その3 それでも家族は

 午後10時、相談所への佐代の2度目の訪問。今度の佐代は、相談所への依頼のためにやってきたのではない。これから自分はどうすれば良いのか、という相談のためにやってきたのだ。

 佐代の表情は、窓の外に広がる灰色の空と同じく、曇っている。彼女はソファに座る生人とレミ、デスクチェアに座る八槻に対し、言葉を引きずり出した。


「先日の『世界不可解発見』は、見ましたか?」

「はい……」

「あれは、霊力をきちんと制御できず、マンションの住人を怖がらせてしまった私が悪いんです。だから、あの騒ぎは仕方がないことだと思います」


 そう言い放った佐代は、さらに言葉を続ける。しかし彼女の表情は、悔しそうだ。


「仕方がないんですよ。幽霊が人間から怖がられるなんて、普通のことです。これ以上はマンションの住人に迷惑をかけられません。私は、もうあのマンションには行きません。家族のところには、もう行きません」


 悲しく難しい決断だったのだろうか、佐代の目には涙が浮かぶ。だが彼女は、涙を流すことなく、はっきりと決断した。

 八槻は佐代の決断を否定することはない。人間と幽霊の関係性を考えれば、佐代の決断は正解であるからだ。翻って生人とレミは、佐代の決断に納得しかねていた。特にレミは、すぐさま反論した。


「なんでぇ? なんで佐代さんが悪いの? 佐代さんは何も悪いことはしてないんだよ? マンションのみんなや、あの変な霊能力者のおじさんが勘違いしてるだけなのに。なんで佐代さんが家族に会えなくなっちゃうの?」


 単純だからこその、レミの意見。これも正しいのだ。正しいのだが、それでは問題は解決しない。レミの意見の問題点を、八槻が突く。


「だから、佐代さんへの誤解を解くためにみんなに説明する? 無理ね。いくら説明したって、幽霊って時点で怖がられてるんだから」

「でもぉ……」


 何か言いたげではあったが、レミは口ごもった。

 この間に、佐代と八槻が会話をする。まるでお互いがお互いを納得させようとしているかのように。


「白河所長のおっしゃる通りです。幽霊は、本来人間界の住人ではないですから。私たちは、人間界の住人の意見を尊重するしかありません」

「ええ。それが幽霊です」


 話はまとまっていた。佐代はマンションに行くのを止め、家族と出会えなくなる道を選んだ。八槻も彼女の決断を正しいと判断した。2人は決して、間違ったことは言っていない。

 それでも、生人は口を開いた。彼は、このまま佐代が一方的に譲歩し、家族を捨てるのを見てはいられない。母親がいない寂しさを知る八槻に、それを簡単に受け入れさせるわけにはいかない。


「マンションに行かないのはまだしも、家族と会わないようにする必要はないと、俺は思いますよ」

「で、でも……マンションの住人があんなに私のことを怖がっていたんです。きっと、大空や太一も私を怖がって――」

「それは本人に聞かなきゃ分からないですよ。佐代さん、佐代さんの家族に一度だけ、話を聞いてみましょう」

「え……」


 生人は、佐代の決断を否定する気は無かった。ただせめて、マンションでの幽霊騒動に対する家族の意見を聞く必要はある、と思ったのだ。彼は八槻にも訴えかける。

 

「八槻なら分かるんじゃないか? これは渡瀬一家の問題だ。なら、太一さんと大空くんの意見だって大事だろ」

「まあ……そうかも……」

「じゃあ、話を聞きに行こう」


 目を伏せる八槻。彼女は生人の言葉に、どこか心を掴まれていた。太一と大空が置かれた状況を、自分の過去と重ね合わせた結果だろう。八槻は目を伏せたまま、生人の意見に首を縦にふる。

 

「レミもいっくんに賛成!」

「分かりました。元町さんの言う通り、家族の意見も聞きたいです」

 

 レミと佐代もまた、生人の意見に同意する。

 こうして新たな仕事が決まった。佐代の家族に、マンションでの幽霊騒動に対する意見を聞く、という仕事が。


    *


 翌日の午後7時ごろ、生人と八槻、レミ、佐代は再び、渡瀬一家の住むマンションにやってきた。突然やってきた謎の人物を、太一はまともに取り合ってくれるのか。そんな不安もあったのだが、雑誌の記者と名乗った八槻を、太一は部屋に入れてくれた。


 太一の目の前に、死んだ妻がいる。しかし太一は、生人と八槻の2人分のお茶だけを用意し、妻の存在には気づかぬまま、席に座った。生人は可視化をしているが、佐代とレミは可視化せず、姿を隠したままなのである。

 つつましくも少し散らかった、決して広くはない部屋。父親とその息子が住む部屋で、生人と八槻は早速、太一に質問する。 


「幽霊騒動についてお聞きしたいのですが、太一さんは幽霊をどう思いましたか?」


 率直な生人の質問。面倒くさがりな八槻は、生人の率直さに文句は言わない。だが佐代は、いきなり自分に対する夫の思いを聞くことになる。彼女は唾を飲み込んだ。

 生人の質問に、太一はやや考えながら、口を開いた。開こうとしたのだが、その前に、テレビを見ていた大空が、生人の質問に答える。


「あの幽霊は、ママだよ!」


 子供らしい元気いっぱいの答えに、生人たちは全員、驚いた。まさか大空は霊感知能力保持者なのか。それにしては、すぐそこにいるはずの佐代の姿を、大空が見えているとは思えない。

