衝突。

 



 ---------6時間目。古文。


 日本語のはずなのに、全くもって理解不能な古い書物の文章に、何発目かさえもう分からない欠伸が出た。


 …眠い。眠すぎる。


 必死に眠気と戦っていると、机の中でスマホが光った。


 〔今日、ヒマ?〕


 木崎先輩からのLINEメッセージ。


 木崎先輩の家に行った日に〔母ときちんと話し合いが出来たら、私から必ず連絡しますので、暫く待って下さい〕とメッセージを送ってから、1週間が経っていた。


 この1週間、木崎先輩と連絡を取り合っていない。


 お母さんと話し合いが出来ていないから、連絡しようもなかった。


 木崎先輩からのメッセージはきっと『まだ話し合ってないのかよ』というお咎めだろう。


 あぁ。気が滅入る。


 『バイトです』って、嘘吐いちゃおうかな。今日、バイトの日じゃないけど。…イヤ、やめとこう。ウチの住所まで調べていたんだし、私のバイト先も知られてるかも。バレた後の言い訳考える方が厄介。


 「はぁ…」


 嘘を吐くわけにいかないから、代わりに溜息を吐いた。

 

 しかし、今日のメッセージに前回ほどの圧力は感じなかった。前はもっと、有無を言わさぬ感じだったのに。


 …もしや、今日は機嫌が良いのか? 木崎先輩。


 〔予定なしです〕


 一縷の期待を胸にメッセージを返すと、


 〔校門で待ってるから、授業終わったら来て〕


 木崎先輩から返事が来た。


 ヤダ、もう。『校門で待ってる』だってー。どうしよう。



 全然ドキドキしなーい。


 1ミリたりともワクワクしないですよ。むしろゲッソリですよ、木崎先輩。



 古文が終わり、鞄に荷物(と言っても、勉強道具ではなく、雑誌等々ですが)を急いで詰め込んでいると、


 「どうした? そんなに急いで」


 前の席の沙希が、クルっと振り向いて私の机に頬杖をついた。


 「木崎先輩が校門で待ってるんだ。急がないと。待たせちゃうと…ねぇ」


 私なんかを待つ事事態嫌だろうに、遅れたりしたら木崎先輩の機嫌が損なわれてしまう。


 ただでさえ嫌われてるのに、これ以上は阻止したい。


 「なんか、木崎先輩の下僕みたいだね、莉子」


 何故か沙希の方が機嫌を損ねてしまった。


 「ん?」


 「そりゃ、木崎先輩からしたら莉子は『木崎先輩の父親と不倫してる女の娘』だけどさぁ、木崎先輩だって『莉子の母親と不倫してる男の息子』じゃん。お互い様じゃん」


 沙希の言っている事は尤もで、私だって最初はそう思っていた。


 でも、木崎先輩と私とでは、事情が違う。


 私には、木崎先輩が背負っている責任も傷もない。


 4歳から、自責の念にかられ続けている木崎先輩は、どうにも出来ない状況に、苛立って、切羽詰まっているのだと思う。

 

 「てゆーか、莉子は何にも悪くないじゃん。莉子のせいじゃないし。なんかムカつくわー。莉子の対する木崎先輩の態度」


 沙希には、木崎先輩の家に行った事等は話したけれど、木崎先輩のお母さんの足の事、木崎先輩が責任を感じている事は話さなかった。


 軽々しく話すべきじゃないと思ったから。


 その事を知らない沙希は、私の為に腹を立ててくれている。


 なんていい奴なんだ、沙希。


 「愛してるぞ、沙希。褒美にチュウしてやる」


 沙希に抱きつき、顔を近づけると、


 「いらねーわ。やめろや。退け!!」


 両手で顔を押し退けられ、全力で拒まれた。


 首が、どうにかなるかと思った。

 

