祈願。



 ---------年が明けた。


 正直、早川さんから『あけおめLINE』が来ると思っていた。


 夜になって、あと2時間で元日も終わるというのに、早川さんからは一切音沙汰がなかった。


 早川さんからしたら、俺にそんな事をする義理などないし、したくもないだろう。


 俺、早川さんに酷い事いっぱいしたし、いっぱい言ったし。


 早川さんの事、初めは『ウチの親父と不倫する様なろくでもない女の、ろくでもない娘』だと思っていた。


 でも、早川さんと接しているうちに、早川さんの優しさや一生懸命さに触れて、そんな気持ちもどんどん消えていった。


 「…早川さん、今何してるのかな」

 

 勉強をしていた手が止まる。


 シャーペンの代わりにスマホを握ると、親指で画面をスクロール。


 「…声が聞きたいな」


 親指が『早川莉子』のアドレスを捉えた。スマホを耳に当てると、


 『お掛けになった電話番号は、電波のない所にあるか、電源が入っていない為繋がりません』


 早川さんではない女の人の声がした。


 …電波がない? 早川さん、正月早々どこにいるの?

 

 首を傾げながらスマホを眺めていると、手の中でスマホが震えた。


 画面に表示される、知らない番号。


 俺は普段、アドレスに登録してない番号からの電話には出ない。


 でも、『早川さんのスマホ、バッテリー切れで誰かから借りて電話して来たのかもしれない』などと、自分に都合の良い期待をしながら通話のボタンを押した。


 「…はい」


 『あ、木崎先輩の携帯ですか!? 私、莉子の友達の島田沙希って言います。あの、莉子の事知りませんか? 昨日の夜に出かけたきりまだ家に帰ってないみたいで…。携帯も繋がらなくて…』


 『島田沙希』と名乗る女のコが、相当焦った声を出していた。


 ていうか、何? 早川さん行方不明なの?


 「俺にも連絡ないけど…。島田さん、俺の番号どうして知ってるの?」


 色々とわけが分からない。自分の携帯番号を知られているのも、何か気持ち悪い。新年早々、新種の詐欺か何かか?

  

 『すみません。知り合いに手当たり次第に聞きまくりました。あの、木崎先輩のお母さんの実家ってどこですか? 莉子、木崎先輩のお母さんの地元の神社に行くって言っていて…。一緒に行けば良かった』


 涙声になる島田さん。


 話の内容から、島田さんが言っている事は嘘でも詐欺でもなさそうだった。むしろ、緊急事態だった。


 「…探しに行かなきゃ」


 オカンの田舎は、街灯もない。夜になったら真っ暗になる。


 神社がある山は、熊が出てもおかしくない様な場所で。


 早川さんにもしもの事があったらどうしよう。

  

 『私も行きます!! 場所、教えて下さい!!』


 スマホから、島田さんが鼻を啜る音が聞こえた。


 島田さんが泣いてしまうほどに心配をしている。


 「あんな暗い所に女のコを連れて行けない。早川さんから何か連絡くるかもしれないし、島田さんは家にいて。何か分かったら、必ず連絡するから」


 島田さんの返事を待たずに、一方的に電話を切った。


 悠長に島田さんと『どうしよう、どうしよう』なんて言っている場合じゃない。


 こんな真冬に、あんな極寒の田舎で助けも呼べない状態だったとしたら…。心配で気が気じゃない。


 …もし、助けを呼ぶつもりもないんだとしたら…?


 俺、親の事で随分早川さんを追い詰めたし…気持ちが疲れていたんだとしたら?


