一人居酒屋
ツーリング目的だけにプライベートで走りに行くことは少なくなったけれど、取材や所用のときは、天候と日程が許せば、日本じゅうどこへでもオートバイで出かけることにしている。
昨年の熊本行きも、3月下旬というツーリングには良い日程だったので、考えるまでもなくオートバイで行く段取りを組み始めた。
熊本での用事そのものは1泊2日ほど。その前後にプライベートでのツーリングを日程に組み込めないものか。カレンダーを眺めていると都合のよいことに、その日程直前に大阪モーターサイクルショーがあることがわかった。それなら、まずは大阪まで高速道路を自走していき、ショーの取材が終わったら大阪南港から夜行の九州行きフェリーで別府を目指そう。朝、別府に着いたら丸1日阿蘇を走り回って熊本へ。翌日と翌々日は仕事をこなし、帰りはまた阿蘇を回って大分か別府からフェリーで神戸か大阪へ、そして自走で横浜へ。あるいは、北九州からだったら東京行きの長距離フェリーも辛うじて残っているなぁ。徳島でいったん降りて、四国ツーリングもいいなぁ。鹿児島を回って志布志~大阪航路も悪くない。
行き帰りのルートを逡巡しているだけでも楽しい。それが、長距離ツーリングの醍醐味でもある。
とはいえ、熊本のあとの仕事の日程がかなりタイトだったため、結局は往復、大阪南港~別府便を利用することにした。
熊本はもともと、わたしが日本一周しようと思ったきっかけの場所でもある。学生時代、長距離ツーリングと言えば北海道が定番だったが、熊本出身のバイク乗りの先輩が「阿蘇はすごいぞ~」と年がら年中言っていたので、一度、走ってみたいと思うようになったのだ。
そして限定解除の練習で通っていた晴海のフェリー埠頭。当時は、九州行きのフェリーと北海道行きのフェリーが同じ晴海埠頭から発着していて、チケットさえ買ってしまえば、九州にでも、北海道にでも行ける! そう気づいたとき、たいそうわくわくしたものだ。
そんなこんなで、日本一周ツーリングで初めて九州を訪れ、
「阿蘇こそ日本のライダーにとってワインディング・ツーリングのメッカである! 聖地である! 総本山である! 伊豆箱根もいいけど、阿蘇こそライダーなら一度は目指さなければいけない巡礼地である!」
などとひとり確信した。確信したわりには、その後毎年通ったのは北海道だったのだけど。
さて、今回の熊本ツーリングでぜひチャレンジしてみたいことがあった。それは、熊本の街でひとりメシを敢行することである。熊本には旧友が住んでいるはずなのだが、何年か連絡を取らないうちに音信不通になってしまった。今回の日程で誰かと食事ができるチャンスは仕事のなか日の懇親会のみ。前後の日程の夕飯どきはどうやってもどこかで何かを食べなければ“飢える”(=前回のコラム参照)だろう。
かといって、気軽に入れるナショナルブランドのファミレスやファストフード、あるいは近所のスーパーやコンビニのテイクアウトで済ませるのは、せっかくの熊本なのにちょっと悲しい。
ここは九州、熊本。地元の美味しいものを食べたい。というわけで、意を決して人生初の「一人居酒屋」に挑戦することにした。
作戦は宿選びから始まった。3月は受験や移動のシーズンなので、繁華街や大規模のホテルはどこも予約でいっぱい。じっくりと予約サイトを眺めまわして決めたのは、水前寺近くの住宅街にある部屋数わずか5部屋という小さなビジネス旅館だった。小さい宿はアットホームな雰囲気があってくつろげることが多い。これが第一の作戦である。
フェリーは大阪南港を夜7時ごろ出発すると、翌朝7時には別府観光港に到着する(曜日や季節によって異なる)。ツーリングするにはベストな時刻表だ。別府港に降り立ち、さっそくガソリンを満タンにする。時間はたっぷりある。海沿いを走ろうか。すぐに山に向かおうか。思案していると、けっこうな雨粒がザザーっと降ってきた。