 沙希へのキスは諦め、『じゃあ、行くね』と沙希に手を振ると、痛めた首を擦りながら教室を出て、校門へ向かった。


 宣言通り、木崎先輩は校門に寄りかかりながら立っていた。


 「スイマセン。待ちました?」


 本当は沙希とふざけてて遅れたくせに、『急いで来ました』風を装う為に、小走りで木崎先輩に駆け寄る。


 「行こっか」


 木崎先輩も、私の事はスルーかよ。


 「どこへ行くんですか?」


 「……」


 問いかけには答えないし。

 

 木崎先輩の少し後ろを、木崎先輩の影を見ながら歩く。


 今日も会話はない。


 気まずいと言えば気まずいが、下手な事を喋って嫌な顔をされたくないし、そもそも喋りたい事もない。


 しかも、気まずい状態にも若干慣れた。


 ただ、木崎先輩の後を追って歩く。



 「……え。」



 木崎先輩と一緒に電車乗り、降りた駅は木崎先輩の家がある駅だった。


 「…木崎先輩の家に行くわけじゃ…ないですよね?」


 木崎先輩は、私が木崎先輩の家に行く事を嫌がっていたし、私だって行くのが辛いとはっきり言った。


 木崎先輩は何の目的で、この駅に私を連れて来たのだろう。


 「…オカンが、『莉子ちゃんが遊びに来ない』って淋しがってて…。今日はウチで晩ご飯食ってって」


 木崎先輩の前髪に隠れた眉毛が、中央に押し寄せられているのが見えた。


 母親に引け目を感じている木崎先輩は、お母さんの為なら何でもする。


 お母さんが最優先。私がどんなに辛い思いをしていようとも、そんな事は考慮されない。


 木崎先輩にとって、私の気持ちなんてどうでも良いのだろう。


 木崎先輩のお父さんの愛人の娘の気持ちなんか。

 

 なんて自分勝手な人だろう。


 いつもいつも当たり前の様に私の事を蔑ろにする木崎先輩に、腹が立つというよりは、悲しくなった。


 別に、箱入り娘の様に大事に大事に育てられたわけではない。


 でも、こんなにも『コイツは傷ついて当然』的な扱いをされた事は、今までなかったから、地味に傷つく。


 それでも、4歳から母親への罪悪感を持ち続けている木崎先輩に『行きたくないです』なんて主張出来ない。


 もし私が木崎先輩の立場だったら、私も同じだったかもしれないから。


 「…じゃあ、お言葉に甘えて」


 本当は、木崎先輩の言葉に甘える必要もなければ、甘えたくもない。


 なのに断れない私は、ポケットからスマホを取り出し『今日は友達の家でご飯をご馳走になるから、私の分はいらないよ』とお母さんにLINEメッセージを打った。


 木崎家の晩ご飯は何時なのだろう。


 何時に家に帰れるのだろう。


 今からまた、木崎先輩のお母さんへの罪悪感に耐え忍ばなければならない、長い長い時間が始まる。


 晩ご飯は、木崎先輩のお父さんもいるのだろうか。


 想像するだけで地獄。


 私は、ちゃんと笑顔で食卓を囲めるだろうか。



 ----------2度と来る事はないと思っていた木崎先輩の家に到着。


 木崎先輩が玄関のドアを開けると、


 「莉子ちゃーん!! いらっしゃーい!!」


 木崎先輩のお母さんが、ニッコニコな笑顔で出迎えてくれた。


 木崎先輩は、自分の母親が笑顔になるのが嬉しいらしく、本当は私を家に呼びたくなんかないくせに、『ちゃんと連れて来たから』と木崎先輩のお母さんに得意気な顔をした。


 木崎先輩は、自分の母親を喜ばせる為なら自分の気持ちはどうでも良いのだろう。


 私の気持ちだけじゃない。


 「おじゃまします」


 木崎先輩のお母さんに、軽く会釈をして靴を脱いでしゃがむと、『俺がやるから』と木崎先輩が私の靴を揃えてくれた。


 私への親切じゃない。


 木崎先輩のお母さんに、不機嫌になって欲しくないからだ。


 分かっているから、素直に喜べない。


 「…ありがとうございます」


 嫌われて当然の私だけど、少しでもいい人な印象を与えたくて、お礼はちゃんと言う。


 あざとい木崎先輩の行動に、自分のあざとさを被せる。


 「どーいたしまして」


 木崎先輩が、眉間に皺を寄せながら笑った。


 私たちのこの関係は、一体何なのだろう。

 


