旅とひとりメシ
旅先で“ひとりメシ”は基本的にしないことにしている。なんせ、人見知りゆえ。
こういう仕事をしていると、「わたし、人見知りなんです」とカミングアウトしても、「えー、またまたー?」「ぜんぜん見えないー」なんて言われるんだけど、仕事先では頑張ってスイッチを入れて応対するようにしているのであって、心のどこかではいつも、(知らない人、コワイー)なんて思っている自分がいる。
では、お腹が空いたらどうするのかというと、本格的にお腹が空くまで(=これを自分的には「飢える」と呼んでいる)食べない。とにかく食べない。朝食・昼食・夕食というルーティーンは完全に無視して、誰かと食べるチャンスが巡ってくるまで、外食はしない。
「海外にいるときは、どんなもの食べてます?」って聞かれたとき、「キットカット食べてます」って答えるくらい、ひとりメシの外食はしない派だ。
一人っ子で育ったから、ひとりメシなんてお手の物と思われがちだけど、せっかく外食するなら、誰かと楽しくわいわいおしゃべりしながら食事を楽しみたい。誰かと一緒なら、旅の思い出を語り合うこともできるし、楽しい気持ちが食事を美味しく彩るような気がするからだ。
だから、旅先では“そのとき”が巡ってくるまでじっと待ち、食事に誘われるようなことがあれば喜び勇んで着いていく……というのが、わたしの旅の必勝パターンだ。何に勝ってるんだか、よくわかんないけど。
ひとりメシしない主義を徹底するに至った出来事と言えば、大学生のときに敢行したバイク日本一周のときのこと。
初めての長距離ツーリングがいきなり日本一周だったので、いわば旅ビギナーだったわたし。やっぱり、旅の醍醐味は美味しい地元の料理を堪能することなのかなー、と思って、事前にガイドブックを調べて行ってみた積丹半島の小さなお寿司屋さんで、こんな経験をした。
意を決してひとり、ランチの時間帯に入ってみたのだけど。平日のお昼にも関わらず、客はわたし一人だけ。 お店ご自慢のランチ握りを頼んだものの、食事が終わるまで誰ひとり入店することもなく、ツーリングにありがちな「お客さん、どちらからいらしたの~?」的な会話もなく。特上の寿司ランチはとても美味しかったのだけれど、注文と会計以外の言葉を交わすこともなく。
味気なく気まずいひとりメシデビューによって、「美味しい料理そのものが旅の醍醐味ではない」との結論に至り、以後、ひとりメシしない派になって久しい。
かように、ひとりメシを避けるべく、ユースホステルを利用することがある。ユースホステルはドミトリーといって男女別相部屋の宿泊施設で、夕食はたいてい食堂で同じ見知らぬ者どうしテーブルを囲むというシステム。一人旅でも隣り合った席の旅人と仲良くなれるという雰囲気がある。
その日は、越後妻有のトリエンナーレという芸術祭を観に行ったツーリングの途中で、旅館兼ユースホステルとなっている宿を予約していた。ごく一部だが、旅館やビジネスホテルがユースホステル協会に加盟し、兼業としてユースホステル料金で泊めるというシステムがある。その旅館も、基本的には料理が自慢の伝統的日本家屋の小さな旅館であった。 オフシーズンだったので、旅館側の客人はいないようで、ユース側に泊まっている客もわたし一人……かと思いきや、あとからもう一台バイクがやってきた。しめしめ、これで今日もひとりメシは回避できそうだなーと思ったのだが、別の意味でひとりメシ的気まずさが発生してしまった。
案内された8畳ほどのいろり端のある和室には、向かい合わせに二人分の食事が用意されていた。あとからやってきたもう一人は若い男性で、こちらから「こんばんは」と声をかけるも黙礼を返すのみ。彼は無言で座布団に着席した。
(き、気まずい……)
こんなとき、自分から話しかけられないのが人見知りのなせるわざ。そのうち、話しかけてくるだろうと悠長に構えてゆっくり咀嚼を始めるも、一向に話しかけてくる気配がない。
タイミングを逸するとはまさにこのことで、シーンとしたいろり端には、カチッコチッと年季の入った古いボンボン時計の音だけが鳴り響いていた。
(なんでこの人は話しかけたりしないんだろう? 他人としゃべるのが嫌なのかなぁ? せっかくライダー同士なのに?しゃべるの嫌だったらユースになんか泊まんなけりゃいいじゃん! じゃあ、こっちから話しかける? 何を?なんでこっちが気を使わなきゃいけないわけ? っつーか、だんだん腹が立ってきた!!)
