280706 死ぬ前に、この世界だけはせめて、カタチにして残したい(創作意欲編)

死ぬ前に、この世界だけはせめて、カタチにして残したい(創作意欲編)


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「小説を書く理由とは?」質問BBSより、3人目のMayoさんの意見より引用

(ttp://www.raitonoveru.jp/howto/157a.html ラノベ研究所Q&Aより)

 

 高校の時、友人の一人が、遊び半分でノートに小説を書いてました。

 意外にも面白かったので、自分もチャレンジしてみました。下手すぎて泣きそうでした。

 いつの頃からか「死ぬ前に、この世界だけはせめて、カタチにして残したい」と思い至ってました。


 ぶっちゃけて言うと"書くこと"自体は楽しくありません。苦痛です。

 本当に楽しいのは"面白い物語を考えること"であり、

 それをアウトプットする作業というのは面倒くさいことこの上ないのです。


 ゲームなんかでは、企画屋がストーリーを考え、

 文章自体はシナリオライターに全て任せている場合もあります(実話)。

 過不足なく設定や展開を伝えておけば、あとは自動的に話が出来上がってくるのです。

 ナンテスバラシイ。


 でも、自分の周囲にはそんな人材はいません。

 だったら、自分で書くしかないでしょうに。

 それに他人任せでは、自分の頭の中を明確に100%再現することなんて不可能です。

 ……自分で書いても100%は不可能ですけど(汗

 まぁそれを限りなく完璧に近づけるための勉強ですね。


 長々と書きましたが『なぜ書く?』という質問に対する自分の答えとしては、

 『妄想を残したいから』です(ぉ

 

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 さて、ずいぶんと回り道しましたが、そもそもこのエッセイの動機は「次なる創作につなげるため」です。つまり創作動機を高めるのが、率直な道筋になります。


 とはいえ、恋愛周りの話題をグルグルしてみましたが、どうにも人と人が結ばれる過程と、そこが破局する事態には強い興味があるようです。そこらで関心ある話題を探り出せれば、うまい着想が得られる感じがします。


 閑話休題。引用は率直に「小説を書く動機」に関するものです。ちょっとこの方の言及は浅いのですが、純朴で共感できる部分があるので、引用させていただきます。

 ずばり私の執筆する動機も、1日目あたりの『結婚する理由はゲームで難易度を上げる行為に似ている』で少し言及したとおり、「自分の何かを残したいから」であります。


 なんというか、私は結構長い間自己肯定感が薄い環境で育ってきました。つまり、身近に私を否定ばかりする人間が常に傍に居て、育ってきたのです。

 ぶっちゃけて言えば、父がそうです。大人になってその原因が分かって、父が理不尽なことがはっきりしていても、それでも根付いた飢餓感が消えないのです。完全にアダルトチルドレンのトラウマです。

 大きい不満が湧き上がったわけでもないのに、なぜか今朝幼い自分が父に向かって不満を絶叫する夢を見たなぁ。長時間睡眠を取ると、良くも悪くも幼少期の夢を見てしまいます。


 だからかどうなのか、自分が何かを残せることが実感できると、すごくホッとするのです。まだ自分は何かができて、誰かの印象に残ることができるのかと、安堵するのです。


 実感できるのは、誰かに覚えてもらったり、好印象を返してもらったりしたときです。

 率直に言えば、恋人引いては妻はその最高の存在で、その私を全面的に肯定してくれる姿にどれだけ救われたか分かりません。普段は平然と接している振りをしながら、感謝したくてたまらないのです。


 仕事だって、自分が有効な成果を残せた実感があれば、肯定感に繋がるときがあります。もっともこちらについてはその実感が稀有であるべき傾向もあるのですが……。

 一介のサラリーマンの仕事ならば、後任が誰であってもできるようにマニュアルを整えてこそ、一人前の仕事をやり切れている感もありますしね。


 しかし、誰にも依拠しなくても、自分が様々考えた成果が確からしく残せるのが、私にとっての小説でした。

 いや、他に音楽、絵、市民活動等できることがあれば、そちらでも良かったと思います。

 でも自分が最大限自分の自由意志を行使して、なおかつ自分の能力を生かせるフィールドが小説なのだというのは感じています。

 毎日仕事をしつつも、こんな字数を書きながら平気に過ごしていられるなんて、適性か狂気じみた情熱がなければできないに決まっとるわwww

 

 だから、執筆のモチベーションが下がったときは、結構昔の自作を読み返したりしています。

 そこで「昔の自分って案外すげー! 今の自分も昔の自分に負けないようにしないと!」とか「昔の自分は頑張ってたけど、ここは今ならもっとうまくやれるなー」とか「もっと書きたいものがあるはずなのに、昔の自分は何を遠回りしていたんだろう」と思うわけです。


 動機を見失ったときに自分の過去の作品を見返すと、いろいろ胸に湧き上がるものがあります。特にうまく書けた部分、キャラクターと一体化して書けた部分を見ると、すごく励まされる気がします。

 なんだか歪な永久機関のようなナルチシズムに満ちた気持ち悪い構図ですね! でも実際そんな実感があるのです。事実なので、そんな歪んだ自分を受け入れ、共に前に進むしかないのです。


 とはいえ、自分で自分をすげー!と思うだけでなく、誰かの評価をもらえたほうが、よりその肯定感が確かなものになるので、もちろん誰かの評価も欲しているようです。

 物欲も性欲も少ないと思うのですが、承認欲求は餓鬼のように強い部分があるようです。気持ち悪く醜いですが、それも自分の一側面で、自分を動かす大きな動機であると思います。闇を認めて、共に歩むのみです。


 さて、皆様が書いたり、あるいは小説を読み続ける原動力は何でしょうか。引用の記事にもたくさんのヒントがあったように思います。その源泉を再確認すれば、さらに力強く文章に向き合うことができるかもしれません。




 一つ戻って、小説を書く一般的な動機というのは、次のようなものが挙げられると思います。


<自分語り系>

・自分が感動したこと、面白いと感じたことを残したい。伝えたい。

・ひいては、自分の考えたこと、体験したことを残したい。伝えたい。

・自分の考えの整理のために、文章としてまとめておきたい。

・自分にとって一番面白い、興味深い物語を創作したい。見てほしい。


<他者評価系>

・他の人を感動させたい。あっ!と言わせたい。

・自分の作品が誉められるのが嬉しい。

・自分の作品を通じて、自分に注目してほしい。

・自分の作品を通じて、他者と繋がりたい。


 もちろん上記を複合的に満たす場合が多いと思います。

 自分の書くモチベーションが下がり気味なときは、これらの理由に立ち返ってみれば、意欲の源泉を再度思い出せるかもしれません。

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