Case11 幽霊管理部捜査課
その1 深夜に現るスポーツカー
崩壊した湾岸ビルの瓦礫の上で、空を見上げる幼い生人。つい先ほどまで晴れていた空は雨雲に支配され、生人の頬に雨が滴る。
数分して、生人は救急隊に助けられ、避難所に連れられた。避難所には、母さんと父さん、そしてまだ3歳の命咲が、生人の帰りを待っていた。
母さんと父さんは、生人の顔を見た途端に絶望を跳ね除け、生人を強く抱きしめる。強く抱きしめられた生人は、ようやく恐怖を乗り越え、両親に抱きつき、大声で泣きじゃくった。
しかし、生人は涙の向こうに立つ命咲の反応が気になった。命咲は涙ひとつ浮かべないどころか、生人に視線すらも向けていない。彼女は、崩壊したビルの瓦礫を凝視していたのである。まるでそこに、〝何か〟がいるかのように。
*
過去の出来事を、未だに生人は夢に見る。この夢を見るたび、生人は思う。ビルの崩壊で生き残ったのに、ストーブの事故であっさり死ぬなんて、と。あらゆる意味で、嫌な夢だ。
ただ、今の生人はゆっくりしていられない。時計を見ると、すでに午前0時を過ぎている。完全に遅刻であった。
生人は布団から飛び出し、部屋を飛び出し、アパートのすぐ隣にある相談所へ駆け出す。相談所玄関までの階段は1段飛ばしで登り、勢い良く玄関の扉を開け、生人は相談所に飛び込んだ。
「ニャァア!」
どうやら勢い良く扉を開けすぎたようだ。扉のすぐ近くにいたキュウが驚き、生人に警戒の目を向けている。また、キュウに嫌われた。救いは、ワオンが何も反応していないことである。
すでに仕事に出かけたのか、野川と黒部の姿はない。日向の姿もない。相談所にいたのは、驚いたキュウを抱き上げ優しく撫でるレミと、退屈そうにあくびをしながら、デスクに頬杖する八槻だけ。
「いっくん、ドーブロエウートロ」
「その挨拶は何語だ? ロシア語か?」
「分かんない。でもたしかぁ、世界一大きな国の挨拶だったはず」
「ロシア語じゃん。当たっちゃったよ」
レミとの和やかな挨拶。おかげで、生人は自分が大幅な遅刻をしていることを忘れてしまった。
自分の遅刻に生人が再び気づかされるのは、ジト目をした八槻の次のセリフによってである。
「あんた、遅刻通り越して半休状態なんだから、早く仕事始めたら」
「あ、そうだった。遅れて悪い。で、今日の仕事は?」
「ここにメモしてあるもの、調達してきて」
八槻から渡されたメモ。そこには、数人の幽霊からの依頼で買わねばならぬ物の一覧が書かれていた。時間的に、少し離れたディスカウントストアに向かう必要がある。生人は早速、仕事に向かった。
*
ノート、ペン、小さなケース、ペットの餌、農薬、乾電池、工具などなど、生人がディスカウントストアで買った物は多種多様。多種多様な客からの依頼に応えた結果だ。
深夜に男が一人で、多種多様な小物を大量に買っていく。ディスカウントストアの店員は、さぞ不審に思ったことだろう。だがそれに加え、可視化はしているものの、生人は幽霊なのだ。不審を超えて、奇怪な光景である。
会計を終え、大量の荷物を抱え、店の入り口に立った生人。不幸なことに、買い物をしている間に雨が降り出していたようだ。傘は持っていない。幽霊ならば雨など問題にならぬが、これでは荷物は濡れてしまう。
お客さんのための荷物を濡らすわけにはいかない。ならばいっそ、店で傘を買うか。そう思い、生人は回れ右をして店の中に戻ろうとする。
直後、1台のスポーツ車が、生人の背後に現れた。まるで肉食動物が唸っているかのような、重低音を轟かせるエンジン。筋肉質とも形容できる真っ黒な車体。野生馬のエンブレムをつけた、アメリカ車。
珍しい車に視線を奪われた生人。すると、車の窓が開かれ、中から青い髪の少女が顔を覗かせた。ニューマッスルカーとは対照的な運転手。生人は少女を知っていた。彼女は幾つかの仕事で顔を合わせた、幽霊管理部捜査課長の
「雨で……なら……まで……」
何やら、千代里は生人に話しかけている。ところが彼女の小さな声は、エンジン音にいとも簡単にかき消され、聞こえない。生人は千代里のすぐ側まで近づき、耳を傾ける。
「雨で帰れないなら、相談所まで連れて行ってあげる」
