Case10 勘違い

その1 嫌な出来事に限ってよく覚えてる

 休日の午前中、カフェ・アームに命咲が訪れていた。彼女はここでコーヒーを飲みながら、生人や三枝須との会話を楽しんでいる。生人もまた、命咲との会話を楽しんでいた。

 会話の内容は、学校での出来事や相談所の仕事、三枝須の新しい小説のアイディアなど多岐にわたる。そんな中、生人は表情を変えて、拳を握りながら口を開いた。


「すまん、もう我慢の限界だ。なあメイ、三枝須さん、聞いてほしいことがある」

「どうしたの? お兄ちゃん」

「どうしました?」

「俺は泥棒じゃない。俺は泥棒じゃない」

「お兄ちゃん、大事なことなのは分かったけど、何の話?」


 突然のことに、話の内容が全く分からない命咲と三枝須は、返答に困ってしまっている。生人も自分が不満に少し興奮し、おかしなことを言っている自覚はあった。生人はカフェに漂うコーヒーの香りに気を落ち着かせ、話の詳細を語りだす。


「実は今日――」


    *


 カフェにて命咲と三枝須との会話を楽しむ8時間前、午前2時。生人は配達の仕事を早くも終わらせてしまい、やることもなく、大人しく家路についた。

 相談所までの道のりは約3キロ。歩くには少し辛い距離であったが、時間はたっぷりある。人気のない真夜中の住宅街を、散歩を兼ねながら進む生人。


 この時間では、街全体は眠っている。明かりのついた家はほとんどない。街を照らすのは、等間隔に置かれた街灯の白い光のみ。

 生人の他に街を歩くのは、ほとんどが彼と同じ幽霊だ。夜中は幽霊社会の活動時間。さすがの生人も幽霊生活に慣れ、そこら中に幽霊がいるのが当たり前に思えてきた。


 しばらく歩き、相談所まで2キロを切ったというあたり。数秒後にすれ違うであろう距離に、1人で歩く植木を見つけた生人。二本松の姿はなく、生人はホッとするが、すぐさま曲がり角を探した。

 しかし不幸なことに、曲がり角はなかった。これでは植木から逃げる術がない。このままでは植木と顔を合わせてしまう。生人は植木から必死で顔を背けた。


「あれ? おい、お前シトだな!」


 今にも炎に包まれそうな表情で、そう口にした植木。顔を背けたところで、生人は植木に見つかってしまったのだ。だが生人は諦めない。


「人違いです」


 わざわざ声色を変えてのウソ。もちろん、こんなものは植木に通用しない。むしろ植木を刺激するだけであった。二本松に絶対の忠誠を誓う植木は、声を荒げて生人に食ってかかる。


「とぼけんなよ! この前はよくも二本松様を騙したな! 二本松様の仕事を奪っておいて、ネコを見つけても何も言わないなんて、許さねえぞお前! この卑怯者!」

「ちょっと待て。なんで俺が怒られなきゃいけないんだよ。悪いのは二本松に何も言わなかった八槻だ。俺は悪くない」

「お前、二本松様に失礼だ! 二本松〝様〟と呼べ! 様をつけろ様を!」

「話聞いてる!?」

「言い訳なんか聞きたくないんだよ! 根性無し!」


 飛び散る植木の唾と、一方通行な会話。生人は一刻も早くこの場を逃げ出したかった。逃げ出したかったのだが、あまりの植木の理不尽さに、生人も黙って引き下がれない。


「言い訳になろうが弁明になろうが言わせてもらうぞ。俺は悪くない。悪いのは八槻だ。俺じゃない」

「お前! 自分のところの所長に全ての罪を着せやがって! 恩知らず!」

「は!?」

「白河所長にも失礼だろ! やっぱりお前は最低だ! 白河幽霊相談所は最低だ!」

「なんなの? お前は八槻の敵なの? 味方なの?」


 会話というよりも議論。議論というよりも言い争い。ほとんど価値のない、時間の無駄でしかない言い争いだが、ヒートアップした生人と植木は言い争いを止めようとしない。他の幽霊から白い目を向けられようと、お構いなしだった。

 

 だが、この低レベルな言い争いをしている最中、生人と植木の背筋が寒くなった。すぐ目の前にある一軒家の1室から、2人は不安定な霊力を感じたのである。

 不安定な霊力を感じると言うと分かりにくいが、それは人間で言うところの、不安定な音が聞こえる、不安定な匂いがするというのと同じだ。要は、何かおかしなものを感じたということ。


