その2 1度あることは2度ある

 白い〝何か〟が現れ、湾岸ビルが崩壊を始めた。生人は恐怖で動けず、そんな彼めがけて、瓦礫が轟音とともに容赦なく降り注ぐ。5歳の生人は死んだも同然、生人の視界は真っ暗になり、すべての感情と感覚が吹き飛んだ。


 しかし何者かに腕を引っ張られる感覚があるのだけは、たしかであった。


 真っ暗な視界の中で、恐怖に怯え、身体を丸める生人。轟音は止み、ゆっくりと目を開けると、あたり一面は瓦礫の山だった。湾岸ビルがあった場所には、煙に覆い隠された雨雲が覗く。生人は、生き延びた。


    *


 いつもの夢から生人が目を覚ましたのは、午後8時50分。何度目かのアラームに起こされたのだ。生人は急いで準備を終え、相談所に向かう。

 相談所到着は午後8時57分。本来ならば遅刻寸前であるが、八槻は全く気にしない。相談所一行がいつも通りの調子で仕事を始めたのは、午後10時過ぎである。


 今日も特別な仕事はない。生人は1人で配達の仕事を任せられ、4時間後、全ての仕事を終わらせた。時間は午前2時ごろ。昨日と同じような展開。家路に着く頃には、生人の頭を嫌な予感が支配していた。


 よりにもよって昨日と同じ道を歩いていると、生人は数秒後にすれ違うであろう距離に、よりにもよって1人で歩く植木を見つけた。すぐさま曲がり角を探す生人。

 だが不幸なことに、場所は昨日と同じである。当然、曲がり角はなかった。これでは植木から逃げる術がない。このままではまたも植木と顔を合わせてしまう。生人は今度こそ見つからぬよう、植木から必死で顔を背けた。 


「あ! シト!」


 あっさりと見つかってしまった。生人が恐る恐る植木の顔に視線を向けると、昨日以上に敵愾心を露わにした表情が生人を睨みつけている。植木は生人が無駄なあがきをする前に、大声で叫んだ。


「今度という今度は許さねえ! この底無しの根性無し! 腰抜け! 臆病者!」

「……なんで俺は、こんなに罵声を浴びせかけられてるんだ」

「とぼけんな! 昨日は1人で逃げやがって!」

「お前も1人で逃げてたよね」

「甘ったれた言い訳をするな!」

「ダメだ……全く話が通じない……」


 深夜の住宅街で、2人の幽霊が口論とも呼べぬ口論を繰り広げる。完全なる無駄な時間。これが2日連続なのだから、生人も疲れてしまう。むしろ、これほど無駄な口論になぜ植木は熱心になれるのか。


「お前が逃げたせいで、金縛りにあってたあの人は、俺たちを泥棒と勘違いしてんだ!」

「だから、お前も逃げてたよね」

「泥棒と勘違いされて、嫌じゃないのか! あそこで逃げずに、勘違いを努力で正すべきだったんじゃないのか!」

「もう1回言うけど、お前も逃げたてよね」

「さっきからうるせえ! 俺は逃げてねえよ! これから金縛りにあってた人のところに行って、努力で勘違いを正すんだ!」


 ここまできて、ようやく植木の思いを知ることができた生人。植木は金縛りにあっていた女性の勘違いを正したいだけなのだ。だからこそ、昨日と同じ、金縛りにあった女性の家の前で、生人と植木は出会ってしまったのである。

 

 植木の思いを知り、無駄な口論が終わろうとしたその瞬間だった。生人と植木の背筋が寒くなる。昨日と同じだ。昨日と同じ目の前の家から、不安定な霊力を感じる。


「またか……」


 また同じ酔っ払いが同じ人に迷惑をかけているのか。また酔っ払いをどける作業をしなければならないのか。また泥棒と間違われるのか。たまらず生人は大きなため息をついてしまう。

 しかし、今回は昨日と大きな違いがあった。家の中から、女性の甲高い悲鳴が聞こえてきたのである。


「悲鳴? おい立木、様子を見に行ったほうがよくないか?」

「植木! 当然だろ! お前も根性出してついてこい!」


 さすがに悲鳴を耳にして、低次元の言い争いをしている場合ではなかった。植木は透過能力を使い、家の中に入り込む。そして窓を開け、生人も家の中に足を踏み入れた。2人の初めての協力である。

 

 不安定な霊力は、やはり2階の女性の寝室から感じた。それだけでなく、女性の怯えたような声と、焦りに震えた男の声も聞こえてくる。生人と植木は急いだ。

 昨日と同じ家であるため、2人は迷うことなく、すぐに女性の寝室前にたどり着いた。生人は八槻から常備するよう言われていた低級呪術道具を手にして、植木の突入のカウントを待つ。


