第十一話 微醺(Slight intoxication)

 二日目の夕食は、初日よりは若干和やかなムードで終えられた。

 それは、今日一日新たな被害者が現れていないことがいちばん大きいのだが、その影にある菓子オーナーの功績が何と言っても大きいように思える。彼の作る食事は絶品であり、彼の栽培するベリー類もまた感激するくらい美味であった。

 またメンバー自身も気持ちの変化が見られたのかもしれない。意外と言っては失礼だが、それまでどちらかと言うと自分をあまり出してこなかった『ワカバヤシ』がよく喋ってくれた。彼女も、自分のハンドルネームを悟られないようにするという制約の中で、話題を提供するという並々ならぬ苦労を感じながら話していたのかもしれない。また、あまり詮索するような発言は、逆に皆の反感を買ってしまうかもしれないが、上手に良い意味で当たり障りのない会話で、場を和ませてくれた。彼女は、実は料理やお菓子作りが得意らしく、おすすめレシピを紹介してくれた。ベリー類を使ったスイーツは、聞いていて知鶴自身も実践してみたいと思うほど美味しそうに感じられた。

 それに呼応するように、あまり発言してこなかった『ソウマ』もいろいろ話してくれた。『クラタ』は、相変わらずどこか訝しげな表情をしていたが、彼も当たり障りのない範囲でコメントを発していた。もともと彼はこういうぶっちょうづらの人間なのかもしれない。

 しかし思いどおりの会話ができない以上、可能な話題が尽きてしまうこともあった。持て余した時間は、古今東西ゲームやしりとりなどに興じたりした。パーティーゲームの大定番ではあるが、何で今までそういう選択肢に気付かなかったのだろう。ちなみにそれを提案したのは『ワカバヤシ』であった。

 こういう和気藹々としたムードが少しでも犯人の次なる殺害意志をいでくれているかは分からない。しかし、少なくとも今のところ犯人は自白してくれてはいない。

 犯人探しなんて、知鶴も望むところではないのだが、犯人が名乗り出ない以上、推理は継続しないといけないと思った。何と言っても、これがいつまで続くか分からないし、さらにはいずれ自分も被害者に選ばれるか分からないのだから。しかし、残念ながら誰が犯人なのかという有力な根拠は得られていない。今、いちばん不安に駆られているのは、予告殺人の次なる犠牲者に挙げられた『シルバーベリー』であろう。きっと、『シルバーベリー』本人はかなりのストレスを感じ続けているに違いない。今のところ表立って取り乱した様子を見せていないので、『シルバーベリー』の演技力は大したものだと感心させられるが、その恐怖を表出できないのは、さらなるストレスを感じさせているかもしれない。


 食事を終えると既に午後八時を過ぎていた。夕食は午後六時にスタートしているので、二時間以上が経過したことになる。一度何かに夢中になってしまうと時間の経過は早いものである。良いのか悪いのか、知鶴も犯人が誰なのかを考えることを忘れてしまいそうだった。

 また今日の晩餐ばんさんでは、アルコールまで振る舞われた。グループチャットで得られた内容からすると、参加者の中に未成年は含まれていないようだ。お酒が欲しいと要求したのは、意外にも『メグ』だった。この美人もかなり精神的なストレスを感じているのか、緊張の糸を解くためにアルコールの力を借りたかったのかもしれない。お酒は国産のワインが振る舞われた。もともと宴会で出す予定のものだったようだが、事態が事態なだけに菓子オーナーも出し渋っていたのだろう。アルコールを要求されたとき、オーナーは驚いていたようだが、お客様である以上その要求はできる限り叶えてあげたいと思ったようだ。

 知鶴もワインを少し頂いた。『メグ』が飲む人全員に注いでくれたので、それを有り難く頂く。もちろん警戒心は保たれなければいけないし、推理する力も残されていないといけないと思ったので、たしなむ程度だ。間違ってもがぶ飲みはしない。ちなみに知鶴自身は、酒豪とまではいかないまでも、決して下戸げこではない。飲んでも顔は紅潮しない。アセトアルデヒド脱水素の酵素を有しているタイプだと自己分析しているが、こういう理系的なものの見方をしてしまうのは、医療従事者の一員という職業柄かもしれない。

 他にお酒を飲んでいたのは、訓覇と『ヒデタカ』と『ワカバヤシ』だ。見た目的に、訓覇と『ヒデタカ』はお酒の好きそうな顔をしている。顔を少し赤くしてワインを味わっていた。『ワカバヤシ』は純粋にお酒が強そうだ。知鶴と同様に飲んでも顔に出ていない。一方で、上品でどこか妖艶にも見える『メグ』は意外にもお酒にはあまり強くないと見受けられる。最初の一杯目でフラッシング反応を呈していた。