 心配事がある時の人間の思考というのは、どうしてこうも悪い方へ悪い方へと進んで行ってしまうのだろう。


 ごめんね、早川さん。絶対に見つけるから、一緒に帰ろう。

 


 早川さんがくれたネックウォーマーを首に通し、寒い思いをしているであろう早川さんの為に、ポケットに入るだけカイロを突っ込んだ。


 乱暴に靴を履き、玄関を飛び出して、エレベーターのボタンを押すも、こういう時に限って4つあるエレベーターの全部が下の階にいたりする。


 「~~~あー!! もー!!」


 エレベーターなんか待っていられない。


 階段を駆け下りる。階段で行くよりエレベーターを待った方が、結果的には時間のロスが少ない事は頭では分かっているのに、じっとしていれない。


 早川さん。早川さん。


 足より気持ちが先走って、何度か転げ落ちそうになった。


 その度に手すりに捕まり、何とか持ちこたえる。


 何をやっているんだ。落ち着け、俺。

 


 1階に辿り着き、何気なく郵便受けの方向を見る。


 ウチの郵便受けの前に、見覚えのある姿があった。


 会いたくて、心配で仕方なかった人の後姿。


 「早川さん!?」


 「えッ!?」


 俺に呼ばれて驚いた早川さんが、不意に持っていた小さな白い袋を郵便受けの中に落としてしまった。


 「あー!! 入れちゃった。木崎先輩に会えるなら手渡せたのに」


 郵便受けの細長い穴に無理矢理手を入れて、さっき入れたものを取り戻そうとする早川さん。


 俺が見ていない所でやっていたら、不審者として捕まっていただろう行動だ。


 「早川さん、何してるの!! 島田さんが『莉子が帰ってこない』って凄く心配してるよ。早く島田さんと家に連絡入れて!!」


 早川さんに近付き、郵便受けから早川さんの手を引き抜く。


 「でも、スマホのバッテリーが切れちゃっているので。帰ったらすぐ電話します」


 「俺の貸すから!!」


 自分のスマホを早川さんに握らせると、早川さんが困った表情で『うーん』と唸った。


 「…沙希の電番、覚えてません」


 とりあえず『080』とだけ押してみる早川さん。


 その先の番号なんか、絶対思い出せないくせに。


 こういう早川さんのバカさが面白くて、最近は可愛いなとも思う。

 

 「島田さん、知り合いに俺の番号聞きまくって、さっき掛けてきてくれたんだよ。着暦の1番上の番号、島田さんだから早く掛けな」


 「そうなんですか!? スミマセン、じゃあ少しだけお借りしますね」


 早川さんは、俺に『ペコ』っと頭を下げると、俺から少し離れて島田さんと自宅に電話を掛け始めた。


 電話なのに『ごめんね、ごめんね』と何度も頭を下げる、早川さん。


 そんな姿を見ると、『イイ子なんだろうな、早川さんは』と心がほっこりした。


 『これ、私のスマホじゃないから、帰ったらちゃんと何時間でも怒られるから、今は切るよ、お父さん』という早川さんの会話により、早川さんのお父さんが相当怒っている事が発覚。早川さんは、言い訳せずに怒られるらしい。俺は、そんな早川さんの潔さも好きだ。


 暫くして、電話を切った早川さんが俺の方へ戻って来た。

 

 「スミマセン、ありがとうございました」


 「ん」


 早川さんからスマホを受け取り、代わりにカイロを手渡した。だって、さっき早川さんにスマホを渡した時、早川さんの手が凄く冷たくなっていたから。


 「あったかーい。ありがとうございます」


 嬉しそうにカイロを両手で握る早川さん。


 そんな早川さんを、もっと暖めてあげたくて、早川さんの背中を擦った。


 …違う。早川さんが可愛くて、触れたいと思った。


 俺が早川さんを嫌っていた様に、早川さんだって俺に嫌悪感を抱いているかもしれない。


 俺にこんなことをされるのは、嫌かもしれない。


 でも、早川さんとくっついていたいと思った。

 


 「早川さん、さっきウチの郵便受けに何を入れたの?」


 早川さんの背中を擦りながら、早川さんの顔を覗き込む。


 「すっごくいいものですよ。見てみて下さい」


 早川さんが『ニィ』と笑って俺を見た。


 その笑顔があまりにも可愛くて、ドキっとした。


 動揺を悟られぬ様に平静を装い、暗証番号を合わせながら郵便受けのダイヤルを回す。


 郵便受けから、早川さんが入れたであろう白い袋を取り出す。


 白い袋を開封すると、合格祈願のお守りと、大吉のおみくじが入っていた。


 「木崎先輩、初詣には行きましたか?」


 「イヤ、まだ」


 初詣は、三が日を過ぎて参拝客が少なくなった時に、オカンを連れて行こうと思ってたから。


 「だろうと思って、木崎先輩の為に大吉を引いてきました!!」


 ニカっと笑ってピースサインを俺の顔の前に翳す早川さん。


 イヤイヤイヤイヤ。おみくじって自分で引かなきゃ意味ないんじゃないの?

