迷子の少女と玄武さま

夜兎

序ノ章

 泉の中から見上げる満月は神秘的で、どこまでも吸い込まれてしまいそうな気分になる。



「綺麗な満月……」



 見上げる月は怖いほど綺麗な赤色で、思わず自分の瞳の色を思い出す。比べなくても、私の瞳はこんな綺麗な赤ではないのに。

 ふわふわとした、細い髪に手を当てて、ため息をついた。



「私は、あの人と同じになんてなれない」



 可愛らしさのない短く切りそろえられた髪に、悪目立ちする青色の瞳。何もかも私が彼に相応しくないと言っている様で気が滅入った。

 凪いだ水面に、反射した自分の姿が写り込んで、苦笑が漏れた。



「私が黒をまとう日本人であっても。結局意味が無いじゃない……私が普通なら、あの人の側に居られたの?」



 そんなことはないとわかっていて、だからこそ離れることを選んだのに。

 元の世界に帰る直前になって思い出してしまうのは、この泉が他ならぬ彼と出会った場所だからかもしれない。それとも、もう二度と会えないとわかったから感傷に浸っているのかも。



「私は……そんなの自分は望んでない。彼の幸せだけを望んでいる」



 だから、だから……私自身が、彼の側に居て幸せにしてあげたかったなんて望んでない。考えてなんかいない。



「お願いだから……もう、忘れさせて……」



 自分の耳に聞こえてきた声があまりにも震えていて、情けなくなって耳を塞いだ。

 これ以上、心を乱されたくなかった。

 元の世界に帰ることを決めた時、彼の事を忘れると言い聞かせたのに。時間が経った今でも、幸せだった時間が、甘やかな時間が鮮明に蘇ってきて苦しかった。



「帰る……! 私はっ、帰って家族に会う!」



 言い聞かせるように叫ぶと、高ぶる感情に呼応して、尻尾が水面を叩く。

 ぱしゃん、と響いた涼やかな水の音に、はっと我に帰った。



「そうだ。帰らなくちゃ」



 きっと、みんなみんな心配している。だから私は帰らなくちゃ。

 水が好きだからこそ知っている水の脅威に、足が震える。それでもやらなければ、帰れない。

 きつく目をつぶり、自分を落ち着かせるために深呼吸をした。



「……さようなら」



 好きでした。愛していました。

 伝えられない言葉を心の中で呟く。全て、過去形で言い切ることは、私なりのけじめのつもりだった。

 沢山、たくさん、幸せにしてもらいました。沢山の愛情をもらいました。例えそれが、迷い人故の同情だったとしても。

 私が幸せであったことには変わりがないから。



「お月様、どうか私を、望む場所へ帰して」



 だから、もう幸せになってくださいね。

 月へ祈りの言葉を捧げ、一気に泉の深いところへ潜り込んだ。これで成功すれば、次に目が覚める世界は大切な家族と友人がいる幸せな世界だ。

 沈みゆく泉の中でで、目を開けた。

 水の中から見る月は、漏れた空気が作った泡と合わさって、どこか物悲しい感じがするのはなんでだろう……。

 そろそろ空気が無くなってきたみたい。苦しくなってきたな……。

 さようなら……私の愛した、たった一人の……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る