第2部 ココロ
ギルドから幽奈が脱退しました。そう表示されたとき、いつもとは違った思いを感じた。別に彼女自身に何か特別な思いがあるわけではなかった。だが、いつも経験していたギルド員の脱退とはまた毛色が違っていたんだ。
なんというか、不思議で不可解で、なにも悪いことはなかったのに突然抜けるといい始めた。
正直俺には理解できなかった。俺たちのギルドは来るものは拒まず、去る者は追わずのスタンスだ。だがこれだけでは後味が悪すぎる。そう言った印象を受けた。
フェルト「あれ?幽奈さんぬけちゃったの!?」
最初に反応したのはフェルトさんだった。ギルド員の動向にはかなり敏感だ。
楓「うん、さっきピンクが来てね。抜けるって言ってた」
お魚マン「どうしちゃったのかな…急に」
俺が聞きたいくらいだ。とにかく俺は、この雰囲気を払拭するためにギルド専用の大型任務を受けた。この任務はギルド員全員が参加できる任務だ。運よくモンスター討伐の任務が出た。残念ながらこの任務は内容がランダムなんだ。
貴族ぷりん「おっけーやっとくねん」
だいごろう「俺もいくよ」
投げっぱなしにしているけど、俺は任務に行く気分にはなれなかった。気分が沈んでいるというのもあるけど、それ以上に不思議なんだ。何気なくフレンド画面をのぞく。その中から幽奈を探すも。どうやらログアウトしてしまったようだ。
楓「ごめん、任務出しといて悪いけど体調悪いからここで落ちるわ」
楓「おやすみー」
お魚マン「おやすみー」
貴族ぷりん「おやすみ」
だいごろう「おやすみ」
フェルト「おやすみー」
[パソコンの電源を落として布団に入る。明日は仕事だ。ゆっくり休まないとな]
[仕事を終えて家へ帰る。ただいまといっても、おかえりとは帰ってこない。一人暮らしだしな。パソコンの前へと座り、いつも通りゲーム画面を開く。]
楓「こんばんはー」
お魚マン「こんばんはー!!」
貴族ぷりん「こんばんは」
だいごろう「こんばんはー」
フェルト「こんばん!」
いつも通りのチャットだ。だが…どこか違和感を感じる。ギルド員が一人抜けたのだからそれは仕方のないことだけれど、明るさが少し欠けている気がする。
もちろん俺が釈然としていないから、そう感じるのかもしれない。フレンド項目を見る。相変わらず幽奈さんはログインしていない。何があったのだろうか。追求しないほうがいいのだろうか。いずれにせよ今は何もできない。俺は今日も、ギルド任務を発注と、日課のアイテム収集、特に木に注射器をさしこんで樹液を抜き取る日課だけして布団に入る。
そうした毎日を繰り返しているうちに、俺自身も気づかなかったが、フレンド項目を開くことが、いつのまにか日課になっていた。むしろそれしかできなかった。ある日のこと、フレンドリストを見ると幽奈さんがログインしている。
場所は…ああ…あそこか。俺は乗り物を倉庫から引っ張り出してその場所へ向かう。
彼女に何があったのか知りたい。納得したい。実に身勝手だ。もしかしたら彼女を傷つけてしまうかもしれない。でも、何もしないのはもっと悪い。
このマップの一番高い山には、実はプレイヤーが購入可能な家がある。アクセスの不便さから値段のいい家々が並ぶ中、格安の値段で売られている。ここだ。間違いなくここにいる。そっと扉をあける。何もない家に暖炉の前に誰か座っている。彼女だ。暖炉の前にうずくまっている彼女にそっと近寄る。
楓「やっとみつけた」
彼女にピンクを飛ばしてみる。内心ドキドキだった。どんな反応が返ってくるかわからないからだ。
幽奈「どうしてここがわかったんですか?」
楓「フレンドリストから幽奈さんの場所がわかったのさ」
幽奈「うかつでした。フレンドをつなぎっぱなしにしていたのは盲点でした。」
楓「理由、聞いてもいいかな」
返事はしばらくなかった。きっと整理しているのだろうか。あるいはギルドに対する不平不満だろうか。想像もつかない。そもそも彼女は俺に話してくれるのだろうか。
幽奈「一つ、約束してください」
楓「なに?」
幽奈「私とあなたの、ここだけの秘密にしてください。お願いします」
楓「ん。わかったよ」
幽奈「うん。ありがとう」
キャラクターが動いているわけではない。だが彼女が深呼吸をしている姿は容易に想像ができた。