 それ以外のメンバーは、お酒を受け付けない身体なのか、お酒を飲む気になれなかったのか分からないが、ノンアルコールを維持した。後者であれば残念に思うが、この状況でまさか強要することなどできようがない。


「俺、ヤバいな。眠くなってきた。研修医の当直のときより疲れてんな」

 訓覇が関西弁のイントネーションで情けない声を出す。顔はイケメンで医師のはずだが、つくづくこの人は残念でならない。

「そうですね……。寝たらどうです?」『メグ』は言う。

「せやな」そう言うと訓覇はふらふらと立ち上がる。立ち眩みのように立ち上がるや否や壁に寄りかかってしまう。

「訓覇さん、かなり酔ってらっしゃるわね。部屋まで送り届けます」

「あ、良いって。さすがにそれ悪いから」

「もう、危ないですって、さ、肩貸すから!」

「あ、すんません」

 訓覇は『メグ』の肩を借りる形で、部屋に向かおうと扉に向かう。

「大丈夫かい? 手伝おうか?」『ヒデタカ』が心配そうな目を向ける。

「あ、いやこれくらい一人で大丈夫ですよ!」『メグ』は気丈に答える。

「ま、訓覇先生も、おっさんに支えられるより、綺麗なお姉さんの方がいいか」と『ヒデタカ』はおどけて答えてみせた。

「では、訓覇さんを部屋に送り届けます」『メグ』は愛想笑いを浮かべながら返す。

「『メグ』さん、気を付けてね! 先生に襲われないようにね」

「お、俺はこう見えても、お、襲ったりしやんよ!」眠気を振り払ってどもりながら訓覇は否定する。

 『メグ』自身も顔を赤くして、眠たそうに目をしばたたかせていた。一瞬、知鶴も手伝うべきかと思ったが、結局『メグ』に甘えてしまった。訓覇は犯人ではないと思う。後藤に対する心肺蘇生のときにそう感じた。だからというわけではないが、訓覇が『メグ』を襲うとは考えにくい。

 そんなことをあれこれと考えながら十分ほど談笑しているうちに、『メグ』が何事もなかったように戻ってきた。

「その様子からすると、大丈夫だったようですね」知鶴が思わずそう口にする。

「あれ? 『タチカワ』さんまで、私が襲われると思ったんですか?」『メグ』はニコニコ笑いながら答える。

「だって、『メグ』さん、美人だから……」知鶴もちょっと酔ってしまったようだ。先ほどのように緊張しているときには言わないような発言をする。

「あら、ありがとう!」『メグ』は素直に嬉しかったのか、笑顔で礼を言った

「僕も訓覇先生がちょっと羨ましいくらいですよ」『ヒデタカ』も酔っているようだ。発言が先程から何かとセクハラじみている。

「訓覇さんは寝たんですか?」今度は珍しく『クラタ』が『メグ』に質問した。

「すぐに寝たわ。そうとう疲れてるようね」

 知鶴は一瞬、何か引っ掛かりを感じたが、その正体は分からなかった。

 『メグ』は続けた。

「私も実は結構眠たいから、お先に失礼しようかしら」と言って、皆に目をやった。

「大丈夫? 肩を貸そうか」『ヒデタカ』が予想どおりの発言をする。

「気持ちは有り難いですが、そのお気持ちだけで結構です」と丁重に断る。

「鍵はちゃんとかけて下さいね」と『ヒデタカ』は忠告するが、それに対しては無言だった。

 『メグ』は思いのほか酔いが回ってしまったのか、頭を抱えてふらつきながら早々と自室に戻っていった。酔ったと言うよりも睡魔に襲われているだけなのかもしれない。無理もない。この参加者たちは皆、極度の緊張の中でぎりぎりの理性を保ってきた。よくぞ誰も大きく取り乱さなかったと感心するくらいだ。そのちょっとした気の緩んだ拍子にアルコールが回れば、お酒の強くない者は途端に身体が重くなり、重力に逆らえなくなるだろう。頑張って自力で部屋に戻ったものである。


 酒には強い方ではある知鶴であるがほろ酔いで少しだけ良い気分になり、食卓でぼんやりしていると尿意を催した。

「私、トイレ行ってきます」と、短く告げて部屋に一旦戻った。ペンションには珍しく客室にそれぞれトイレと浴室が完備なのだ。施錠して自室のトイレに駆け込む。ロビーにもトイレはあるのだが、自室の方が落ち着く。この状況では殊更だ。知鶴は酒には強いが、飲むとトイレが近くなる。

 トイレを終えて、食堂に戻ろうとするとき、『メグ』や訓覇はちゃんと施錠したのか気になった。ドアノブに手をかけて確認しようと思ったがやめておいた。起こしてしまう可能性もあるし、寝ていた当人からすれば、いい気分ではない。昨日、部屋で寝ていたときに突然ガチャガチャと音を立てられたときの恐怖感は今でも脳裏に焼き付いている。

 食堂に戻ると、『ミホ』や『カワバタ』もトイレに立っていたようだった。しばらくして彼女たちも戻ってきた。皆、緊張感がほぐれてきているようだ。これが新たな不幸を招かなければ良いが、などと知鶴はどこか危惧きぐしていた。そう言えば彩峰と『クラタ』がいないことに気が付いた。

「あれ、彩峰さんは?」

「『タチカワ』さんがトイレに立った後、部屋に戻っていったよ。あの子は結構マイペースだね」『ヒデタカ』が答えてくれた。

「彩峰さん、観たいテレビがあって、それまでにお風呂を済ませておきたいんですって」そう答えたのは、『ワカバヤシ』だ。

 彼女、『ブラックベリー』こと彩峰は、チャット上の発言で、規則正しい生活を送っていて、それは常に守りたいと言っていた。確かにどこかマイペースな女性だ。

「ついでに『クラタ』さんも理由を言わず、席を立っていったね」

 『クラタ』のことはあまり興味がなかったが、『ヒデタカ』は親切に教えてくれた。

 しばらくして、『ミホ』がまた席を立ち上がった。どこかそわそわしているように見えた。そして「あ、あの、私もそろそろ寝ます……」と弱々しく言った。

「あ、じゃあ、もう私も寝ようかな」『ワカバヤシ』も言う。つられるように知鶴も立ち上がると『ヒデタカ』の声が聞こえてきた。

「何か、皆、もう寝る雰囲気なのかな?」どこか寂しそうに問いかけてくる。

「だって、今日一日疲れたし……」知鶴は答えた。

「では、もう早いが、もうお開きにさせて頂こうか。オーナーすみません」

「このままでいいですよ。あとは私がやっておきますから」菓子オーナーは愛想良く答えた。

「すみません、いつも散らかしっぱなしで」知鶴も思わず頭を下げた。

「気にしないで下さいね。ゆっくりお休み下さい」

 菓子オーナーは改めて仏のような人物だと、知鶴は思った。


 知鶴、『ワカバヤシ』、『ヒデタカ』、『ミホ』、『カワバタ』、『ソウマ』はそれぞれ立ち上がった。

 ゆっくりと部屋に向かって、また明日と別れを告げて自室の前に立ったときだ。何か鬼気迫るものを左の部屋から感じた。『ミホ』も何か察知したらしく、ドアに耳をつけた。

「お、女の人の叫び声が……!」

「……!!」知鶴の嫌な予感は的中してしまったか。

「な、何だって!?」『ヒデタカ』をはじめとして、一同が駆け付けた。菓子オーナーも異変に気が付いたように遅れてやってきた。

「か、鍵はかかってる!?」知鶴は問うと、『ミホ』が返事をする。

「かかってないみたいです!」

 そう言った後、『ミホ』がドアノブに手をかけると、やはり施錠はされておらず、扉が開いた。

 中に入ると、くぐもった女性の悲鳴が何かの音にいくぶん掻き消されながらも聞こえてきた。

「風呂場か!」『ヒデタカ』が叫んだ。

 浴室から何かの流れる音が聞こえる。急いで、浴室のドアが開けた。

 そこには、もうすぐ満タンになりそうな浴槽の中で、身体を拘束されたままの『メグ』が溺れかけていた。『メグ』の身体はもちろん、顔も髪もびしょ濡れだ。そして口には手ぬぐいを巻かれ、さるぐつわにされていた。身体をじたばたさせて浴槽が本当に満タンになるのを防いでいたかもしれない。浴槽の外まで濡れていた。

「『メグ』さんっ!!」知鶴は大きな声で呼びかけ、急いで『メグ』の濡れた肢体を抱きかかえた。衣服が水を含んで重たかった。身体の中に水が入っていなければ良いが。

 『ミホ』はちょろちょろとゆっくり音を立てながら浴槽を満たしつつある蛇口の栓を閉めた。

 知鶴は口に巻かれた手ぬぐいを外した。そして手、胴体、脚に巻かれたロープを解いた。ナイフが必要かと思ったが、意外と容易に解くことができた。

 ベタベタに濡れた『メグ』の衣服から下着が透けて見えた。男性もいるので、すぐに近くにあったバスタオルで身体をくるんで、とりあえずカーペットの上に仰臥位にして寝かせた。

「分かりますか? 『メグ』さん!」

『メグ』は少しだけ目を開きながらコクリと一回うなずくと、眠るように目を閉じた。知鶴は大いに焦ったが、『メグ』の口元からスースーと音がしているので、ひとまず安堵する。眠っているだけのようだ。

 とりあえず、風邪を引かせてはいけない。彼女はつい先ほどまでたいひんして、極度の疲労に見舞われているはずだ。リネン類をたくさん菓子オーナーに持ってきてもらい、人払いして濡れた衣服を乾いたものに着替えさせようとした。何気なく知鶴は服を脱がせたが、その彼女の肢体の白さ、美しさ、艶かしさに、同性ながらハッと息を飲んだ。整った顔立ちといい憧れるほどのプロポーションといい、まるで造形美と形容しても過言ではないほどだ。これだけ外見的に非の打ち所がなければさぞかしモテるだろう、と知鶴はつい羨ましく思った。『メグ』の裸体に目を奪われながらも、何とか身体の水滴を可及的に取り除いた。『ワカバヤシ』が、ジャージとTシャツを持ってきた。自分の服だろうか。身長や体型の近い彼女なら、確かにサイズは合うかもしれない。『メグ』の性的しゅうしんに配慮して男性陣の視線を気にしながら衣服を替えた。女性の知鶴ですら釘付けになるほどだから、男性がこれを見たら性的欲求を刺激してしまうに違いない。

 着替えが終わると、『ワカバヤシ』の力を借りて『メグ』をベッドに乗せて寝かせた。力の抜けた人間は、スタイルの良い女性であっても重いのだ。上にそっと布団をかけてやる。髪は乾かしきれないので、風邪を引いてしまわないようにするための配慮だ。

「だ、誰がこんなことを……」『ソウマ』の話す声が聞こえてきた。

「確かに。これは……、『メグ』さんが部屋に戻った後に行われたということだね」当たり前のことではあるが『ヒデタカ』がまとめた。

 その通りだ、さっきまで『メグ』は自分たちと一緒にいたのだ。眠いと言って部屋に戻った後に犯行が行われた。ものの二、三十分くらいの間に。

 アリバイの確認作業になってしまうが、犯行可能なのは『メグ』が自室に戻ってから、食堂にいなかった人間。と言っても、一度だけ知鶴もトイレに行ってしまったので、自分にもアリバイのない時間が存在するのだが。状況から考えて、知鶴を除くと、彩峰、訓覇、『ミホ』、『カワバタ』、『クラタ』だ。

「一応確認しておきたいんですが、オーナー」知鶴は、ここは菓子オーナーの証言を得るのがいちばん良いと思った。「『メグ』さんが部屋に戻った後、一度も席を外さなかったのは誰か分かりますか?」

「一度も、と言われると確固たることは言えませんが、少なくとも『ヒデタカ』さまと『ソウマ』さま、あと『ワカバヤシ』さまも、ずっと食堂にいらっしゃったと思います」

 三人はトイレにも立たずによく残っていたな、と思った。これで犯行可能な人間が少し絞られる。

「おいおい、俺らを疑ってるんかよ!」『クラタ』がいつの間にかそこにいた。騒ぎを聞いてここに現れたのだろうが、自分に疑いかかるような発言を聞き、我慢ならず食ってかかってきたのだ。

 何を言う。あんたは、昨日はさんざん人を疑っていたくせに、と知鶴は心の中で悪態をつく。

「状況の確認です。私だって、一回席を立っているんですから」

「そうだな。お前にも犯行が可能ということだな」

「あんたにもね!」知鶴はさすがに頭に血が上った。自分でも驚くほど凄みを利かせた声だと思った。

「あっ、ちょっと、あれ!」『ソウマ』が何かに気付いたように指で示す。示した指の先には、また果物が置かれていた。

 窓際に置かれた小さなテーブルの上にそれはあった。水の入った透明なグラスの中に入れられたシルバーベリーと、その横にあるものは、おそらく──。

「ブ、ブルーベリー……」『ソウマ』は小さく答える。

「ひぃっ!!」と高い悲鳴を上げたのは、先ほどから沈黙を保っていた『カワバタ』だった。

 ドスンと、それに呼応して壁を思い切り拳で叩いたのは『ヒデタカ』。その顔は、穏やかそうな彼に似ても似つかない、凄まじい剣幕であった。

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