 リビングに通され、またあの高級ソファに座った。


 やっぱり、落ち着かない。


 私は今まで『ソファは寛ぐ為のモノ』という認識で生きてきたけれど、どうやらそうではなかったらしい。


 『滑り落ちるんじゃないか』というくらいに浅ーく腰を掛けていると、


 「チョコ好き?」


 木崎先輩が、私の前にチョコとコーヒーを置いてくれた。


 テレビで特集していた、高級お取り寄せチョコだった。


 木崎先輩の家はお金持ちだから、誰に対してもちゃんとおもてなしするのだと思うけれど、チロルチョコでいいのに。


 「大好きですけど、お気遣いなく」


 私なんかを、もてなしてくれなくていいのに。


 申し訳ない気持ちが肥大するだけだから。


 「本当に莉子ちゃんは、礼儀正しくて遠慮深い良い子よねー。きっとご両親の育て方が良いのね。でも、壁作られてるみたいで淋しいから、遠慮なんかしないでね」


 そう言いながら、木崎先輩のお母さんが、チョコの入ったお皿を私の方に寄せた。


 『育て方が良い』って…。私を産んで育てた母親は、アナタの旦那様と不倫をしているのですよ。


 苦しくて、益々チョコなど喉を通らない。


 「全然良い子なんかじゃないですよ」


 大事な事をアナタにひた隠す、腹黒い子ですよ。


 「何言ってるの。莉子ちゃんはとっても良い子よ。娘に欲しいくらい」


 何も知らずに無邪気に笑う木崎先輩のお母さんに、胸が痛む。


 本当の事を知ったなら、私を娘にしたいなどと思うわけがない。


 『私、嘘吐けないタイプなんです』なんてアイドルみたいな事を言うつもりはないけれど、きっと私は詐欺師にはなれない。


 まぁ、そんなモノになる必要ないのだけれど。


 嘘は、こんなにも辛くて疲れる。


 結構ヤバイよ、木崎先輩。


 耐えられないよ。

 

 「でも、莉子ちゃんが来てくれて良かったー。折角今日はすき焼きにしようと思ってたのに、さっき主人から『今日は遅くなる』って連絡が来ちゃって。主人の分もたくさん食べてね、莉子ちゃん。お肉もいっぱいあるからね」


 木崎先輩のお母さんが、少し残念そうな顔をした。


 でも私には好都合で、正直ホっとした。


 …でも、ちょっと待って。さっき木崎先輩のお父さんから連絡が来たって言ってたよね?


 私がお母さんに『晩ご飯はいらない』ってLINEしたのも、ついさっきだ。


 …嫌な予感がしないでもない。お母さんを咎める私がいない事をいい事に、お母さんは今夜、木崎先輩のお父さんと会う気なのでは…。


 木崎先輩のお父さんは、ウチのお母さんと食事をしようとしてるわけじゃ…ないよね?