「ギルドを悪く言うわけではないんだけど…私の居場所がギルドから消えたきがして…それで抜けたの…」
「居場所がなかった…か…。でもみんな気にかけてたよ…」
「そっか…」
まだ引き出せていない。彼女はまだなにかを隠している。いったい何を隠しているのだろうか…。またしばらくの沈黙。すごく気まずい雰囲気だ。
「ねぇ…」
先に切り出したのは彼女だった。
「私が…悪いのかな…自業自得なのかな…みんなに合わせようと努力しようとして…でも聞き方がわからなくて…聞くのが悔しくて…それでいるのが恥ずかしくなって…それで…それで…」
これだ。おそらくこれが核心だ。確かに彼女は抜ける直前ぐらいにはほとんどチャットで発言をしていなかった。そういう理由だったのか…。そりゃ言えないわ。抜けるのも納得のいく理由だ。だがこれは彼女の核心であって本心ではない。彼女は嘘をついている。話した内容が嘘ではなく、自分自身に嘘をついている。自分に自信を極端にもてていない。
「大丈夫だよ、君ならきっとすぐに強くなれる」
「ううん…無理だよ…長い間空虚な時間を過ごしてきたもん…」
そりゃそうだ。この言い方は愚だったか…。
「そっか…」
こうとしか返せなかった。彼女の本心はなんなのだろうか…
彼女はずっと俯いたままだ。何も語らない。
パチパチとマキが燃える音が聞こえる。SEではあるものの、その音がとてもリアルに、クリアに聞こえた。
「ねえ幽奈さん」
「なに…?」
「もしなんでも手に入るとしたら、何がほしい?」
とっさに思いついた質問。もしかしたらこれで本当の心を聞き出せるかもしれない。
「友達が…気の合う友達が…ほしい…」
これだ。これが彼女の本心。友達、自分の心を共有できるような友達。今の時代珍しいけど…。
「友達…か…ギルメンは少なくとも友達じゃないかな…?」
「…」
幽奈さんはうずくまってしまった。殻にこもるように。何か見落としていないか…何が足りないんだ。なぜかはわからないが必死で考えている。この子を救いたい。この子の味方でありたい。ここで見捨てたら、俺は人としての何かを失うだろう。
そのとき、俺ははっと気づいた。≪今この空間はネットではない≫という事実だ。確かに俺と幽奈さんは、Newworldという空間において出会っている。だが、その先にいるのは間違いなく人間だ。俺も幽奈さんも、人工知能ではない。そこにあるのは、ココロ。ただの二つのココロ。じゃあ今の幽奈さんのココロとは…?わからない…。わかるはずもない。俺は幽奈さんじゃない。俺のココロは俺のものだ。幽奈さんのココロも、幽奈さんだけのものだ。
そのココロの断片も知らずに、楽な道を選んで、説得しようとしたって、彼女は納得しないことは当然のことだ。ではどうすればいいのか…。
わからない…彼女も…俺も…どこへ向かえば一番ベストなのか…。
こんな時にこそ落ち着くんだ。整理してみよう。
まず第一に彼女は孤独だった。仲間がいたから孤独ではないとか、そういう話ではない。彼女の開きかけたココロを、その場の状況が閉じてしまった。誰が悪いというわけではないが、その流れに押し流されてしまった。
第二に、彼女は必死に輪に溶け込もうと頑張っていた。でも彼女の自尊心を、彼女自身が傷つけてしまった。割り切る、私は私というスタンスをきっと取れないのだろう。思えば初期から、どこかぎこちない会話だった。初心者だからとたかをくくっていたが、そうではなかった。
悪い表現をすれば、彼女は自分からコミュニケーションをしに行くのが苦手なんだ。きっと彼女の本心は、ギルドにいたかったのだろう。でもギルドにいることがつらい。
自分の居場所を感じられない。自分の存在が消えていくのを、自分自身で感じていく。おお…これほど辛いことはあるだろうか。
自分で想像してみる。自分の手が消えていくんだ。足も、なにもかも。そしてそれを誰も気に留めない。独りぼっち。誰も助けてくれない。助けてと叫ぶ声がないから…。
考えただけでもぞっとした。
俺なら絶対に耐えられない。だって俺がその立場だったら、きっと狂っている。
はっと幽奈さんを見る。
彼女はうずくまって殻に籠っている。俺はそれをすげぇと思った。彼女は、俺が耐えられない苦痛に対して、ぎりぎりのところで踏ん張っているんだ。なのに俺は…。
愕然とした。自分勝手なのはどっちだ。彼女か?俺か?