「うん? この家から、変な霊力が……」

「悪霊だったら大変だ。ここは自分が。シトはここにいろ」

「俺も行く」

「ついて来んな! お前みたいな根暗は邪魔なんだよ!」

「是が非でもついていってやる」


 この期に及んでも言い争う2人だが、植木が透過を使って家に入ると、生人は1人になってしまった。彼は透過能力を持たない。どうにか家に入れないかと、家の周りを一周する生人。

 家の裏側に回ると、奇跡的に開けっ放しであった窓を見つけた。生人はその窓からなんとか体をねじ込み、家の中へ入り込む。完全に泥棒である。


 家の中に〝侵入〟し、廊下を進むと、階段の下で再び植木に合流した。


「ついて来んなって言ったろ!」

「是が非でもついていってやるって言ったろ」


 2人の幽霊が家の中に入り込み、低レベルな言い争いをする。これを知ったら、家の住人はさぞ驚き、恐怖する、もしくは唖然とするであろう。しかし、この家の住人はそれどころではないのだ。

 

 階段を上がり、不安定な霊力を感じる部屋の前までやってきた生人と植木。ドアを開け部屋の中に入ると、そこでは1人の女性が顔を引きつらせていた。必死の形相とは裏腹に、体は全く動いていない。

 女性が動けないのは当然だ。女性の上には、2人のおっさんが横たわっているのである。


「酒臭いな。おっさんたち、酔っ払いか?」

「おいシト、このおっさん全員幽霊だ。酔っ払って霊力が不安定になってんだ」

「なんだ、そういうことだったのか」


 犯罪を行う幽霊、つまり悪霊がいるのではと思っていた生人は、ただの酔っ払いたちに安心した。安心したと同時に、気がついた。


「……ちょっと待て。ってことは、あの人はおっさんたちが見えてないんだよな。見えてないもののせいで体が動かないって、それ金縛りじゃん」


 またひとつ、生人の中で心霊現象への価値観が崩壊した。金縛りの正体が、まさか酔っ払いのおっさん幽霊が上に乗っかっているためとは、予想外である。それはそれで怖いが、怖いの種類が違う。


「あの人の努力と根性だけじゃ、金縛りは解けないな」

「俺たちでおっさんをどけてやろう。盆栽、手伝え」

「植木! なんでお前を手伝わないとならないんだよ! お前が手伝うんだ!」

「分かった分かった」


 言い争いながらも、生人と植木はまず、酔っ払い幽霊の1人を女性の上からどけた。それだけでなく、わざわざ家の外まで連れ出す。


「あんだよ! どこ連れてくんだよ!?」

「ここ、あなたたちの家じゃないんですよ。ほら、さっさと行きますよ」

「あぁん? ふざけんな! ここは俺の家だ! この町は全部俺の家だ!」

「……まったく、なんでこんな時間から酔っ払ってるんだよ、このおっさんたち」


 悪態をつくおっさんを背負い、廊下を進む生人のぼやき。現在の時間は、午前3時前だ。人間の午後3時に相当する。ということは、おっさんたちは午前中から酒に溺れ、こうして女性の家に入り込み、眠ったということである。最悪である。

 

 アルコールにやられた最悪のおっさん1人を背負い、家の外に放り出した生人と植木。2人は残ったおっさんを家の外に放り出すため、女性の寝室に戻った。

 寝室に戻った2人がおっさんを背負った途端である。部屋に金切り声が響き渡った。


「キャアァァァ!! 泥棒!!」


 霊感知能力保持者なのだろうか、女性は生人たちをしっかりと睨み、叫んでいた。直感でやばいと感じた生人と植木は、窓を開け、おっさんを放り投げ、好き勝手な方向に逃げる。

 

 家に侵入したおっさんを片付け、金縛りを解いたのに、泥棒扱いされた生人。気づけば、生人の近くに植木の姿はない。人助けの結果、泥棒扱いされて逃げるなど、気分が悪い。生人は相談所に帰ると、今さっき起きたことを全てなかったことにした。


    *


 午前11時頃のカフェ・アーム。生人は夜中に起きた一連の出来事を語りきった。全てをなかったことにしようとしたが、不満はなくならなかったのである。不満は生人の心を侵食し、ついに我慢の限界を迎え、だからこそ、この話を口にしたのだ。


「迷惑な酔っ払いをどけて、金縛りを解いたのに、泥棒扱いはないだろ!」

「そうだね」

「だろ! そりゃないよって思うだろ! なあ、三枝須さんもそう思うだろ!」

「ええ、思います」


 不満を爆発させる生人に、命咲と三枝須はとりあえず同調した。それしか出来ることがなかった。

 一方で、ようやく不満をぶちまけることができた生人は、心をすっきりさせたようである。彼はコーヒーを飲み干し、満足げな表情だった。

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