280618 今がすべてと そう思って 生きてみるの

今がすべてと そう思って 生きてみるの


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岡崎律子 「I'm always close to you」より引用


明日などないかもしれないのに

どうして 今日を過ごしてしまう

今がすべてと そう思って 生きてみるの


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 今回の引用は歌詞からです。故岡崎律子さんの晩年の作品です。この方はシンガーソングライターで、自身で作詞作曲もしています。

 今作の時には、既に進行性の早い胃がんに侵されており、平成16年5月5日に亡くなっています(この曲を収録したアルバムは死後に発売されています)。


 世間的には、「フルーツバスケット」や「ラブひな」のアニメへの楽曲提供で有名な方かと思います。


 この作品自体が「シンフォニック=レイン」というビジュアルノベルへの提供作品でして、すべてを語るにはこちらにも言及したいのですが、本旨からずれますので、そちらへの言及は省略したいと思います(すごく好きな作品ではあるのですが)。



 「今がすべてと そう思って 生きてみるの」

 今回は『死生観』について話します。『死生観』の定義は、今回は『死が近い人による生への向き合い方』という意味で扱います。


 物書き界隈では、これをテーマにした作品は様々見受けられると思います。

 直接扱ったものとしては「モリー先生との火曜日」などに限られると思うのですが、『主人公と近しい人が死に、主人公の人生が決定的に変わる』という作品は多数あります。



 この変化はもちろん主人公の日常からその人が消えたことにもよりますが、ときに死に臨んだ人の生き様に影響されることがあります。


 『死』って、すごいです。何がすごいって、日常を過ごしている場合じゃないから。

 漫然と習慣的に惰性で、半分眠っているように過ごしていた人が、電気ショックでもされたかのように目覚めるのですから。


 もうすぐ死ぬなら、学校行ったり仕事したりしている場合じゃないんです。今すぐその人のしたいことをすべきなのです。それこそ小説の核心たる部分です。

「本当にやりたいことを見つける」

「その人にとって本質的な生き方に移行する」

 まさに劇的です。そこに死が近づいているなら尚更です。


 その本質の現れ方は、大体二方向に分かれます。


 一つは、冒頭の引用にも近い通り、(平たく言えば)愛に目覚めることです。

 噛み砕いて言えば、もう離れてしまうことに気付いて、大事にしたい身近な人やものへの愛着が深まり、それを誠実に行動に示すということです。

 『死別モノ』で感動の結末になるものは、大体これに類する流れになっています。


 もう一つは、前述の反転で、欲望に目覚めることです。

「もう死んでしまうのだから我慢することない、やりたいことをやってしまえ」と、思い切った行動に出ます。

 欲望を解放すれば時には他人と衝突するわけで、どちらかと言えばネガティブな方向に行きやすいです。

 こちらは『パニックモノ』などによく見られ、災害や船の転覆などで近い将来の死が確定すると、略奪や暴動などで登場人物たちは混乱します。

 また、「死ぬ前に贅沢しよう」という発想もこちらに該当します。



 「いつ死んでも後悔のないように生きる」というのはとても立派な態度だと思います。

 しかし、実際それができるかと言われると、そうでもない感もあります。好き勝手やって、食い扶持が稼げる人は限られているでしょうし。

 急に全力で愛されても、周りは困惑してしまうかもしれません。そして、そんな必死で生きてしまっては、並みの人間では心が持たないんじゃないかなあ、疲れてしまいます。


 とはいえ、こと創作面においては、そのときそのときの全力で書けるものを書いていくのは、重要なことと感じます。いつ筆が折れるか分からないのですから、回り道や小手先ではなく、今自分が一番書きたいものを都度残していきたいものですね。 



 小説とは大抵は登場人物が日常から離れることで始まります。

 凡人の日常通りであれば、小説に記すべき劇的な展開にはなりません。


 そのため、物語には『転機』(きっかけ、きざし、決定的な出来事)が求められます。物語は即ち物語前から物語後への変化を記すもので、その過程には何らかの出来事があります。

 その中で『死』は人生の中で最も決定的で、くつがえしようのないものです。また誰もが身近に体験することで共感を呼びやすく、「いつか自分にも……」という恐れも抱かせる出来事です。

 自殺、事故、事件、病死、老衰……。いずれも物語を動かす装置として、抜群の効果を持つものです。


 実際に近しい人の死で、生活も考え方も変わった人は多いと思います。そういった体験を整理したいのであれば、私小説に近い形で書いて、自分の心を見つめ直すのも、とても有意義な試みかと思います。


 私は身近な死によって、内面への影響を受けたことは未だないですね。死を道具・装置的に見るのは、ちょっと不謹慎で乱暴な態度ではありますが、物語の中で死を扱う場合には、ここで書いたことを一通り検討したいものですね。

 

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