その2 引越しのトラブルは最悪

 依頼を引き受けてから2日後の午後3時30分。生人と八槻、野川、黒部が、貞美の住む井戸に到着した。ノイズだらけの画面に映った夜の井戸は恐ろしかったが、昼間の井戸はただの井戸だ。

 生人が想像していたのと違い、井戸とそれを囲む林は、住宅街のど真ん中にあった。数十歩も歩けば閑静な住宅街となると、ホラー感は無に等しい。


 井戸がどうであれ、仕事内容に変わりはない。生人たちは早速、引っ越し作業を開始した。

 皆が可視化して昼間に作業するのには理由がある。真夜中に、井戸の周りで何かしらの作業をすることは、八槻は当然、幽霊であっても怪しすぎるからだ。むしろ幽霊である方が、近所を恐怖させる可能性がある。昼間の人間の作業、という見た目が大事なのだ。


「貞美さーん! 聞こえますか?」

「あ、相談所の皆さん、こんにちは!」

「作業のため、そちらにハシゴを降ろしますね!」

「はい!」


 井戸の底に向かって、当たり前のように叫ぶ八槻。そんな彼女の姿は、幽霊の存在を知らぬ者から見れば異常であろう。

 だが、井戸の底から八槻の言葉に答える貞美の姿は、誰が見ても恐ろしいものである。少なくとも幽霊の生人と野川は、井戸の底に住む前髪の長い女性幽霊に恐怖している。


 八槻の言葉と貞美の答えに従い、生人が井戸にハシゴをかけた。そしてそのまま、生人は井戸の雰囲気に鳥肌を立てながら、黒部は表情一つ変えず、井戸の底に下っていく。

 5メートルはあるかというほどの深い井戸。底に近づけば近づくほど、光は遠ざかり、黒い水面に映る生人の姿は大きくなる。


 井戸の底に到着すると、生人と黒部は膝までを水に浸からせながら、貞美の前に立った。わずかな光に照らされる貞美の姿は、やはりホラー。幽霊の中の幽霊といっても過言ではない見た目の貞美は、住む場所もそれらしいのだなと生人は思う。

 

「部屋はこっちです」


 貞美はそう言って、別の部屋につながる扉を開けた。暗闇でよく見えなかったが、木製の扉が貞美の背後にあったのである。てっきり井戸の底で行き止まりであり、貞美はここに住んでいると思っていた生人は、別の部屋があるという事実だけでも驚きだ。

 しかし生人が本当に驚くのは、貞美の案内する部屋に足を踏み込んだ時である。


「ここが私の部屋です。荷物はまとめておいたので、お願いします」


 前髪越しの貞美の言葉など、生人の耳には入ってこない。今の生人には、視線に入ってくるものを処理するだけでもお腹いっぱいなのだ。

 井戸の中だというのに、水玉模様に飾られたベージュ色の壁。床はフローリングで、小さな白いテーブルとテレビ、まるでお姫様が眠っていそうなベッドが、それを覆い隠す。部屋のそこかしこには、可愛らしいぬいぐるみが座っていた。


 茫然自失とする生人。暗く湿った井戸の底に、大量の和人形が置いてあるのならば、まだその方が良かった。5歳の女の子の部屋と説明されても納得してしまう部屋に、前髪の長い幽霊が住んでいるなど、信じられないし信じたくない。

 ファンシーの一言で全て説明できる貞美の部屋。ホラーの一言で全てが説明できる貞美。共通点の見出せぬ2つが、井戸の底で交わっている。ある意味ホラーだ。


「元町、お前は小さなダンボールを持っていけ」

「…………」

「おい元町、聞こえてるのか?」

「え? あ、はい。ええと、なんですか?」

「お前は小さなダンボールを上に持っていけ。大きな荷物は俺が運ぶ」

「わ、分かりました」


 部屋がどうあれ、仕事内容に変わりはない。生人と黒部はさっそく、荷物を井戸の外に運ぶ作業を開始した。

 

 井戸の底だというのに、荷物は多く、しかもそのほとんどが可愛らしい。中にはクマのぬいぐるみで埋め尽くされたダンボールもあり、井戸への恐怖感が生人の中から吹き飛んでゆく。

 ダンボール片手にハシゴを登り、井戸の外で待つ八槻と野川にダンボールを渡す。そして部屋に戻り、再びダンボール片手に――という作業を繰り返す生人。テーブルや棚などを井戸の外に持ち出さなければならない黒部よりは、楽な仕事だ。