小さな声で千代里が生人に伝えていたのは、そんな言葉だった。偶然の幸運。これで傘を買う費用を節約できる。
「すみません、相談所までお願いします」
そう言って生人は、荷物を抱えたまま助手席に座った。初めてのスポーツカーの車内は、やはり狭い。
だがドアを閉め、千代里がアクセルを踏み込むと、エンジン音がシートを通して生人を震わせる。思わず生人も、「おお」と驚きを口にしてしまった。このエンジン音だけで、車内の狭さなど気にならなくなる。
店を出発し、相談所へ向かう千代里の車。深夜に少女とスポーツカーでドライブをしているのだ。今の状況に、生人は胸が高鳴った。ひとつ残念なのは、運転手が自分ではないことである。
運転中の千代里は、何も言葉を発さない。いつもの小さな声から考えて、あまり会話をしない人なのだろう。
街灯に照らされ影ができた千代里の横顔には、幼さと大人らしさが両立する、八槻とは違った凛々しさがある。青みがかった髪は、地毛なのだろうか。
それにしても、よくこの若さで、国家機関の捜査課長を任せられるものだ、と生人は思う。車を運転している時点で、千代里が生人よりも年下ということはない。しかし、5歳離れているとも思えない。生人は勇気を出して、聞いてみた。
「千代里さんって、すごいですよね。その若さで捜査課長なんですから」
「18歳で公務員の課長なんて、ありえない。私は特別扱い」
相変わらず声が小さいため、聞き取るのは難しいのだが、無口な千代里も、質問には答えてくれた。どうやら生人と千代里は同い年のようだ。
18歳で課長になれるほどの特別扱いとは、どういうものなのか。千代里は囁くように、話を続けた。
「私が生まれた家は、平安時代から悪霊を退治してきた、退魔師の家」
いきなり、インパクトのある単語が千代里の口から飛び出した。この世に退魔師という職業があったこと自体に驚く生人。千代里の小さな声での説明は続く。
「私たち千代里家には、悪霊退治の豊富な知識と経験がある。だから政府が幽霊管理部を作る時、政府は千代里家当主の父上に、捜査課長を任せたいとお願いしに来た。父上もそれを了承し、最初は父上が捜査課長になるはずだった」
「はずだった? 何かあったのか?」
「2009年の政権交代で、幽霊管理部立ち上げが白紙になったの。2012年の政権交代で幽霊管理部立ち上げは再開されたけど、父上は政府に不信感を持ち、捜査課長になるのを拒んだ」
無表情だった千代里の顔に、呆れ顔が混ざる。彼女が呆れるのは政府に対してか、父親に対してか、それともそのどちらに対してもか。
「政府は必死で父上を説得し、最終的に、父上は私を捜査課長にするよう要求した。政府は最初、すごく困ってた。でも、他に方法はない。政府は私を特別扱いし、私を捜査課長に選んだ。元々、幽霊管理部自体が特別扱い。政府にもそのくらいの柔軟性はある」
「俺の知らない世界だな」
ちょっとした生人の質問に、壮大な長話が帰ってきた。まさか、スパイ映画か何かのような話が千代里の裏にあったなど、生人は予想だにしていない。幽霊の存在もそうだが、この世には知らないことばかりだと、生人は改めて思う。
さて、実はもうひとつ、生人が千代里に質問したいことがあった。政府の機密に近い話をしてくれたのだから、他にも答えてくれるだろうと信じて、質問する。
「あの、千代里さん。この車は?」
「この車は……誕生日プレゼント……」
「プレゼント!? さすが平安時代から続く退魔師。セレブ!」
政府から支給された改造車ではないようだ。生人は千代里のセレブな一面に、軽い嫉妬を覚える。
話が一段落した時、千代里が持っていた無線機が鳴り出す。
《吉兆寺駅南口のコンビニで幽霊による強盗事件発生。付近の捜査官は至急現場に向かえ》
「こちら千代里、至急現場に向かう」
「うん? ちょっと千代里さん? 俺の送り届けは?」
「強盗逮捕が先」
「はあ!?」
生人は言葉を失った。あまりに急すぎる展開。相談所まであと少しという場所で、生人を乗せた千代里の車は、来た道を戻ってしまう。相談所まで送ってもらうはずが、幽霊管理部捜査課の仕事に巻き込まれてしまったのだ。
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