間違いなく俺だろう。俺は彼女のココロに土足で踏み入ろうとしたんだ。だれだって、自分の家に知らない人が入ってくるのは、いやなものだ。
俺はなんて愚かなことをしたんだ…。思わず俯いてしまう。
「楓さん…ごめんなさい…」
謝らせてしまった。悪いのは俺なのに。これじゃだめだ。彼女のココロには近寄ることすらできない。
どうすればいいんだ…。考えろ…考えろ…。
まてよ…俺はどうやってこの家に入ってきた…?扉を開けて…訪問した…?それだ!招いてもらえばいいんだ、彼女に。ココロのベルを鳴らすんだ!
「幽奈さん…つらかったね…」
「…っ」
「幽奈さん…」
しばらくの沈黙。だが会話をしている。ココロで。俺は幽奈さんを受け止める。そして幽奈さんの殻の中に訪問するんだ。そのためにはまず、幽奈さんの気持ちに近づかなくては…。
「つら…い…。私を見て…私を…」
「うん…俺はここにいるよ。ここで幽奈さんを見ているよ…」
「…っ」
彼女の膝を抱える手が緩む。
「でも…楓さんの時間を奪ってる…」
そんなこと気にしなくてもいいのに…でも俺でも遠慮するな…。
彼女にあるのは罪悪感。見てほしい。見られたい。ここにいるということを、彼女は発信したい。それを否定する罪悪感。私が孤独で苦しめばほかの人が救われるかもしれない。
ジレンマ。究極の二者択一。でも彼女にとっての答えは一つしかなかったんだろう。だって声の発し方をしらないから。
自分で自分のことに、幕を引くしかできないんだ。
怒り。ふつふつとわいた怒り。
誰に?彼女にじゃない。自分にでもギルメンにでもない。彼女をそうしてしまった何かに。
彼女が彼女でいられなくなった何かに。
[ドン、と机を殴りつける。やりきれない思いでいっぱいだった。彼女に同情しているわけでも、彼女がめんどくさくなったわけでもない。彼女が、彼女だけが苦しまなければならないという状況に、腹が立って仕方がなかった。
ふざけるな。
こんな結果ではいけない。俺の独りよがりかもしれない。無力かもしれない。でもやらなければならない。彼女は救われなければならない]
「幽奈さん。帰ってこれそう…?」
そうだ。ギルドを彼女の家にすればいいんだ。本当の家じゃなくたっていい。彼女が安心できて、みんなでばかやれればそれでいい。一人ひとりが尊重できるような状況にすればいい。
彼女にだって、人の輪の中で何か役割があるはずだ。成長が遅い?関係ない。私は人見知り?関係ない。俺が手を指し伸ばせばそれで解決じゃないか。
「…ごめんなさいまだ…無理そう…」
しめた。まだ!まだといった。彼女は帰りたがっている。ただ帰り道がわからないだけだだったらやることは一つだ。だろ?
「幽奈さん。待ってて。すぐに迎えに来るから」
「ふぇ…?」
幽奈さんに背を向けて外へ飛び出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます