第十四話 破顔(Broad smile)

 新たなる死体こそ生まれなかったものの、どこか腑に落ちない気持ち悪さを抱えながら、知鶴は自室に戻った。

 まだこの事件は何かが隠されている。そんなもやもやしたひっかかりが、知鶴の心を大きく支配していた。時間は夜十時であったが、そのわだかまりは、知鶴から眠気を完全にしりぞけていた。

 施錠が扉も窓もしっかりなされていることを確認した上で、知鶴は浴室に向かう。浴室に入ると嫌でも『メグ』が溺れさせられた惨劇の光景がよみがえる。本来なら疲れきった身体を癒すため、お湯を張ってゆっくり湯船に浸かりたかったが、どうしてもそれはできなかった。かと言って、今日一日の身体の垢は洗い落としたかった。シャワーを浴びて短い入浴時間を終えた。どうせなら、この胸のつかえも流してしまいたいと切に願ったが、それはできなかった。

 『メグ』といえば、あの診察券がどこか気になった。あの病院はどこかで聞いたことがあるが何だったか。

 試しにスマートフォンで検索しようと思ったときに、ノックの音がした。条件反射的に身体を震わせるが、よくよく考えれば知鶴が次に狙われる可能性は低い。なぜなら、知鶴は被害者のネクストバッターサークルである『マルベリー』ではないからだ。

「はーい」と応答してみると、「彩峰です」と扉の向こうの人物は返事をした。

 念のためドアスコープから覗くと、確かに彩峰の姿が見えた。他には誰もいなさそうだ。

 ガチャリとサムターン錠を開けると、彩峰はどこか不安げな表情で佇んでいた。

「どうしたの?」と、知鶴は問う。

「中に入っても良いですか? アタシこの通り、凶器は持ってないから」と言って、両手を挙げた。Tシャツにステテコ姿、素足にスリッパの彼女に凶器を隠し持てる余地はなさそうだ。その言葉を信じて彩峰を招き入れる。

「どうしたの? こんな時間に。もう寝たかと思ったけど」と、知鶴は改めて問うたが、時間は夜十時半くらいだ。普段ならまだ起きている時間である。

「あの、アタシは殺されるんでしょうか?」彩峰はチャット上での『ブラックベリー』の発言で見せるような、快闊さはない。むしろ怯えのためからか、彼女には不釣り合いな敬語で知鶴に尋ねてきた。

「落ち着いて。何があったの?」

「何があったのって、この事件はハンドルネームと参加者の顔が一致した人が襲われてるんですよね? さっき、廊下からこっそり聞こえてきたけど、『ハックルベリー』さんが襲われたんですって? アタシもう『ブラックベリー』だって皆に名前が割れてるから……」

 彩峰はそこまでいうと、恐怖のためかそれ以上言葉にならず、嗚咽へと変化した。しかし知鶴にはその前にどうしても彼女に確認しておきたいことがあった。

「あの、彩峰さん。ひとつ訊いていい? 私に何で相談するの? 私が犯人だったらどうするの?」

「『タチカワ』さんが犯人の訳ないよ」彩峰は感極まったかのような口調で断言する。

「え? 何でよ?」純粋にそう感じた。知鶴自身は自分が犯人でないことを知っているが、他の者からすれば知鶴だって容疑者の一人なのだ。

「だって、後藤さんが倒れてたときに、率先して人工呼吸してたじゃないですか」

 確かにそうだが。それだけでだろうか。彩峰は続ける。

「それに、アタシが『クラタ』さんに犯人扱いされそうになったとき、それを否定する根拠を説明してくれた。『タチカワ』さんは犯人じゃないと思うし、犯人を捜し出してくれそうな気がする」

「ええっ?」知鶴は驚いた。こんなに彩峰に期待されていたとは。

「ところで、犯人の目処めどは立っているの?」彩峰は身を乗り出す。

「いや、それが全然……」

 知鶴は推理をしてはいるが、犯人の目処はまったく立っていない。犯人が分かっていれば苦労はしないが。もし目処が立っていても、安易に特定の誰かに公表したくはない。一応、彩峰が犯人だって可能性も否定はできないのだ。

