第9話;鬼と悪魔
数時間後、佐藤と吉田は神社に到着した。
神社は有名なものではなく、規模も小さかった。周辺にも民家は少なく、田んぼや畑ばかりが目立つ場所で、神社へ訪れる参拝客も多くない様子だ。
「ここで僕の…本当のお母さんがお守りを買ったんですね…?」
「……。」
「兄の名前は、分かるんですか?」
「いや、彼は身分証のような物は所持していなかった。ただ、君と同じ神社のお守りを身に付けていた。今は、それだけしか分かっていない。」
「分かっている事は…僕が、犯人である彼の弟だと言う事と…」
「……。」
そこまで言うと吉田は口を閉ざし、1人、境内を歩き始めた。
神社は歴史が長いと思われ、若しくは改装が出来ずにいるのか、古びた造りをしていた。ただ、清掃などは行き届いており、境内で休憩を取る村の人々が多く見られた。
佐藤はその人達に聞き込みを行った。吉田の写真を以って、周辺で見た覚えがないかを確認した。本当は犯人である兄の写真を見せるべきなのだが、彼は自殺してしまったので叶わない。
「見た事ないねぇ……。」
しかし村人達はその顔に覚えがないと言う。佐藤は目に見える範囲全ての人に聞き込みを行ったが、犯人の顔を知る者は誰1人としていなかった。
それは、逆に不自然な事だった。吉田は既にマスコミに取り上げられ、世間に顔を公表されている。彼が時の人であった事は間違いないのだ。
ここは、山奥にある小さな村だ。また、住人の殆どは年配で、聞くところによると、電波の届きも良くないと言う。
暫くすると、1人で境内を歩いていた吉田が戻って来た。
佐藤は彼と合流し、側にいた村人は、その光景を不思議に思った。
辺りの状況を聞いた佐藤は、民家が多く集まる場所へと移動する事にした。
しかし車に乗り込むと、吉田の顔色を伺った。少しは気が紛れたと思われたが、彼の顔色は悪くなっていた。
「大丈夫かい?無理そうなら、1度引き返すけど…。」
「いえ…気分は悪くありません。ただ…」
「ただ…?」
「…僕と兄は、同じ母から一緒に生まれて、この神社でお守りを与えられたんですよね?」
「……?」
「一体…何処で、どうして、僕だけが捨てられたんでしょうか?」
「……。」
佐藤に答えられるはずもない質問が、吉田の口から話された。
「もう少し奥の方に行けば、集落があるそうだ。そこで聞き込みをしよう。」
佐藤は無言のまま、集落に向けて車を走らせた。
「あの家の…お子さんじゃないかしら……?」
集落に到着した佐藤は吉田を車に残し、1人で聞き込みを行った。彼が側にいると、聞く側の人が戸惑うのだ。
そして数件の家を訪ね歩き、1人の中年女性から情報を得る事が出来た。
「確か…宮元さんっておっしゃったかしら…?」
情報によると、この一家が所有する畑の側に、1棟だけぽつりと立つ家があるのだが、そこの子供ではないか?と言う。
「少し…変ってる人なのよ…。」
「……。変わっている?」
「20年ほど前だったかしらね…。畑の側の古い民家に、越して来た人がいるのよ。畑仕事があるから家の前を耕運機が通ったりで、色々と迷惑を掛けるから私と亭主が挨拶に行ったんだけど……。若い女性が、1人で住み着いたみたいだったのよ。話せば愛想は良いお嬢さんだったけど、近寄り難い雰囲気があってね…。住み着いてから1年ほど経った時に、どうやら双子の男の子を産んだみたいで…。」
「!!」
「でもね…私達の勘違いだったのかしら…?双子だと思っていた子供が、何時の間にか1人になってたのよ。」
「1人に…ですか?」
佐藤は、その家に住む人間が吉田と犯人の母親である事を確信した。
「最初は、私達が見間違えたのかとも思ったんだけど……。でも双子って、片方が弱く生まれる事もあるじゃない?ひょっとしたらもう1人の男の子は、死んでしまったのかな?って…。それからあの人の付き合いは、もっと悪くなって行って…。人が変わったみたいに塞ぎ込んでしまった様子よ。残った子供も、周りとは馴染めなかったみたい。」
「そうですか…。」
「私も、その子と話した事が殆どないの。15年ほど前から姿も見えなくなって…。多分、その子も死んでしまったのね…。」
「お時間取らせました。ご協力、ありがとうございました。」
佐藤は車に戻りながら、難しい顔をして悩んだ。教えられた家は、間違いなく吉田の実の母親が住む家であろう。
問題は、そこに吉田を連れて行くかどうかだ。彼はここに到着するまでは気を確かに持っていたが、神社を訪れてからと言うもの、顔色も悪い。
「何か手掛かり…見つかりましたか?」
大きく深呼吸して車に乗り込んだ佐藤に、吉田が暇を与えず質問する。
佐藤は、吉田と目線を合わせられず少し黙り込み、頭の中で自問自答した。
「吉田君…。もう1度確認するよ?君は、本当に事件の真相を知りたいんだね?それを知った事で、後悔はしないね?」
佐藤は吉田の顔を見て、慎重な表情で尋ねた。
吉田が知りたい事は事件の真相ではなく、家族の真相だ。
「…勿論です。覚悟は出来ています。何を話されても驚きません。このまま何も知らずに過す方が、僕にとっては苦痛です。」
「……。」
返事をする吉田の顔は、神社を訪れる前の表情に戻っていた。
「……分かった。行こう。」
佐藤はそれを確認すると、車を走らせ始めた。
移動は3分と掛からなかった。聞き込みをした家からも、目的地は確認出来る距離にあった。
車を降りる前に、佐藤は吉田の顔を伺った。
吉田は無言のまま首を縦に振り、佐藤の後を追った。
「ここだよ…。」
表札はなく、家自体も古く、とても人が住んでいるような雰囲気ではなかった。
呼び鈴もないので、佐藤は玄関の扉を叩いて家の住人を呼んだ。
暫くすると磨りガラス扉の向こうから、誰かがこっちに来るのが分かった。
佐藤は固唾を飲み、体を緊張させた。その後ろで、吉田も同じような行動を執っていた。
住人は扉を開けず、ぼやけた姿のままこちらに話し掛けてきた。
「どなたですか?」
「…警察のものです。宮内優二さんのご家族ですよね?」
「!!」
佐藤は吉田の本当の名を、扉の向こうにいる住人に伝えた。
住人が、ぼやけた姿であるにも関わらず驚いた事が分かった。そして下を向き、扉を開ける事を躊躇していた。
「……少しだけ…お待ち下さい。……逃げはしません……。」
扉の向こうの住人はそう答えた後、こちらに背を向けて黙り込んだ。
住人は間違いなく、吉田の、そして殺人犯である彼の兄の母親だ。彼女は息子の名前を伝えられ、全ての事を把握した。
テレビの電波も届かない地域であるが、母親は、事件の経過を把握していた。吉田が、容疑者として挙げられた事も知っている。
その息子が、警察と一緒に訪れたのである。それが何を意味するのかを知る彼女には、時間が必要だった。
佐藤と、そして実の息子を外で待たせた彼女は、号泣し始めた。
吉田はその声を、黙ったまま扉の外で聞いていた。
「お入り下さい……。」
30分ほど過ぎた後、母親は遂に扉を開けた。
「優二……。」
そして、ぼやけて見えていた息子の姿を確認すると腰から落ち、その場でもう1度泣き始めた。
「……。」
吉田は何も出来なかった。
目の前にいる女性が、本当の母親だと言う事は分かっている。だが、やはりその人を目の前にしても実感が沸かない。
ただただ当惑した。
「ご免なさい。ご免なさい。ご免なさい……。」
泣き止んだ後、母親は、吉田に目を向ける事はまだ出来ず、ただただ謝罪を繰り返した。
そして母親は、2人を応接間に案内した。
(これが、僕が生まれた家…。)
吉田は応接間の様子を眺めながら、自分が育つべき場所がここであったと感じた。
母親は佐藤を向いにして卓袱台に座り、ゆっくりと話し始めた。
「雄一は…捕まったんでしょうか?」
その言葉に、吉田と佐藤は体を硬直させた。彼女の口から、全ての真実が語られると思った。
「8人の男を…全て殺したのでしょうか…?」
「!!」
しかし母親はこの時、事件の真相を話すよりも、復讐の行方を知りたがった。
佐藤は彼女の、復讐心の深さを思い知らされた。
吉田も、やはり連続殺人事件の発端が母親にあり、兄がそれを助けた事を知った。そして兄の名前は雄一だった知ると、亡くなった彼が犯人であろうが人殺しであろうが、愛おしく思え始めた。
「犯人は8人の男を殺害した後、自害しました。…彼は亡くなりました。」
「………。」
母親は顔を下に向けて暗い表情を作り、口を閉じた。
「そうですか……。」
そして一言だけ返すと、また暫くの間、黙り込んだ。
母親の態度に佐藤は当惑した。息子の死を前にその態度は、余りにも淡々とし過ぎている。悲しがる素振りもなく、また、復讐を達成したと言う喜びもなく、ただただ、無表情に似る顔を作って黙っていた。
「全て、私が原因です。雄一に8人の男を殺させたのも、雄一が自殺したのも…。全て私に原因があります…。」
母親はそう言って席を立ち、お茶を準備すると言って、台所へ向かった。
吉田はその後ろ姿を見ながら、まだ何も話せずにいた。
母親の態度には理由があった。彼女は既に、雄一が命を絶つ事を予想していた。数ヶ月前に、彼から1通の手紙を受け取っていた。
その時既に彼女は泣きたいだけ泣き、息子に復讐を委ねたのは間違いだったと悟った。それからずっと、母親は雄一の死を覚悟し、彼を追悼する日々を送っていた。
母親は、流してやる涙を全て流し果て、『無』になっていたのだ。
そして、やがて警察は訪れる…。全てを話さなければならないと、全てを終わらせなければならないと、彼女は今日の日を待っていた。
彼女は、覚悟を決めていた。しかしまさかこの場に、孤児院に預けたはずの優二が訪れるとは思ってもいなかった。
そして佐藤は、母親が決めた覚悟を知った。
「!?何をする!」
佐藤が大声を上げ、腰にある拳銃に手を回した。吉田も事態を把握し、腰を少し上げた。
お茶を準備すると台所に向かった母親が、包丁を片手に戻って来たのだ。
「全てが…」
しかし、緊張感を走らせる2人を前に母親は冷静を装い、それでも青ざめた顔で語り始めた。
「全てが終わりました。私の、長かった復讐は終わったんです。」
「……。」
「……。それが終わると、楽になると思っていました…。男達に復讐する事が…私の宿命だと思っていたのに……。」
そこまで言うと母親は腰を崩し、涙を見せ始めた。
「数ヶ月前、雄一から手紙を貰いました。手紙を読んで、私は…自分の行いを後悔しました…。それでも…あの男達は許せない…。奴らは、生きる価値もない人間だった!」
「……?」
「奴らは…私を辱めた。私を連れ去り、1ヶ月もの間監禁して、私を奴隷のように…いや!奴隷以下の畜生として扱った!!」
「………!!」
そこまで聞いた時、佐藤は頭の中のパズルを完成させた。事件の真相が、全てはっきりと見えた。やはり事件は、目の前にいる女性による復讐劇に間違いなかった。
「だから私は、奴らが私に植え付けた子供を利用して、奴らを殺す事を誓いました!!」
「!!」
そして吉田も、事件の全貌と実の家族の背景を知った。
彼は腰を落とし、絶望的な表情を浮かべた。
母親は昔、8人もの男に辱められ、その結果自分が生まれた事。そしてつまり父親は、殺害された8人の内の誰かであり、兄は、その全員を殺した犯人だった。
吉田は兄が犯した罪を知りながらも、淡い期待を抱いていた。養親を失った彼にとって、孤児だったと知らされた彼にとっては、本当の家族がいると言う知らせは、失ったものを取り戻せる機会だった。
しかし、ようやく出会えた家族の事情は想像もしないものだった。
「雄一が死を覚悟した事は、手紙を読んで薄々感じました。しかし連絡を取れなくなった私は、あの子を止める事が出来なかった…。」
涙が枯れた母親は立ち上がり、鬼のように怒り狂った形相を浮かべ、大声で叫び始めた。
「私の中に、鬼が芽生えた!そしてそれを、雄一にも分けた!男達を殺す事には、何の躊躇いもなかった!」
「……。」
「私は…雄一が死んだとしても、男達が殺される事を望んだ!私は鬼!そして雄一は…鬼と悪魔の血を引き継いだ!!」
そう言うと母親は包丁を持つ右手を大きく振り上げ、自分の腹にその鋭い先を突き刺した。
「止めろ!!」
いち早く気付いた佐藤だったが、彼女を止める事は出来なかった。彼女は腹から、赤い血を流し始めた。
その姿を見て、吉田は思わず叫んだ。
「母さん!!」
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