 そんな不安は、木崎先輩には言わなかった。


 折角のすき焼きだ。ちょっとでも楽しく、美味しく頂きたい。


 「じゃあ、遠慮なく。あ、何かお手伝いする事があれば言って下さいね」


 笑顔を作って木崎先輩のお母さんに向けると、


 「手伝いとかいらないから。材料切るだけだし」


 横から木崎先輩が、私の社交辞令をバッサリ切った。


 私に手伝って欲しくない事なんか知ってるよ。


 お約束で言っただけじゃん。そんな風に切り捨てなくてもいいのに。


 てゆーか、すき焼きも木崎先輩が作るのね。

 

 「なんで『ありがとう。気持ちだけもらっとくね』的な言い方が出来ないかなー、このコは。だから彼女出来ないのよ。てゆーか、すき焼きくらい私が作るから。湊は勉強したら? そんなんじゃ医大落ちるわよ。学校のテストだって近いんでしょ?」


 『ゴメンね、莉子ちゃん。湊はそっけないだけで、悪気はないの』と木崎先輩のお母さんが私に苦笑いしながら謝った。


 別にそんな事は既に慣れているから、どうでもいい。


 そんな事より、木崎先輩、医大受けるの!?


 この人、顔だけじゃなくて頭も良いんだ。


 「今日はカテキョの日じゃないからいいの。それに、俺は夜じゃないと頭が冴えない」


 『という事で、オカンは何もしなくていいから』と、やっぱり木崎先輩は、お母さんにすき焼きさえも作らせる気はないらしい。


 木崎先輩のお母さんは、木崎先輩のおかげで、完全に箱入りお母さんだ。

 

 てゆーか、忘れてた。そうじゃん。テスト近いじゃん。すき焼き食ってる場合じゃないじゃん。


 私は木崎先輩と違って、頭の回転がすこぶる鈍い。


 帰ったらテスト勉強しなきゃなー。しかしながら…。


 「凄いですね。医大なんて」


 私には到底無理だ。前回のテストは、徹夜で必死に勉強したというのに、数学も化学もギリ平均点だったし。


 「どうせ医大だって、私の足の事を勉強したくて行くのよ、きっと。重いのよねー、そういうの。一人息子なんだから、経営学部でも行って木崎グループ継げっての」


 木崎先輩のお母さんが木崎先輩に細い目を向けると、


 「『木崎グループ継げ』って方が重いだろうがよ」


 木崎先輩が細い目を仕返しながらも『フッ』と少し笑った。


 「あ、莉子ちゃん。莉子ちゃんもテスト勉強しなきゃだよね? もしだったらウチでしない? 分かんないとことか湊に聞けばいいし。私も莉子ちゃんが来てくれると嬉しいし」


 木崎先輩のお母さんが、閃いた様に突然とんでもない提案をした。


 木崎先輩の顔が、尋常じゃなく曇る。


 こっちだって、そんな嫌そうな顔する木崎先輩になんて教えてもらいたくないっつーの。


 「私も夜にならないと頭が冴えないタイプなので…」


 木崎先輩の言葉をパクってやんわり断る。


 言いながらちょっと笑いそうになった。


 私の頭は、夜になっても冴えない。

 

