280621 人生は柳のようであれ
人生は柳のようであれ
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朝ドラ「とと姉ちゃん」H28.06.17放送分より引用
(祝言の席で、新郎の謝辞より。感謝の気持ちに皆様に送りたい言葉)
「人生は柳のようであれ」
「長い人生の中、嵐が起こり、強い風が吹きすさぶ。そんな状況がきても、柳のように、しなやかに耐え抜けば、やがて、青く晴れ渡る。青空が戻ってくる。って、そういうことです」
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私は「あまちゃん」あたりから朝ドラを見ています。もともと家庭ドラマはそこそこ好きですが、出来不出来に差も見受けられるので、面白くて見てるのか習慣で見てるのかはハッキリしません。まぁ現代日本で最も視聴率が良いドラマで、広い世代に見られているという意味で、創作の肥やしにはなると思います。創作文法としてはそうですねー、15分の中でメリハリをつけたり、次回への引きを与えたりするので、そういう印象付けの方法論として見るには好例なのではないでしょうか。あと広い世代が見ている分、いろんな感想を持っている人が多種多様にいますので、そういうレビューの視野を広める勉強にも利用できるかもしれません(素直に感動して見ていると、批評に余韻をぶった切られるかもしれませんが)。
これは酒席で新郎が格好つけて話したセリフで、場面的に大きな意味はありません。しかし、第二次世界大戦前の商売人には苦労の多い時期の発言でしたので、登場人物たちには身に染みる言葉になったようです。
「柳に雪折れなし」「柳に風」の慣用句も同じニュアンスです。あまり意固地になって抵抗しても、くじけて折れてしまいます。そうでなく柳のように、柔軟に受けてかわしつつ、しかし自分の中には一本筋を通して立ち続けることで、事態はいつか好転しますよ、というお話です。
私はこんな記事を書いているから、まぁクネクネといろんな意見を受け流しています。対立しないと自分の不利益になる、あるいは親しい相手が不利益を被ることが目に見えて明らかでない限り、相手のやり方を否定しません。不寛容な態度は一面的で好ましいと思えませんし、まずいやり方は確実に存在しても、正解のやり方は一つだけではないと思うのです。だから、私の意見をアドバイスするよりも、相手のやり方の良いところを伸ばす形で物事の解決を図ろうとします。編集者よりもカウンセラーに近い形ですね。
この態度を「風見鶏」やら「長いものに巻かれる」(強い風向きに抵抗せず、何でも従ってついていく様)と批判する人もいるでしょう。しかし、何もかもに従うわけではないですし、自分のやり方以外に価値を認めないよりはマシだと思います。分からず屋と不必要に対立することは、労力の無駄ですしね。
さらに柳のような態度の話ですが、自己主張をガンガンする人も格好いいと思います。自分の意見を発信してこそ、自分のやり方の正しさを再検討できるものです。迷惑や押し付けにならない程度で、「自分はこう思うんだけどな」は参考意見として発信したいところです。でも、反論のための反論や、個人的に気に食わないからイチャモンはいけません。討論はあくまでその事柄についての意見交換であって、個人攻撃の場ではありません。その意見については間違っているかもしれませんが、その人自身の人格を全否定するものではありません。小説では一つの仕草や言い回しから全人格を類推させたりもするのですが、現実では何も考えていない場合が大半なわけです。そこは創作の文法とディベートの作法で、空想と実際の区別をすべきところだと思います。
ただ、そう柳のように過ごしていて、自己発信を怠っているうちに、自分が何をやりたいか、何を主張したいかが分からなくなってきたのも事実です。それは本エッセイの執筆動機にも記した通りです。
いろんなやり方を認めつつも、自分の感じた些細な違和感というのは、大事にしたいものです。それが自分の大事にしたいことであり、いつか書きたい軸になるべきものかもしれません。
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