に人のハンドルネームをかたりやがって! 本物の『クランベリー』は私! 本名、立河たちかわづるよ!」知鶴は携帯していた運転免許証を掲げて、ここではじめてハンドルネームを明かした。

「なるほど。クランベリーはツルコケモモの実で鶴の好物であるという意味で『Craneクレーン』と『Berryベリー』に由来します。あなたが知鶴と言う名前なら『クランベリー』と名乗って不思議はありません!」と、オーナーは極めて説明口調で発言し、知鶴のハンドルネームの整合性を示した。

「丸森桑麻ッ! あんたは、私の婚約者の銀鏡恵深に、人間としての尊厳を奪って、じょくを与えた! 結果的に自殺に追い込んだんだ! 私はお前をこの数年間死ぬほど怨んだ!」

 鎌形は丸森にすごむと、ポケットに忍ばせていたと思われるバタフライナイフを取り出して刃を広げ、それを丸森の方に向けた。

「ひいいっ!」丸森は恐れおののいた末に情けない声を出す。

「私は四人を殺した。一人は無関係の無実の人間の命まで奪ってしまった。どうせ死刑よ。だから冥土の土産にお前を殺し、私も死んで、あの世で恵深と一緒になるんだぁー!!!」

 四人をりくした女に迷いはなかった。叫びながらバタフライナイフを掲げ、一目散に丸森に襲いかかった。

「ああぁーっ!!!!」丸森は腰が抜けてしまったかのようにその場を動けず、壁に寄りかかりながらへたり込んでしまった。

 そのときだった。

 横からそれを遮る誰かの腕が出現した。

「おやめなさい!!」

 それは銀鏡泰の腕だった。その手はバタフライナイフが握られた彼女の右腕を強く握り、間一髪で丸森への攻撃を食い止めた。丸森は実際に傷を負わされたわけではないのに数メートル先まで後退あとずさりしていた。

「何よ! 離して! こいつを殺して、私も死ぬっ!」

「ダメです! あなたはそれ以上人を殺してはならない!」

「何言ってんのよ! オーナーだって、自分の娘を手込てごめにされて、こいつらのこと死ぬほど怨んでたじゃない!」

「それでもあなたはもう手を汚してはいけない。あなたの罪が暴かれてしまった以上、しっかり罪を償うんです! 私にとってあなたはもう一人の『メグミ』であり、もう一人の娘です。今までまともに話したことさえなかったけど、あなたのことは生前、娘から電話で聞かされていました。娘にとってあなたはかけがえのない存在であり、私にとっては恵深の生まれ変わりなんです。だからそんな、簡単に死ぬなんて言わないで下さいっ!」

 銀鏡泰オーナーはそう訴えると、鎌形の瞳から溢れんばかりの涙が流れ、声にならない叫びが伝わってくるようだった。

 鎌形は力が抜けたようにその場に崩れ落ち、バタフライナイフは床に落ちて一メートルほど離れたところまで音を立てて転がっていった。そして張り裂けるほどの大きな声で鎌形は慟哭どうこくした


 その刹那。また違う誰かがそのバタフライナイフをおもむろに拾い上げた。その人物は、形容するなら氷のように冷たい微笑を浮かべながら、反射するほど研ぎすまされた鋭利な刃を眺めると、丸森を見据えた。

「い、いけない!」知鶴は思わずそう発した。

 音を立てずに、しかしながら素早く、その人物は無言で丸森に近寄っていった。


 その人物とは、『ブルーベリー』こと川幡かわばたあおだった。

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