 

 「これは早川さんの大吉でしょ?」


 『自分で持ってな』とそのおみくじを早川さんに返そうとすと、


 「ちゃんと自分の分の大吉も引いてきましたから!!」


 『じゃーん!!』と今度は大吉のおみくじを翳す、早川さん。


 「木崎先輩の分の大吉は、1発で出たんですよ、本当に!! でも、私の分がなかなか出なくて…。小吉引いては木の枝に結んで、中吉引いては結びに行って…。お正月なんだからケチケチしないでもっと大吉出易くしてくれてもいいのにさー」


 そう言いながら口を尖らす早川さん。


 どうやら、早川さんの帰りが遅くなった理由は『おみくじで大吉が出なかったから』らしい。てゆーか、


 「おみくじ何回も引き直して出した大吉って…ヤラセじゃね?」


 おみくじってそういうモンじゃなくね?


 「だって、今年は大吉な年じゃなきゃ嫌なんですもん!!」


 早川さんが可愛く開き直った。


 『今年は』。去年はきっと俺のせいで散々な年だったのだろう。


 神様どうか、俺の分も彼女を幸せにして下さい。

 


 「そっか。てか送るよ、早川さん。早く家に帰らなきゃ。ご家族が心配してるでしょ」


 『行こう』と早川さんの腕を引いた。


 背中を擦るのもセーフ。この前、手を繋ぐのも拒否られなかった。


 どこまでなら大丈夫なの? どこからがアウトなのだろう。


 早川さんが俺に好意を持つ事なんてないだろう。


 早川さんが嫌がる事はしたくない。でも少しでも、早川さんに触れたいと思うんだ。


 「1人で帰れます。木崎先輩、本当に入試迫って来てるじゃないですか。早く戻って勉強しなきゃ。それに、風邪でも引いたら困るからもう戻って下さい」


 早川さんが、早川さんの腕を掴んでいた俺の手をそっと下ろした。


 腕を引くのは、アウトなの?

 

 「ここのお守り、良く効くんじゃないの? このお守りと大吉のおみくじ持ってれば、合格するんじゃないの?」


 それでも、やっぱり送りたい。


 往生際悪く、しつこく粘る。


 だって、こんな時間に女のコを1人で帰らせるのは危険だし、俺がもう少し早川さんと一緒に居たいから。


 「しますとも!! しますけど!! …本当にスミマセン。私が調子こいてこんな時間にここに来なかったら、木崎先輩が時間を割いて私を送る必要もなかったのに。ごめんなさい。ごめんなさい」


 早川さんが、顔を歪めて俯いた。


 確かにこんな時間まで家に帰らずに、周りに心配をかけたのは良い事とは言えない。


 でも、お守りもおみくじも嬉しかった。


 だって、1人であんな田舎まで行って、神社までの山だって登ってくれたんでしょ?


 「早川さんを送るのは、嫌々じゃない。俺が送りたいから送るの」


 凝りもせずに、俯いたままの早川さんの髪を撫でた。


 「ありがとうございます。木崎先輩、やっぱりおみくじは、ヤラセだろうと何だろうと、大吉を出せば大吉な1年になるんですよ」


 早川さんが、俺を見上げて微笑んだ。


 早川さんの言っている意味は分からないけれど、早川さんがそう思うならそれで良いと思う。


 だって、早川さんが嬉しそうに笑っているから。


 「あ。忘れてた。あけましておめでとうございます、木崎先輩」


 「あけましておめでとうございます、早川さん」


 早川さんの今年が、来年も再来年もずっとずっと、めでたく楽しい年であればいいなと思った。

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