 1時間程度で、貞美の部屋はずいぶんとすっきりした。懸案であったお姫様ベッドも、生人と黒部、野川の3人で、ロープを使いなんとか運び出した。

 

「これが最後のダンボールですかね」

「そうだ」

「じゃあ、これは俺が運びます」

「頼んだ」


 かなりの重労働が予想された引っ越し作業も、その半分が終わろうとしている。生人は最後に残った、小物がたっぷりと入るダンボールを井戸の外に持ち出す。


「八槻、これで終わりだ」


 そう言って生人が八槻に荷物を渡すと、八槻は黙ってそれを受け取る。生人に対する労いの言葉はなかった。彼女は、ダンボールの隙間から見える何かに気を取られていたのだ。

 井戸からは、貞美がハシゴを使って外に出てきていた。八槻はそんな彼女に、珍しく興奮気味に質問する。


「貞美さん! このスプーンはどこに売ってましたか!?」


 八槻が興奮するのも無理はない。彼女が質問したスプーンは、柄の先がプリンの形をしたものだったのだ。


「それはオフィス・ファントムの方に買ってもらったものなので、詳しいことはオフィス・ファントムの方に――」

「七本松さんに聞く気はありません。貞美さんに教えて欲しいんです!」

「ええと……でも、詳しいことまではちょっと……」

「どんな些細な情報でも結構です! お願いします! 教えてください!」

「たしか、吉兆寺駅のお店の札が――」


 長年追っていた事件の手がかりを見つけた刑事のような八槻。あまりの八槻の豹変ぶりに、貞美は困惑気味だ。生人と野川も、苦笑いをしてしまう。

 前髪の長い貞美に、興奮した様子で迫る八槻という図。その奇妙な光景に、生人と野川、ハシゴを登った黒部は、集中力を完全に削がれた。結果、貞美の荷物を詰め込んだワゴン車に近づく、複数の小さな影を、生人たちは見逃してしまう。


 八槻がスプーンの売っていた店をしつこく聞き、貞美が少々仰け反りながら答えているその時だった。背後から聞こえた荷物の崩れるような音に、生人は反応する。

 振り返った生人の目に入ったのは、相談所のワゴン車から1枚のCDを盗もうとする、1人の小学生ほどの少女。度胸試しか何かだろうか。


「お前! なに見つかってんだよ! さっさと逃げろ!」


 生人が少女の存在に気づいた途端、物陰に隠れていた悪ガキ数人の1人がそう叫んだ。少女は怯えたような表情で、CDを手にしたまま走りだす。一方で生人も、少女の持つCDを見て焦りだす。


「あ、おい! ちょっと待て! ウソだろ……子供に呪いのDVD盗られた……」

「は? どこのガキだ!?」

「あの子たちです!」

「よぉし、この野川様がガキどもに教育してやる!」


 呪いのDVDが子供たちに強奪されるという、まさかの事態。野川は意気揚々と子供たちを追った。


「面倒くさい……」


 そう言ったのは、相変わらずの八槻。呪いのDVDが盗まれたのだから、八槻にはもう少し危機感を持ってほしいものだと生人は思う。他方、貞美は子供たちの姿を確認し、ため息で前髪を揺らしながら、言った。


「はぁ……DVDを盗んだ女の子は、物陰に隠れていた子供たちにいじめられている子です。井戸の周りで、あの女の子がいじめられているのを何度か見ました。きっと今回も、いじめっ子たちに強要されてDVDを盗んだのでしょうね……」


 井戸の底からいじめの現場を見る女性幽霊とは、いろいろな意味で恐ろしい話だ。恐ろしい話だが、今はそれどころではない。今はなんとしてでも、DVDを取り返さなければならない。


「ともかく、どうやってDVDを取り戻そうか……」

「俺が取り返してくる」

「いや、子供相手に黒部さんはやりすぎですよ。主に外見が」


 元殺し屋と紹介されて、やっぱりと納得できる外見の黒部が子供を追う。それは万が一、子供に姿を見られた場合、与える恐怖感が大きすぎる。生人だけでなく、八槻や貞美もそれには反対した。

 すでに野川が子供たちを追っている。ならば生人と八槻も、子供たちを追うべきか。ここで八槻は、ある提案をした。


「子供たちがDVDを見れば、貞美さんが子供たちのところに行けるんじゃない?」


 その通りだった。呪いのDVDは、貞美の移動手段である。DVDが再生されれば、貞美はDVDの在り処にたどり着けるのだ。ただそれは、黒部以上に問題のある外見を持つ貞美が、子供たちに恐怖を与えてしまう方法でもあるのだが。

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