Case9 井戸の幽霊
その1 前髪長すぎた
夜の涼しい風が、暗闇に隠れる雲を動かし、おぼろ月を作り出している。今日は日向と黒部が仕事で不在であり、相談所にいるのは生人と八槻、レミに野川、キュウとワオンだけだ。
ワオンは相変わらず床に寝そべり、その周りをキュウが尻尾を立てながら回っている。八槻はプリンを食べ、レミは退屈そうにあくびをしていた。生人と野川は、いつも通りテレビを見ているだけだ。
仕事もなく、だからといって遊ぶ金もなく、4人ともできる限りのだらけっぷり。とでもじゃないが、勤務時間中であるとは思えない。
締まりがない相談所を動かしたのは、とある小包であった。午前11時ごろ、寝る直前に届けられ、机の上に放置されていた小包。送り主も分からぬ小包。そんな小包の存在をレミが思い出し、その中身を確認し始めたのである。
「レミ、またなんか買ったのか?」
「う~ん、覚えてない」
「覚えてないって、じゃあその小包はなんだ?」
「知らない」
小包の中身を本当に知らないらしく、レミは心を弾ませながら小包を開けていく。生人と野川は、謎の小包に不信感を抱いていた。八槻は、黙ってプリンタイムだ。
包装紙を豪快に破り棄て、おそらく規定とは違う方法で、小包を開けたレミ。中から出てきたのは、正方形のケース1枚。
「なんだろう、これ。ねえねえいっくん、これ何?」
「これはCD……じゃなくてDVDだな。こんなもん、どこの誰が送ってきたんだ」
「あ! 手紙も入ってるよ!」
「何て書いてある?」
「ええとねぇ……『DVDを再生してください』だって」
「怪しい、すげえ怪しい」
送り主も分からない、謎のDVDを再生しろ。『はい分かりました』と簡単に従うわけにはいかない。あまりの怪しさに、生人はDVDに触ることすら忌避してしまう。
一方八槻は、何か思い当たる節があるらしい。彼女はプリンとスプーンを手放すことなく、野川に話しかけた。
「左之助さん、再生して」
「はいはい、ちょっと待っててくださいよ」
八槻の言葉に従い、特に何かを考える様子もなく、野川はDVDデッキの電源を入れる。そしてそのまま、ケースから出したDVDをデッキに入れてしまった。落武者なのに、DVDの再生準備を終えてしまった。
このままでは、怪しいDVDが再生されてしまう。不安に思った生人は、八槻に忠告する。
「僕は怪しいDVDだよ、って感じのDVD、本気で再生する気か? 呪いのDVDとかだったらどうする!?」
「呪いのDVDっぽいから、再生するんだけど」
「はぁあ!? 死ぬぞ! 7日後に死ぬぞ! テレビから髪の長い女の幽霊が出てきて、殺されるぞ!」
「あんたも幽霊でしょ。いいから、左之助さん、再生して」
「オッケーっす」
「ちょっと待って!」
小さな頃に見たホラー映画がトラウマの生人は、気が気でない。だがそんな生人に構うことなく、野川はリモコンの再生ボタンを押してしまった。
テレビの画面には、一瞬の砂嵐の後に、暗闇の森の中に佇む井戸が映し出された。画面のノイズも相まって、背筋を自然と凍らせる映像。
「もう決まりじゃん! 呪いのDVDじゃん! 俺は呪われたくない!」
「うるさいなぁ。あんた、どっちかといえば呪う側でしょ」
「出てくるよこれ。絶対テレビから幽霊出てくるよ!」
「テレビから幽霊が出なくても、とっくに幽霊だらけだけどね、この部屋」
「お前はなんでそんなに冷静なんだ!」
こうして生人と八槻――主に生人――が騒がしくしている間にも、映像は続く。
「うん? ねえ、井戸から誰か出てきたよぉ」
まったく怖がる様子はなく、むしろ興味津々に映像を見るレミがそう言った。彼女の言う通り、白い服に身を包んだ、顔を覆い隠すほどに前髪の長い女性が、井戸から出てきている。
「来たよ! やばいよ!」
画面の中の不気味な女性は、一歩一歩こちらに近づいてくる。まるで、画面の外にいる生人たちのもとへ向かうかのように。
前髪の長い女性が画面を支配すると、女性は腕を伸ばす。その腕は、テレビの画面をいともたやすく乗り越えた。腕だけではなく、頭も、体も。前髪の長い女性が、テレビの中から相談所に這い出てきたのである。
