23.迷い込んだら
姉妹はアルトにベッドを一つ貸してくれた。やっと布団で眠れると思いきや、これが寝づらいのなんの。
布切れみたいな掛け布団に必死にくるまるしかない。
が、気づいたらもう朝だった。いつのまにやら眠っていたらしい。
辺りに、不思議な匂いが漂っている。どうやらそれで目が覚めたみたいだ。
「……?」
寝室を出ると、デニサが鍋のようなものをかき混ぜていた。
「あら、起きた?」
ダリアが立ち上がって微笑んだ。
「こっちへいらっしゃい。着替えをあげるわね」
そうして渡されたものは、どうしてか、ちゃんとサイズの合った男児用の服だった。
そして生地がしっかりしている。
もちろんアルトの物とは天地ほどの差があるが、庶民にしては少し立派な気がする。農民はもっと粗末な襤褸を着ていたと思う。
服を抱えて、少し考え込んだ。
この二人は、何者なんだろう?
「ねえ、なんでこんな服を持ってるの? お姉さんたちは誰なの。どうしてこんな森の中に住んでるの」
アルトは聞いた。
二人の動きが、一瞬、止まった気がした。
「わたしたちはね、村を追い出されちゃったの」
ダリアが答えた。
「えっ……どうして」
「そういう決まりだったからよ」
今度はデニサが言った。
「さあ、朝食にするわ。着替えるなら着替えてらっしゃい」
「え、あの……」
「早くなさい。冷めてしまうわ」
***
はぐらかされちゃったな、と思いながらアルトは席についた。いっぺんに色々と訊きすぎたかしら。
目の前には、どろっとした不思議な液体の入った皿のようなものが置いてある。
まさか、朝ご飯はこれっぽっちなのだろうか。というかこれはナニモノ? スープ?
二人がごく当たり前のように食べ出したので、アルトも恐る恐るスプーンをとって口にしてみた。
なんか……野菜? 豆? 穀物? やはりどろどろしていて、温かくて、……まあまあ、美味しい。
しかし食べつけない味なので、少し苦労する。
ふと、デニサが時折小さな肉片をつまんでいるのに気がついた。
「ああ、あれはね、食べない方がいいわよ」
アルトの視線に気付いたのか、ダリアが言った。
「そうなの?」
「姉さんはちょっと変わってるから……。アルベルトちゃんが食べても美味しくないわよ」
「ふうん……」
これ以上、未知の味に挑戦する気力のなかったアルトは、諦めてスープ(?)だけで我慢することにした。
「……午後には」
デニサがまた唐突に言った。
「燻製肉を出すから。それまで待ってて頂戴」
「はぁい。……あ、でも」
アルトはピッと姿勢を正した。
「僕、行かなきゃいけないところがあるの。泊めてくれて、ごはんまで出してくれてありがとうございます。でも僕はもうじき出ます」
しばし沈黙が流れた。
「……やめた方がいいわよ」
「えっ」
「そうよ、アルベルトちゃん。森は危ないのよ」
「でも」
「せめてちゃんと体力を回復させてからの方がいいわ。昨晩はとっても疲れている様子だったもの」
ダリアはにっこり笑っていた。
「子供はよく寝てよく食べること。後のことは元気になってから考えなさい」
「……」
一理ある。
……特別急ぐ必要もない。どうするかは手紙の返事を読んでから判断してもいい。ティラさまもセウェルさまも、そんなに急かしはしないだろうし。
追手のことが気がかりだが……まさか黒い森まで探しに来ることは、しばらくはないだろう。
「分かりました。お……おせわになります」
「ええ」
ダリアは笑みを絶やさずに頷いた。
***
……お腹が空いた。こんなに空いたのは初めてかも知れない。
まさか食事が日に二回きりだとは……失念していた。
しかもパン(のような何か)がモッサモサで不味かった。燻製肉は美味しかったけれど……。
物足りなさをお腹に抱え、アルトはおんぼろベッドに今晩も身を横たえた。
庶民の生活、悪いとは言いたくないけど……僕には慣れないことばかりだな……。
しかも──昼間には働かされたものなぁ。
ダリアと一緒に外に出て、見よう見まねで裏の畑の草をむしらされた。
「まあ、それは抜いちゃいけないわ」
「だめよ、ちぎっちゃ。ちゃんと根っこまで抜かないと」
「そこが終わったら次はこっち。がんばって」
というわけで疲れている。この日もアルトはあっという間に寝てしまった。
──そして真夜中、パサササ、という音で目を覚ました。
身を起こす。
真っ暗だ。
膝の上に、ぼんやり白く光るものが乗っかっている。
「伝書鳥!」
では手紙は届いたのだ。良かった。
どうやってか知らないが、締め切った家の中に入ってきて、返事を届けてくれた。
……読むのは朝になってからでいいか……。
ありがとう、と小声で言う。そしてその子を本体の横腹に押し付けると、二羽はぽこんと一体化して一羽になった。
自分が当然のように妖精の扱いを知っていることが、我ながら面白くもあり、不気味でもある。
「ふう……」
妖精を布団の中に隠していると、隣の部屋から話し声が耳に届いてきた。
「姉さん」
「何」
「どう考えても新王陛下よねぇ」
「!?」
アルトは息を呑む音がばれないように、慌てて口を押さえた。
「ああ、その話……」
「明らかにおかしいもの!」
「そうね」
「ずいぶんと良い服を着ていたし。読み書きができるし、普通の家にペンとインクがあると思っていたし。畑仕事も知らないし。しかも」
「伝書鳥を連れてる」
「それよ。……ブラウエン領でぬくぬくしているはずの王様が、どうしてこんなところでわたしたちの罠にかかっているの?」
──全部見抜かれていた!?
それに、罠? 罠って何だろう。
「シュヴァルツ様のご意向なの?」
「シュヴァルツ様がこんなこと指示なさるはずがないわ。あの子、手紙にはブラウエンの仕業だって書いていた」
「やっぱり読んでたのね、姉さん。……そう。なるほど」
「シュヴァルツ様にお知らせした方がいいわね」
「えー、そんな必要ある?」
「当然でしょ。魔女として生きることにお目こぼしを頂く代わりに、協力するという契約なのですから」
「それ、百何十年前の話よ……。当時の領主様はもう土の中で朽ちてるわよ」
「それでも契約は契約」
──魔女。魔女?
妖精と人間の混血っていう、あの?
本当にいたんだ。だから村を追い出されたって……。
待って……どうして人間のような暮らしをしているんだろう……? お目こぼしって、シュヴァルツがそれを許したってこと?
──というか、大変だ。シュヴァルツに居場所がばれてしまう。
「あーあ。あの子の目、すっごく綺麗なのに。欲しかったわ……ねえ、一つだけでも取っちゃだめかしら」
「…………」
「姉さん?」
「……ああ。貴族の若い肉というのも悪くはないかもしれない……と思っていたところよ」
「まあ、珍しい。姉さん、いつも大事に育てて、やることやってから食べるのに」
「あら、言い方が納得いかないわ。わたしは、深く深く愛したものを、永遠に自分のものにしたいだけ……」
「やっぱり理解できないなあ。よく知った人や自分の子供を殺すなんて。わたしはイイと思ったらすぐ取っちゃう。えい、って」
「あなたのその目玉愛の方が理解できないわよ。食べてしまった方がいいのに」
「えーっ。あれは大事な蒐集品よ。宝石なの。濁ったやつはいらないからあげるけど、綺麗なのはだめ。ちゃんと保管するんだから」
「……ふふ」
「うふふ」
「……やっぱりだめよねえ。さすがに王様の目を取っちゃ、何かしら処分を受けちゃうわ」
「ぜんぶ食べちゃえば誰にもバレないわよ。……と言いたいところだけど……きっとシュヴァルツ様はそれをお望みではないわね……」
姉妹はそろって、実に、実に、残念そうな溜息をついた。
「…………」
アルトは壁に寄りかかって、腰を抜かしていた。
……いつだったか乳母が聞かせてくれた、“黒い森”に関する噂話を思い出していた。
──黒い森に迷い込んだら、無事では帰れないんですって。魔物に取り憑かれるとか、失明するとか、魂を抜かれるとか、忽然と消えていなくなるとか、人喰い女に喰われるとか。
あの話は本当だったのだ!
(罠ってこれのこと? 人間を保護したふりをして、目玉をとって食べちゃうの……!?)
何でシュヴァルツはこんなのを野放しにしているの。何で僕はこんなに、繰り返し怖い目に遭わなきゃならないの!
こんな所にいつまでもいられない。いつ彼女らの気が変わるか分からない。
「とにかく、明日シュヴァルツ様に連絡をしましょう」
「分かったわ、姉さん。……おやすみ」
「おやすみなさい」
アルトは慌ててベッドにもぐりこんだ。手紙と伝書鳥を寝巻きの下にぎゅっと隠す。同時に扉が開いて、二人が入ってきた。
どくんどくん、心臓の音で耳が痛い。
(二人が寝たらそっとここを出よう。そしてすぐに伝書鳥が飛べる場所を探して、逃げるんだ)
アルトは息を殺してその時を待った。
そして二人が完全に眠ったことを確認してから、そうっと、寝室の扉を開けた。
「──どこへ行くの」
「ピャッ!?」
アルトは飛び上がった。
いつの間にかデニサが起き上がって、瞬きもせずに真顔でアルトを見据えていた。
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