 私の返しに『よしよし』と頷いた木崎先輩は、すき焼きの支度をすべく、キッチンへ行った。


 「医大に行こうって人間が、すき焼きなんか作ってて大丈夫なのかしら」


 キッチンに立つ自分の息子を眺めながら、木崎先輩のお母さんが車椅子の手すりに頬杖をついた。


 「木崎先輩なら、きっと受かりますよ」


 超適当な返事。だって、木崎先輩の頭の程度なんか知らない。


 「私の実家がある田舎の神社の合格祈願のお守りが、すっごく良く効くから買って来てあげたいんだけど、山奥すぎてこの足じゃ行けないのよねー」


 木崎先輩のお母さんが、残念そうに足を擦った。


 「因みにどこにあるんですか?」


 「ココ。」


 木崎先輩のお母さんがタブレットですぐさま調べて見せてくれたソコは、足が丈夫であっても行き辛い、ビックリするほどの山中だった。


 木崎先輩のお母さんには引け目もあるし、なんなら代わりに行こうかと思ったが、ガチで山だ。最早、登山。


 しかも、県内ですらない。遠すぎる。


 良かった。調子に乗って『じゃあ、私が買って来ますよ』とか言わなくて。


 「木崎先輩のお母さ…綾子さんの実家って、結構遠いんですね」


 自分の母親じゃない人を『綾子さん』と呼ぶのは、やはりカナリの違和感がある。


 「すっごい田舎でしょ。でも、とっても良い所なのよ」


 木崎先輩のお母さんの言うとおり、画像で見る限り本当に綺麗な場所だった。


 「そうなんでしょうね」


 緑がたくさんあって、マイナスイオンが大量放出されていそうな森があって、天然ミネラルたっぷりの水が惜しみなく使われているだろう田園が広がっていて。


 ちょっと、行ってみたいな。と思った。

 

 木崎先輩のお母さんと談笑をしていると、


 「すき焼き出来た」


 木崎先輩が私たちを呼びに来た。


 木崎先輩は、すき焼きを作っただけでなく、ダイニングテーブルに綺麗に食器もセットしていた。


 お皿くらい運ぶのに。それさえも手伝って欲しくなかったという事か…。


 てゆーか、すき焼きに入ってるお肉、絶対高いヤツだ。


 ゴメンよ、弟。お姉ちゃんばっかりおいしいご飯を食べちゃって。


 …弟は今日、お母さんの晩ご飯を食べているんだよね?


 気になって、ポケットからスマホを出して弟にLINEメッセージを打つ。


 〔今日の晩ご飯、何だった?〕


 私のメッセージはすぐに既読になり、弟からの返事も速攻で来た。


 〔お母さん、今日人手が足りなくて仕事が長引くらしいから、さっきコンビニでお弁当買って来たー〕


 嫌な予感は的中しているのかもしれない。


 今までも、お母さんが仕事を理由に帰りが遅い事は割りとあった。


 ずっと『お母さん、大変だなー。偉いなー』などと思っていたけれど、今となっては全部不倫の口実だったように思えてならない。


 本当に仕事であって欲しいけど、多分違う。


 だって、木崎先輩のお父さんもタイミング良く仕事が長引くなんて不自然だ。

 

 モヤモヤした気持ちのまま食べるすき焼きは、それでも超絶美味かった。


 お肉は溶ける程柔らかくて、味付けも抜群だった。


 多分、木崎先輩は相当料理が上手なんだと思う。


 でも、やっぱりお母さんの事が気になって、楽しく食べる事は出来なかった。


 お肉だって、いつも食べてる安くて筋ばったヤツの方が、何だかんだしっくりくる。


 あーあ。私、もう少し顔とスタイルが良かったら、女優になれてたな。


 だって、『美味しいですー。楽しいですー』などと言いながら作り笑いをする私にまんまと騙されて、『私も莉子ちゃんとご飯食べるの楽しいわー』なんて、木崎先輩のお母さんが笑っているから。


 あぁ、まじでしんどい。苦しい。

 


 すき焼きを食べ終え、木崎先輩のお母さんにお礼を言って玄関を出た。


 木崎先輩のお母さんに『また来てねー』と言われながら手を振られたけれど、無言で笑顔を作り、手を振り返した。


 また、来たくない。


 そして今日も、木崎先輩が駅まで送ってくれるらしい。


 あともう少し。駅に着いたら、この長くてしんどい時間も終わる。


 あとちょっと、木崎先輩との気まずい空気に耐えれば、開放される。

 

 「勘違いしないで欲しいんだけど、オカンが早川さんの事を『娘にしたい』って言ってたのは、『早川さんだから』ってわけじゃないから。女のコが欲しかっただけだから」


 少し前を歩く木崎先輩が、私の方を見る事もなく話し出した。


 心配しなくても、勘違いなんかしていない。


 わざわざそんな事を言って、この人はどれだけ私の事が嫌いなんだろう。


 「…木崎先輩のお母さんが、娘さんを欲しがっていた事、知ってたんですね」


 「…まぁ」


 面倒臭そうに返事をする、木崎先輩。


 木崎先輩は、自分の言いたい事は言うけど、私の話は聞きたくないらしい。


 慣れたとは言え、やっぱりムカつく。

 