しばし雨宿りをして、まずは国東半島に向かった。実は、ここは日本一周で走り残してしまったエリアで、いつかは走りに行きたいと思っていた場所だ。朝の海沿いはとてつもなく気持ちがよく、途中、杵築城を観光したり、白バイと並走ツーリングになったりしながら半島往復ツーリングを満喫した。
再び別府に戻り、一路、阿蘇路へ。別府の温泉街もいいし、湯布院観光も捨てがたいのだが、ここはぐっと我慢してストレートに阿蘇方面に向かった。
なにしろ、相棒はニンジャ、GPz900Rである。日本一周のときに非力さを感じた250の単気筒とはわけが違う。せっかくの大排気量を味わいたいのだ。はやる気持ちとはまさにこのことだったが、神様がもしいるのなら、きっとわたしの気持ちを見透かしていたのだろう。非情にも雲はどんどん厚くなっていき、雨足は弱いものの阿蘇を下山するまで止むことはなく、おまけに霧も濃くなっていくという始末だった。
そんなこんなで、到着した水前寺の小さな小さなビジネス旅館。あらかじめ連絡しておいたこともあって、玄関先にはちゃんとわたしのバイク用のスペースを確保しておいてくれた。
部屋に入って荷物をほどき、軽装に着替える。一日じゅう雨のなかを走ったので、お腹はペコペコだ。さっそく、旅館の女将さんに近所のお食事処を尋ねる。
「一人でも入れそうなお店ありますかねー?」
すると出てきたのは、近所の食事処をいくつも手書きで記した食事処マップだった。そのマップには定休日や営業時間はもちろん、どんな雰囲気の店かひと言ガイドまで書き添えられている。ちょっと高級そうな中華や寿司、割烹から地元の人しか知らない定食屋さんや居酒屋さんまで、インターネットでは出てこなさそうな情報を網羅した地元密着ガイドマップ。やはり、家族経営の小さな旅館を選んだのは正解だった。
さっそく、手書きマップのコピーを手に界隈を歩き回る。ターゲットは「ぼっち」にならなさそうな雰囲気の店。そこで、食事処マップを網羅するべくまずは一周。一番よさそうな店は残念ながら定休日で、それ以外に3つのお店にターゲットを絞った。
さらに一周。3つの候補店を外から見比べる。空き過ぎていないか(ガランとしたお店にポツンと一人はさみしい)。混み過ぎていないか(団体さんの中で一人ポツンは気が滅入る)。それ以外にも、予算に見合っているか、“地元っぽい”か、などなど、いくつかの条件を付けて見比べていった。
最終的にここだろうと決めたお店も、やはりいきなり一人で入っていくには相当の勇気がいる。もじもじしながら、2往復、3往復しながら徐々に決意を固めていった。
ガラガラガラと引き戸を開ける。
「こんばんはー」
「あ、おかえりなさい~♪」
はい? いま、おかえりなさいって言った? 初めて来たのに? 誰かと間違えてる? ここは往年のユースホステルかいな? 「あ、あのぅ……ひとりなんですけど、いいですか?」
「どうぞどうぞ、あ、靴はそこの棚にね。カウンターでいい?」
女将さんが温かく向かえてくれたその居酒屋さんは、玄関で靴を脱ぐルールだった。
さっそくカウンターに着く。
「お客さん、どちらから~?」
「あ、横浜です」
「あら~東京から~。遠いところようこそ!」
東京じゃないし。横浜だし。と思うのはいつものお約束。まぁいいや、飲み物を頼もう。
「なんかオススメの地酒ってあります?」
アルコールはほとんど飲めないのだが、せっかくなので舐める程度に味見してみよう……、と思ったら、「芋がよかと?麦がよかと?」ときた。地酒と言えば日本酒のことだと思い込んでいたけど、さすがは熊本。おすすめの焼酎とともに出された小皿には、たっぷりのお惣菜が3品。お通しにしてはボリューム満点、季節のお魚も載っている。