……みたいな妄想を脳内で繰り広げつつも、彼は一向に口を開く気配がない。
まあ、今になってこの脳内妄想を文字に起してみると、いかに自分が身勝手かがよくわかるのだが。おしゃべりしたいのなら、自分から話しかければよいのだ、わたしは。
とはいえ、タイミングを逃してしまった以上、仕方ない。せっかく旅館の豪華な食事をユース料金でいただいているというのに、いったい何を食べているのかよく分からなくなるくらい、ひとりメシ的気まずさが気分を支配してしまった。
ええい、もう我慢ならん! そう思って、ひと芝居打つことにした。かかってきてもない電話がかかってきたことにして、いったん席を立つという作戦だ。
「あー、もしもしぃ? 久しぶり~元気だった~?あ、うん、大丈夫、ちょっと外に出るわー。なになに、どうしたの……」
ポケットからケータイを取り出し、架空の友人に向かって会話を始める。
なんとか、外に脱出し、今度は本当に友だちに電話をかけてみた。
「カクカクシカジカで……。すんごい気まずいんだけど、どうしたらいい?」
すると根っからの天才的営業マンであるその友だちは、こうアドバイスをくれた。
「いやそれ、待ってるんだと思うよ、きっかけを。いいから話しかけよーぜ、バイクで来てるんだろ、そいつ。だったらバイクネタで攻めればいいんじゃね?いいから部屋に戻れよー」
友だちに促され、部屋に戻った瞬間、意を決して話しかけてみた。
「バイクで来てらっしゃるんですよね? どちらから?」
すると、さっきまで花開くことを諦め首を傾げていた蕾に、水を挿したらとたんに葉脈に水々が行き渡って咲き始めた花のごとく、ひと言話しかけただけで彼の表情がにこやかに一変した。
そして、彼は堰を切ったようにいろいろなことを話し始めた。
会話の内容はそんなに覚えていないのだけど、最初は何に乗っているんですか、どこから来たんですか、どこ回ってきたんですか、なんていう他愛もない旅のお話。次に、今までどんなバイクに乗ってきたか、どうしてバイクに乗るようになったのか、という自分語り。いろり端から食べ終わったお膳が下げられてもなお、最初とは打って変わってバイク談義に花が咲いた。 そうしているうちに、彼はこんなことまで打ち明けてくれた。なんでも、メンタルの不調で会社を休職中なのだけど、少し調子が戻ってきたので、思い切って旅に出てみることにした、というのだ。ひとしきり、人生相談のようになったのだけど、次の日の朝食は笑顔でおしゃべりしながら一緒に食べたし、出発のときには写真を撮り合ったりもした。
彼はきっともう大丈夫。そんな気がして、その日の宿を後にした。
越後妻有トリエンナーレ・大地の芸術祭は、約760平方キロメートルもの範囲に、約180点のアート作品が200もの集落に点在するという、壮大な芸術プロジェクトである。自然空間や生活空間、農業空間など人びとの営みにアートを溶け込ませようとする試みは、オートバイで観て感じて回るには絶好の場所で、その日もできるだけたくさんの作品に出会おうと、いつもの愛車GPz900Rを走らせた。
ああ、なんて自分のアタマの中の窓は小さくて、その窓から見える景色もまた小さかったんだろう。そんなことを気付かせてくれる作品(※)が目の前に現れた。
ひとりメシの気まずさを作っているのは、ほかでもない自分なのだ。誰かと隣り合わせになったなら、自分から声をかければいいじゃない。声をかける前に悩むことなんて、ちっぽけなことなんだ。そんなことにいまさら気付いた自分が気恥ずかしくもあり、しばし風になびくカーテンを眺めながらたたずんでいた。
※「たくさんの失われた窓のために」2006年・内海昭子(越後妻有トリエンナーレ大地の芸術祭の里、中里エリア・桔梗原集落)
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