 ---------プツン。


 血管1本切れたのかな。頭の中で音がした。


 「…いい加減にしてくださいよ」


 勝手に足が止まり、自分の声じゃない様な低い声が出た。


 その声に、木崎先輩が少し驚いて振り向いた。


 「木崎先輩が私を憎む気持ちは分かります。だから、木崎先輩のお母さんの足の事もあるし、出来る限りの事はしようと思ってました。でも、悪いのは私の母だけですか? 木崎先輩のお父さんは悪くないんですか? なんで私ばかりが、木崎先輩にキツく当たられなければいけないんですか?」


 溜め込んでいた怒りが、一気に噴出す。涙も一緒に滲み出す。


 怒りに手を震わせながら木崎先輩を睨むと、木崎先輩が辛そうな、悲しそうな顔をした。


 そんな顔をされたら、私が悪者みたいじゃないか。


 怒りは、収まどころか次から次へと湧き出る。



 ----------止まらない。


 「…もう嫌だ。もう何もしたくない。お母さんの不倫は私のせいじゃない。木崎先輩のお母さんが歩けないのも、私が悪いわけじゃない!! 木崎先輩の言う事なんか、もう聞きたくない!!」


 怒りは冷静を欠く。


 言ってはいけない事、他人を深く傷つける事を平気で言う。


 私は何て嫌な奴なんだろう。


 今、木崎先輩を打ち負かそうと、わざとダメージが大きいだろう言葉を選んだ。


 嫌いだ。木崎先輩が嫌いだ。お母さんが嫌いだ。


 今の自分が、1番嫌いだ。

 

 酷い事を言った。謝らなきゃ。分かっているのに、


 「早川さ…「1人で帰れるので、もうここでいいです」


 素直になりたい気持ちは怒りに飲み込まれ、何かを喋り出した木崎先輩を遮ると、そのまま木崎先輩を追い抜いて駅に向かった。


 「ちょっと待って!!」


 木崎先輩が私の手首を掴んだ。


 「触らないで!!」


 勢いよくその手を振り払い、走ってその場を去る。


 傷つけられた分、やり返さないと気が済まなかった。


 でも私のした事は、木崎先輩に元々あった深い傷を抉って塩を擦り付ける様な事だ。


 悪魔の様な自分自身に、吐き気がする程嫌気が刺す。

 


 電車に乗って、家に着く頃には冷静さが戻って来た。


 罪悪感と後悔で頭がいっぱいになる。後味が悪すぎる。


 玄関を開け、リビングを覗くと、お母さんは既に帰って来ていた。


 お母さんを見るだけで、嫌悪感が押し寄せる。


 リビングには行かずに、階段を駆け上がり自分の部屋へ直行。


 フローリングに鞄を投げつけ、ベッドに飛び込み、枕に顔を埋める。



 …謝らなきゃ。


 身体を翻し、ポケットからスマホを出す。


 〔酷い事を言ってすみませんでした〕


 木崎先輩に送ろうと打ち込んだLINEメッセージを、消す。



 -----------このまま木崎先輩と疎遠になれば、辛い思いをする事もないのかもしれない。


 この期に及んで、意地汚い考えが過ぎる。


 結局、LINEメッセージは送らなかった。


 私の最低さは、底なしだ。



 翌日も、当然の様にお母さんの手作り弁当を鞄に入れて学校へ行った。


 『お母さんの事が嫌いだ』などと騒いでおきながら、ちゃっかりお弁当は持って行く自分の神経を疑う。


 まじで、どういうつもりなんだ、私。


 でも、毎日お昼ご飯を買えるほど稼いでないし、お小遣いもそんなに貰ってない。


 致し方ない。


 私は自分に、とても甘い。

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