さて何を頼もうかメニューを見ると、カレーやオムレツ、から揚げ、チャンポンといった定食屋さんのメニューもあるのだけど、ここはやはり地のものを食べたい。というわけで、熊本の定番「馬刺し」を注文してみることにした。
するとどうだろう。店構えや混沌としたメニューからは想像もつかないほど本格的で目に鮮やかなさくら肉が目の前に表れた。
しばし堪能していると、ご主人と女将さんが代わる代わる、「東京からどうやって熊本に?」「熊本へは何しに?」と声をかけて下さる。人見知りなわたしにとって自分から話しかけるのは苦手なので、向こうから話かけられるのは大歓迎だ。
「あ、今回はバイクで来ました。横浜から」「へぇ~バイク!東京からバイクで来たとー! このお嬢さん、東京からバイクで来たとよ~!!」
さあたいへん。バイクに乗ってやってきたというだけで、店じゅうのお客さんの視線がわたしに集まってしまうのである。あとからやってきたお客さんにも、「このお嬢さんね、バイクで来たけんね」と次々に紹介されてしまう。そして話題はナンシー(何㏄にのっているの?)とか「俺も昔は……」と広がっていくのである。
アウェイ感を払拭するのは、やはりこういう店主の気遣いと、常連さんたちの懐の深さなのだろう。初めての“ひとり居酒屋”で地元感満点の居酒屋を選んで大正解であった。
作戦は次に続く。二日間の所用を終えもう一泊あるので、熊本最後の夜はやっぱりもう一度あの居心地のよい居酒屋にひとりで赴くことにした。というのも、以前、友人からこんな話を聞いたことがあったからだ。
──近所に飲み屋とか出来たとするじゃん? 初めて行くと、誰も俺のことは知らないわけ。なんかよそよそしいわけ。そこでだ、わざとケータイとか財布とか落としとくの。会計済ませて「いやー美味しかったぁ、また来るよー」って言っておくの、一応。でも、そんなんじゃあ、誰も覚えてくれてないの。だから、インパクトあるもの忘れていくの。わざと。そんで店を出て、そうだな、20分くらいかな、忘れ物見つけてお店の人がどうしようか考えているくらいのときに、店に戻んの。そんで、また一週間くらいしてそのお店行って「あのときはケータイ忘れちゃって、どうもどうも」なんつってさぁ──
ここまでわざとらしいことをしなくてもいいと思うけど、どこかに“居場所”があるというのは気持ちを楽にしてくれるものだと思う。誰かがわたしのことを覚えていてくれる、そんな気配が嬉しいから、わたしは旅に行くにしても、同じ場所に何回も通ってしまいがちだ。北海道しかり。マン島しかり。これを自分的には“定点観測の旅”と呼んでいる。
ガラガラガラ──、「おかえりなさい!」
今度は本当のおかえりなさい、である。
靴を脱ぎ、もう一度同じカウンターの席に着く。座るやいやな女将さんから店じゅうのお客さんたちに「このお嬢さんバイクでね……」と始まるんである。
注文するまでもなく、ご主人から「モツとか食べられる?」と聞かれ、大好きですと答えれば自動的にモツ煮が出てくる。今度は違う地酒を……と思う間もなく、カウンターで隣り合った席のお父さんから、コップに何がしかのお酒、というか焼酎が注がれている。
しまいには、店のご主人も女将さんも一緒になって飲めや飲めやの大騒ぎになり、結局深夜2時ごろまでみんなベロンベロンになりつつ飲み明かしたのだった。
こんな風にして、ついに一人居酒屋を経験することができた。通過儀礼を済ませたと言おうか、大人の階段登れたと言おうか。しかし、あの楽しい一人居酒屋体験を彩ったのは、間違いなくバイクで熊本にやってきたことだった。新幹線や飛行機でやってきたとして、そこまでわたしに興味を持ってもらえただろうか。
オートバイは、引っ込み思案で人見知りなわたしの背中を押す魔法のアイテムなのだとつくづく感じた熊本ツーリングであった。
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