「クソ! なんでお前は俺が見える!」


 部屋の中から聞こえてくる、男の声。おそらくこの男が、不安定な霊力を放つ幽霊だ。植木はカウントを早め、勢いよく扉を開けた。


「動くな!」


 女性の寝室に突入した生人と植木。部屋の中には、ベッドの上で大きな悲鳴を上げる女性と、突然のことに驚く、チンピラのような形をした男が1人。本物の泥棒幽霊だ。

 運が良いことに、女性と男の間には距離があったため、植木が女性と男の間に立ちふさがり、女性を守る。これならチンピラ幽霊の確保は簡単。そう思った生人だが、チンピラは鞄から1枚の紙を、箸で挟んで取り出した。


「お前たちこそ動くなよ! 見ろ! 中級呪術道具だ!」


 勝ち誇るように、箸で挟んだ中級術道具の御札を見せびらかすチンピラ。なんともマヌケな絵面ではあるが、植木の表情は一瞬で焦りに染まる。


「シト! あの呪術道具は危険だ!」


 その通り。チンピラの持つ呪術道具に触れれば、普通の幽霊は炎に焼かれるような痛みに襲われ、丸1日動けなくなる。普通の幽霊ならば。

 生人の持つ呪術道具でも、幽霊の動きは止められる。生人はチンピラとの距離を縮めていった。


「おいバカ! 危険な呪術道具だって言ってんだろ!」

「そ、そうだ! あいつの言ってる通りだぞ!」


 忠告する植木、脅すチンピラ。呪術道具耐性レベル5の生人にとって、知ったことではない。

 生人はチンピラの目の前に立つと、チンピラが箸で挟む中級呪術道具を握り、何事もなく取り上げた。植木もチンピラも、唖然とする。その間に、生人はチンピラの額に低級呪術道具の御札を貼り付けた。チンピラは体をシビラせ、数秒間苦悶し、気絶する。

 

「シト……お前、本当にすげえ能力の持ち主なんだな……」

「どうも」

「……でも! 忘れるな! 俺は努力と根性で、お前を追い抜く!」

「はいはい」


 幽霊管理部の監視対象にもされる能力を目の前に、生人を見る植木の視線が変わった。ただ、強烈な敵愾心は相変わらずのようである。

 それより、大事なのは女性である。彼女はチンピラが退治された今でも恐怖に震え、小さく丸まっている。生人と植木はできる限り優しく、女性に話しかけた。


「安心してください。チンピラは自分たちが退治しました!」

「他にご家族は?」

「家族は、外出中です……。あ、あなた方は? 昨日も、私のところに……」

「昨日はあなたの部屋に酔っ払いが侵入していたんで、自分たちが片付けたんです! 安心してください! 自分たちは泥棒じゃない!」

「彼の言う通りです」

「そうだったんですか……。ところで、幽霊とは?」


 ぽかんとした女性の言葉。生人は首を傾げた。生人も植木も、可視化はしていない。つまり、女性は幽霊が見えている。にもかかわらず、幽霊の存在を知らないとはどういうことか。


「霊感知能力保持者ではないんですか?」

「霊感? いえ、昔からそういうのには疎かったので……。ともかく、ありがとうございます」


 ますます分からない。分からないが、女性は感謝の言葉を口にしている。困った生人は、自分は警察の特殊な人間だと名乗り、女性の家を後にする。

 チンピラは植木に任せた。生人はまっすぐ、白河幽霊相談所に戻る。


    *


 相談所のデスクチェアで、優雅にプリンを食べる八槻。先ほどの女性への疑問が尽きぬ生人は、彼女に質問した。


「霊感知能力って、覚醒とかするのか?」


 突然の質問に、八槻は面倒そうな表情をしながらも答えた。


「霊感知能力保持者は2種類いる。私や命咲ちゃんみたいに、遺伝で生まれた時から霊感を持つ人。それと、長い間幽霊と一緒にいたり、強力な霊力に接触したりして、霊感知能力が覚醒した人」

「つまり、霊感知能力の覚醒はあるってことか」

「そう」


 八槻はそれっきり何も言わなかったが、これで生人は納得した。生人と植木が、一時は泥棒に間違われても女性を救った結果、この世界にまた1人、霊感知能力者が増えたのだ。


 なお、翌日は仕事が早く終わることもなく、当然、植木と出会うこともなく、女性を助けることもなかった。1度あることは2度あっても、2度あることが3度あるとは限らなかったのである。

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