第七話 甦生(Resuscitative maneuver)

「おい、どうした!!?」

 最初に聞こえたのは『ヒデタカ』の声だ。

 知鶴はドアを開けると、同じように異変に気付いた参加者たちがぞろぞろと集まってきた。

 悲鳴は奥の方から聞こえた。廊下に出てみると、すぐ隣の部屋の扉が開いている。そこに一人女性が立ちすくんでいた。『アヤネ』だ。さらに床には目を閉じ青ざめた顔で倒れている男性がいた。その男は、この部屋の客、すなわち『ゴトウ』であった。

「きゃぁっ!」間近でそれを見てしまった知鶴も、思わず悲鳴を上げた。

 部屋には、続々と人が入ってくる。そして思わず顔を背ける者や同じく悲鳴を上げてしまう者、さらには卒倒してしまう者もいた。狭くない客室といえども入口に十人もの人が集まってきて、かなりの人口密度だ。

 後ろの方から人垣で状況が掴めないのか、「えっ? 何が起こってるの!?」と、慌てふためいたような声で問うているのは、どうやら『メグ』である。『メグ』は非常に美意識が高いのか、こんな夜でもばっちり化粧を直していたのか、心なしか先ほどより妖艶に見える。

「ゴ、『ゴトウ』さんが、倒れてるんです!」知鶴は答えた。

「ええっ?」

「すみません、ちょっといいですか?」そう言いながら、人垣をかき分けて現れたのは訓覇だ。おもむろに『ゴトウ』の身体に触り始める。呼吸と脈拍を確認しているようだ。

「あんた、ちょっと、何を?」『ヒデタカ』は制止しようとする。

「まだ身体が温かいし、時間は経ってなさそうだ!」

 制止を無視した訓覇は、心臓マッサージ(胸骨圧迫)を開始した。つまり心肺蘇生である。訓覇は続けて言った。

「まだ、間に合うかもしれやん!」

「わ、私も手伝います!」知鶴は医療従事者の一員としてBLS(一時救命処置)講習会を受けたことがあった。思わず名乗りを上げて、『ゴトウ』の鼻をつまみ頭部を後屈させる。

「これを使ってくれ!」訓覇が取り出したのはフェイスシールドだ。人工呼吸のときに、患者との唾液の接触を避けるための感染防護マスクだ。さすが医師である。常に持ち歩いているのかもしれない。同時に訓覇に優しさを感じた。

「ありがとうございます」と手短に感謝を伝えた。

「オーナー! AEDはありますか!?」

 AEDとは自動体外式除細動機のことである。

「あります! 持ってきます!」

「大至急!」

 訓覇はテンポよく心臓マッサージを行う。知鶴は心臓マッサージの合間にしっかり頭部後屈あご先挙上法で呼気を吹き込む。ところが胸郭が挙上しない。全然うまくいっていないのだ。怪訝に思って口の中をちらりと覗いてみると、どことなく違和感を感じる。後藤の口唇は心なしかキラキラ光っている。しかも、先ほどから何か『ゴトウ』の口もとから甘いにおいがしていた。また、よくよく見てみると、うっすらとけいを何かで絞められた痕が見られた。

 現場にAEDが到着すると、訓覇の指示で菓子オーナーが箱を開けた。

「AEDのパッドを貼るから離れてくれ!」

 言われたとおりに身体から離れる。心電図の解析中だからだ。ここで除細動の適応か否かを自動的に判断してくれる。

 しかし、『電気ショックは不要です』との音声ガイダンスが流れた。やはり『ゴトウ』は死んでしまったのか。ところが、訓覇は心臓マッサージを継続する。

「いや、除細動の適応がないだけで、蘇生が不要って訳ではないから!」訓覇は汗を垂らしながら引き続き、圧迫を続けながら答える。

 見かねた『ヒデタカ』が、「あの、僕で良かったら交代しますから!」と言った。

「ありがとうございます。ではこの位置にこうやって手を組んで、胸郭が4、5センチ凹むくらいに圧迫して下さい! テンポは僕がやっているのと同じくらいに!」

「了解!」

 『ヒデタカ』も訓覇の指示を忠実に守って、心臓マッサージを行う。

「あ、あの、私も代わりますから」そう言ったのは『ワカバヤシ』だ。つられるように『カワバタ』や『ミホ』や『メグ』も名乗りを上げるが、一度に複数の人間が心臓マッサージすることはできない。

 心臓マッサージは、音楽で言えば100bpmのテンポで行う。ドラえもんのオープニング曲並みのテンポだと講習会で聞いた覚えがある。これをひたすら一人の人間がやり続けるのは体力がなかなかもたないので、心臓マッサージは交代で行う。一方、人工呼吸している知鶴も、心臓マッサージには及ばないにしろそれなりに疲労が溜ってきたが、フェイスシールドが一個しかないというので、仕方なく一人でやり続けた。疑心暗鬼だった各参加者たちにここではじめて一体感が出現した。同じく参加者の心肺蘇生でそれが生まれるとは、皮肉にも程がある。


 心肺蘇生は四十分以上行われた。

 しかし『ゴトウ』は目を醒ますことはなかった。菓子オーナーに持って来させた懐中電灯で代用して、彼の眼球を照らして覗いた。瞳孔散大・対光反射消失、呼吸停止、心停止。この三つが揃って、死亡確認された。

 皆、悲しみに暮れると同時に困憊こんぱいの表情を浮かべていた。いっこうに蘇生しないことに参加者たちは諦観の念を抱いていたかもしれない。しかし、いざ実際に医師によってそれが証明されてしまうと、虚無感に襲われる。知鶴も救命できなかった精神的なダメージと人工呼吸の肉体的な疲労により、激しい脱力感がのしかかってきた。取りあえず、手に持っていたフェイスシールドを折り畳んでポケットにしまった。

 今ここには、集まり得る参加者全員とオーナーが集結していたが、誰も口を開こうとはせず沈黙を保っていた。

 ふと部屋を見回すと、ベッド脇にロープが転がっている。凶器として使われたように見える。浴室ではバスタオルがなくなっているようだ。備え付けられているはずのリネン類がない。でも頸部の痕はロープの痕のようだ。バスタオルで締められたわけではなさそうだ。


 知鶴は、沈黙を破るべく、ある疑問を投げかけることにした。

「『ゴトウ』さんは、何ベリーさんですか?」

 すると、一同は蘇生に一生懸命になっていたせいか、忘れていたようだ。彼のハンドルネームが一体何なのかを。

「あ、そうだった。うん、ちょっと気が引けるが、彼の所持品を見てみやんといかんな……」と、訓覇が言う。

「でも、あまり現場は荒らさない方が……」今度は『ソウマ』がそう提案するが、『ヒデタカ』はその意見に反対した。

「いや、だって、警察はしばらく来れないんでしょ? だったらある程度僕たちで実況見分しておかないと……」

 訓覇は、『ゴトウ』の運転免許証やら保険証やらを探そうとしていたが、第一発見者である『アヤネ』が口を開いた。

「そんなの見なくたって分かるよ!」少し投げやりな口調だった。『アヤネ』が指差したのは、『ゴトウ』のものと思しきスマートフォンだ。それに派手なストラップというか鍵の形をしたアクセサリーがぶら下がっている。なぜか『1510』という数字が印記されている。

「こ、これがどうかしたの?」何を示しているのか分からなかったらしく『カワバタ』が小さな声で訊いた。

「これは単純でくだらない語呂合わせなのよ。『1510』を『イチゴトウ』と読むとする。『イチゴ』かなと思われるけど『ストロベリー』はもうすでに判明している。そこで、もうちょっと深く考えてみるの。彼の名前は『ゴトウ』。十中八九これは苗字でしょ。つまり残る『イチ』は名前の一部。そこで鍵は何を示していると考える。鍵を『キー』と読ませると、彼の名前は『キイチ』じゃないかと。つまり『キイチ・ゴトウ』で彼のハンドルネームも『キイチゴ』。つまり『ラズベリー』ってことになるわけ!」『アヤネ』はよどみのない推理を展開した。

「あっ、本当だ! すごい! 彼の名前はそのとおりだ」

 『ヒデタカ』が財布の中から『ゴトウ』の運転免許証を取り出して、皆に見せた。『後藤輝市』と書かれていることから、おそらく『ゴトウキイチ』が本名だろう。

 知鶴は見た目がギャルの『アヤネ』の推理力に舌を巻いた。知鶴はこの鍵型のアクセサリーにはいま気付いたが、『アヤネ』はもともと気付いていたのだろうか。ふと同時に、一つ疑問が湧いた。

「『ラズベリー』は確かにキイチゴだけど、『ブラックベリー』もキイチゴに含まれますよ。どうして『ラズベリー』だと……」知鶴は率直な意見を言った。

 ラズベリーの方が日本では一般的だと思われるが、ブラックベリーも同じくキイチゴ属である。なお、タイベリーもキイチゴだが、そのハンドルネームを持つ人物は今回のオフ会に不参加である。

「ああん! もぉうっさいわね!」『アヤネ』は再び投げやりな口調になった。「まぁ、どーせバレてっから白状するわ。アタシが『ブラックベリー』こと黒岩くろいわあや! アタシが『ブラックベリー』だから、この人は『ラズベリー』になるわけ! 以上! 分かった!?」

 『アヤネ』は『黒岩彩峰』と書かれた運転免許証を取り出して提示した。自分のハンドルネームが類推されてしまうのを恐れて、身分証明書の類を携行していたのだろう。

 そして、いまの説明で知鶴は納得がいった。意図せず、『アヤネ』が『ブラックベリー』であることを激白させてしまったが、みな勘付いていたようで、驚きの声を発しなかった。

「ところで、みなさん、こ、これ気付きました?」

 そう言ったのは『ワカバヤシ』だ。『ワカバヤシ』は部屋の奥の角に設置されたテレビ台の近くにひっそり目立たないところに置かれた、何か鮮やかな色の小さなを物体を指差した。

「あっ!」訓覇が大きな声を上げる。他の者たちも一斉に近付く。

 近付いて確認してみると衝撃が走った。

 そこには細いひものようなもので縛られたラズベリーと、その周りには赤い艶やかな果実が転がっていた

 それを見て、後退あとずさりをしたのは『ミホ』であった。

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