「そっか……。分かっていれば、自分が襲われる前に対策を練られるのに」

 なるほど、彼女は護身の目的で犯人候補を尋ねてきたのか。

「でも、次のターゲットは『マルベリー』だったの。彩峰さん、『マルベリー』が誰か知ってる?」

「分からないけど、たぶん『クラタ』じゃないの?」

「え? 何で?」知鶴は思わず問うた。

 意外に思った。普通に考えて『クラタ』=『クランベリー』だと推測されているのではないかと思ったからだ。

「何となく。断言できるような根拠なんてないね」ちょっと安心して気を許したのか、彩峰の発言から敬語がなくなりつつある。

「でも『クラタ』なら『クランベリー』じゃない?」知鶴は敢えて、自分が『クランベリー』であることを隠すような言い方をした。

「それはいくらなんでも安直すぎるかなと思って。チャット上の『マルベリー』の発言は、妙によそよそしいところあったでしょ。今どきの女子の発言にしては不自然だし、男がちょっとカッコつけて『私』を使っているように思える」

 なるほど、確かに言われてみればそうかもしれない。そして、先ほど予告犯行の標的が『マルベリー』だったときに、怯んだ者がいなかったことも納得がいく。そして思い出したように知鶴は言った。

「じゃあ、『クラタ』さんに、次の標的が『マルベリー』だって教えなきゃね」

「え? アイツはそのこと知らないの?」

「そう、そのとき『クラタ』さんはいなかったから」

 誰が犯人か分からないが、これ以上の被害を食い止めるよう、次の標的として掲げられていたのがどの果実なのか。この情報はいなかった者も共有しなければならない。今更何で誰も気付かなかったのか。自分のことで精一杯なのかもしれないが、薄情な話である。

「ア、アタシは、嫌だな……。あの人、暗いし性格も良くなさそうだし、アタシはアイツに疑われた身だから」

「いいよ。私が伝えてくるから」

「ありがとう」

 と言いながらも、寝ているかもしれないな、と思った。彼の部屋はいちばん厨房に近かったと記憶している。オフ会(と言っても実質破綻しているが)も二日目だから、部屋割りが頭に入っていた。

「話聞いてくれてありがとう。ちょっとすっきりした」彩峰は笑顔を見せた。彩峰はこのオフ会でどちらかというと終始無表情もしくは膨れっ面であった。彼女もギャルの風体で、金色の混じったメッシュの髪、色黒の肌でどこかだらしない服装だが、顔立ちは整っており微笑んだ顔は実に可愛らしい。いつもこのように笑顔ならもっと魅力が引き立つのに、と知鶴は思う。

「どういたしまして」と知鶴も笑顔で返すと、彼女は部屋に戻っていった。


 さて、『クラタ』にどう伝えようか。彼はもう寝ているだろうか。もし寝ていたら起こすのは本意ではない。でも用件は伝えたい。

 もし『クラタ』が確実に『マルベリー』なら、ドアを強く叩いて起こしてでも伝えるべきだろうが、そこまでの確信はないのだ。

 少し悩んだが、知鶴は決めた。彼の部屋をノックして、応答があれば口頭で伝える。応答がなければ、ドアの下の隙間から、用件を書いた紙を忍ばせておこう。

 彼の部屋の前に立ちノックする。十秒ほど待つが反応はない。やはり寝ているのだろうか。「『タチカワ』です」と名乗るも、相手からの応答はなかった。

 寝ているのか、ひょっとしてどこかに行っているのか。いや、どこかに行くといっても、プレイルームくらいか。取りあえず、『つぎの標的はマルベリーです。もしあなたがマルベリーさんなら気を付けて下さい。タチカワより』と書いたA4の紙を扉の下から部屋の中へと挿し込んだ。

 『クラタ』の部屋の前から立ち去って、プレイルームを覗こうかと思ったその時だった。

 扉がカチャリと開いたかと思い、振り返ったその瞬間。

 知鶴は『クラタ』に右腕を強く掴まれ、抵抗する間もなく部屋の中へと強引にり入れられた。

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