 混乱する生人たちに、太一は困り顔を表情に織り交ぜながら、ゆっくりと説明を始めた。


「実は、約1年前に妻を亡くしていまして。それで、マンションに現れた幽霊を、大空は母親だと思っているんです」

「息子さんは、幽霊が見えているんですか?」

「いえいえ、そういうわけでは。私も大空も、幽霊を見たことはありません。ただ、ご近所から幽霊が女性だと聞きまして。それで、大空は幽霊を母親だと」

「なるほど……」


 たしかにそうだ、と生人は思う。身内を亡くして1年近くで現れた幽霊を、死んだ身内だと思うのは自然なことだ。そこで、今度は八槻が質問をする。


「太一さんは、幽霊の正体が亡くなった奥さんだと、思いますか?」


 これに太一は小さく笑って、恥ずかしそうに答えた。


「僕も大空と同じ気持ちです。あの幽霊は佐代だったんじゃないかって、今も思っています。だから、先日のテレビ取材での悪霊退治は、少し複雑な気分でした」


 はにかみながら、そう答えた太一。家族の思いに佐代は喜び、しかしどこか不安そうに、生人に耳打ちした。


「幽霊が怖いかどうか、聞いていただけませんか?」


 佐代にとって最も大事な質問。自分が家族を怖がらせてしまったのかどうか。生人は彼女の逸る気持ちを察して、佐代の質問を代弁した。

 

「幽霊の存在に、怖さを感じましたか?」

「住人の皆さんは怖がっていたようですが、僕たちは怖くありませんでした。幽霊は妻の佐代だったかもしれないのですから。むしろ、僕も大空も佐代が来てくれたんだと、嬉しかったぐらいです」


 怖くはなかった。その言葉を聞いた瞬間、佐代は胸をなでおろし、目に浮かぶ涙をぬぐった。マンションの住人たちや長曾我部と違い、太一と大空は、佐代の存在に感づいていたのである。家族の愛情が、生者と死者を繋げたのだ。

 目の前で喜ぶ佐代の姿を、太一と大空は見ることはできない。気づくことすらできない。それがゆえに、太一は本音が言えた。


「佐代はきっと、大空と、まともに家事もできない僕を心配して、成仏できなかったのかもしれませんね。僕たちのことが心配で、幽霊として現れたのかもしれない」


 太一は佐代のことが見えていない。だが、太一は佐代に話しかけているかのように、話を続けた。


「もう一度佐代に会えたら、佐代にこう言いたいです。僕たちを心配してくれてありがとう。僕も大空も頑張って生きてる。だから安心して、成仏して良いよ、と」

「ボクもママがいなくて寂しいけど、頑張るよ!」


 家族からの温かい言葉。佐代は思わず、大空を抱きしめ、太一の手を握った。もちろん、太一と大空の2人は、それに気づくことはなかったのだが。

 生人と八槻、レミの3人は、渡瀬一家の愛情を前に、頬が緩む。あの八槻の頬が緩んだのだ。幽霊に対しほとんど笑顔を向けない八槻が、笑ったのだ。


 取材・・は終わり、太一と大空に見送られながら、生人たちは渡瀬一家の部屋を後にする。夜空には、ここ数日の悪天候が嘘のように、星が輝いていた。マンションのエントランスまでの道すがら、満面の笑みを浮かべたレミが口を開く。


「良かったね、佐代さん! 佐代さんの家族、とっても優しい」


 無邪気な天使の言葉に、佐代も優しい笑みを浮かべる。一方で生人は、佐代に質問した。


「佐代さんはこれから、どうするんですか?」

「私は、大空と太一の言葉を信じます。2人は2人だけで、頑張って生きていく。だから私も、幽霊らしく頑張ろうと思います」

「……やっぱり、家族にはもう近づかないんですか?」

「いいえ。たまに家族のもとに現れるのも、幽霊らしさですから」


 そう言って、佐代は白い歯をのぞかせた。マンションには近づかぬと決意した際の、悔しさと悲痛に溢れた表情など、佐代には微塵もない。太一と大空が、彼女を笑顔にしたのだ。


「あんたのおかげね」


 ふと、八槻がそう呟く。彼女はいつにも増して温和な表情だ。いつもの冷酷な表情は鳴りを潜め、彼女は生人の背中を眺めている。


「俺のおかげ? 何がだ?」

「ううん。別に」


 振り返った生人が投げかける質問に、八槻はそっぽを向いて答えなかった。


 幽霊と人間。交わることのない2つの存在を、家族の愛情は繫ぎとめた。家族を心配し、家族と会いたかった幽霊は、幽霊と人間という違いを受け入れ、幽霊として、前へと歩みだしたのである。

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