「うわぁ! どうすんだよこれ! どうすんだよ!」
「ちょっと姫様! マジで出てきちゃったよ! 冗談じゃねえ! 怖いよ!」
呪いのDVDなど冗談、と思っていた野川は、実際に前髪の長い女がテレビから出てきたのを目にして、生人とともに怯え出す。キュウもまた、威嚇のポーズをしていた。
「御用あらためであ~る」
なぜなのだろう。レミは笑顔のまま、テレビから這い出た女性を歓迎していた。八槻やワオンも怖がるそぶりを見せない。
レミからの歓迎を受けた前髪の長い女性は、おもむろに立ち上がり、動きを止める。顔は前髪に隠されているが、彼女がレミをじっと見つめているのは、生人にも分かった。
「こんばんは。白河幽霊相談所さんですか?」
柔らかく温和な女性の声が、相談所に響いた。最初、それが前髪の長い女性の声と言葉であるのを、生人は理解できなかった。混乱する生人をよそに、八槻は前髪の長い女性との会話を始める。
「はい、白河幽霊相談所です。私が所長の、白河八槻」
「良かった。間違った場所に出ていたら、迷惑をかけてしまいましたからね。私は
真っ白な肌、黒く汚れた白い服、顔を覆い隠す長い前髪。見た目はホラー以外のなにものでもないが、彼女の言葉は物腰が柔らかい。声も口調も、恐ろしさを微塵も感じさせない、優しい声。
声に安心したのか、キュウは落ち着いた様子。だが疑問だらけの生人は、震えた声でつい質問してしまった。
「すみません、某映画に出てくるあの幽霊ではないんですか?」
「あれは、私の姉です。お恥ずかしながら、姉は霊刑務所に収監されています。あ、呪ったりはしませんので、安心してください」
「そ、そうですか。なんか、変な質問してすみません」
「いえいえ、慣れてます」
長い前髪のせいで、貞美の表情はうかがえない。だが、彼女の声色から、微笑を浮かべているのは容易に想像できる。生人と野川の肩の力が抜けた。
「ともかく、お座りください」
「はい」
「ねえねえ貞美さん、お茶にする? コーヒーにする?」
「コーヒーでお願いします」
「は~い、ちょっと待っててね」
さも当然のように、貞美をソファに座らせた八槻。貞美もさも当然のように、ソファに座り、さも当然のように質問したレミに、さも当然のように答えた。そして、さも当然のように、八槻は会話を始めた。生人と野川には、まだ怯えが残っている。
「それで、依頼というのは?」
「実は今住んでいる井戸が、住宅街の開発に伴って、取り壊しが決定してしまったんです。だから引っ越しをしようと思いまして」
「引っ越しですか。引っ越し先は、決まっていますか?」
「はい、決まっています。今回は相談所のみなさんに、引っ越しの荷物運びをしていただきたいんです。場所は――」
なんとも普通に会話をしているが、貞美はホラー感たっぷりの見た目だ。ソファに座り、ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら、八槻に仕事の依頼をする、前髪の長い貞美。目の前で起きていることが、生人と野川は頭の中で消化しきれない。
生人と野川がどう思おうと、貞美は普通の幽霊のお客さんだ。前髪が長いだけの幽霊のお客さん。八槻は話を続ける。
「そうなると、引っ越しの手伝いは2日後の昼間、料金は最大で7万円になります。それでも構いませんか?」
「大丈夫です。お願いします」
「分かりました。では2日後、貞美さんがお住いの井戸に向かいます」
「ありがとうございます。連絡があるときは、このDVDを再生してください。いつでもどこでも、画面を通して移動できますので。それでは」
貞美はそう説明して、お辞儀をした。そしてそのまま、テレビの画面に入り込み、井戸へ帰っていく。
生人と野川は、考えるのをやめた。新たな仕事が決まったのだ。それだけ分かれば十分である。
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