その4 醜い喧嘩は素人の喧嘩

 生人とシュウの泥仕合い。喧嘩をしている2人は必死であったが、見ている方は辛いだけだ。素人丸出しの殴り合いなど、醜いだけである。これならば、猫の喧嘩を見ている方が、可愛いだけ何倍もマシである。

 ヤンキー幽霊たちと命咲は、生人とシュウに野次の意味も込められた応援を口にした。


「シュウ、いつまでやってんだ! そんなヤツはさっさと潰しちまえ!」

「お兄ちゃん! 意外と頑張ってるよ! Don't think! Feeeel!」


 そんな言葉もむなしく、しばらく泥仕合いは続いた。この状況を一変させたのは、シュウの足技だ。自分で振り回した腕に体を持って行かれ、よろけた生人の腹めがけ、シュウのひざ蹴りが直撃したのである。

 腹に強い衝撃を受け、強烈な痛みに崩れ倒れこむ生人。まったくの無防備となった生人に対し、シュウはさらなる殴打を繰り返す。


 生人は殴られ、蹴られ、殴られ、意識も飛びそうになった頃、リュウが叫んだ。


「終わりだ! おい、俺たちの勝ちで良いな」

「……勝ちで良いですから……早く終わらせてください」


 喧嘩が終わるのなら、勝負の結果などどうでもよかった。生人はすぐさま負けを認め、シュウは勝利に喜びガッツポーズをする。タイマン1回戦は、ヤンキー幽霊の勝利だ。


「死ぬかと思った……」

「お兄ちゃん、お兄ちゃんはもう死んでるよ」

「うるせえ」


 労いの言葉がほとんどないことを、生人は不満に思うが、彼は敗者だ。あまり強い態度でそれを口にすることはできなかった。


「次は、命咲の番だね」

「あんだコラァァ! ケント様が相手だコラァァ! なめんじゃねえぞコラァァ!」

 

 タイマン2回戦。命咲の相手をするのは、ヤンキー幽霊たちの中で最も柄の悪い男、ケントであった。ケントは顔の中心に力を込め、命咲への睨みを利かせる。命咲は、相も変わらず飄々としていた。

 向き合った命咲とケント。普通の女子高生と、ヤンキー幽霊の喧嘩。生人は命咲への心配で、殴られた頬の痛みも忘れる。


「俺様のパンチを受けてみやがれえ! このあまぁぁぁぁ!」


 ほぼ奇声と化した叫びとともに、ケントは容赦なく命咲へ拳を振り上げる。自分の妹が殴られるところなど見たくはない。生人は思わず目を瞑ってしまった。

 命咲の顔めがけて、勢い良く振り下ろされる、風を纏った拳。ケントの必殺技だ。この拳が当たれば、女子高生の命咲はひとたまりもない。しかし、ケントの必殺技である拳は空を切るだけであった。ケントの拳がぶつかる直前、命咲は身を屈めたのである。


 自分の必殺技が当たらない。ケントは混乱し、それ以降は生人やシュウと同じく、ただ腕を振り回すだけ。命咲は全ての攻撃を、風に舞う木の葉のように避け続けた。

 焦りから、ケントの攻撃はさらに精細を欠き、隙も多くなった。その隙を、命咲は見逃さない。彼女は小柄な体型を利用し、ケントのすぐ目の前まで踏み込む。そして、ケントに1発のアッパーをお見舞いした。


 突然のアッパーに顎を突かれ、仰向けに倒れるケント。そんなケントめがけて、命咲はダイブをした。ダイブの瞬間、命咲のスカートがめくれ上がったことで、ヤンキー幽霊たちが色めき立つ。残念ながら、スカートの下は短パンであったのだが。

 ダイブした命咲の肘が着地したのは、ケントの腹だ。着地した瞬間、ケントは死にかけの鳥のような呻き声をあげ、動けなくなる。


「やった! あたしの勝ち」


 第2回戦は、命咲の勝利であった。ヤンキー幽霊たちは沈黙する、生人も、自分の妹にこんな能力あったのかと、開いた口が塞がらない。

 

「面倒だから、さっさと終わりにしてくる」

「ケントの仇は俺がとる!」


 最終戦、八槻とリュウの勝負。これで勝敗が決まる。八槻はいつも通りに面倒くさがっているが、ケントを倒されたリュウは本気の表情だ。ヤンキーの本気を前に、生人の心には、八槻への心配が生まれる。


「覚悟しやがれ!」


 腹の底から引き上げられたような低い声とともに、リュウの重い右フックが八槻に襲いかかる。番長の右フックだ。こんなものに襲われそうになれば、誰だって逃げ出す。ところが八槻は、仁王立ちしている。

 仁王立ちをする八槻は、リュウの右フックを左腕で遮り、静止させた。女性の左腕一本で、自らの右フックを止められてしまったリュウ。彼は一瞬だけ戸惑い、その一瞬に、八槻の強烈なパンチがリュウの顔を痛めつけた。生人の心配は杞憂だったのだ。


 まさかの事態にリュウは唖然としながら、再び態勢を整え、今度は左フックを八槻に仕掛ける。だがこの左フックは、八槻の右腕に止められた。すかさず右フックを仕掛けるリュウだが、これも八槻の左腕に止められ、八槻の右手が再度、リュウを殴打する。

 同じ場所を立て続けに殴られ、よろけたリュウ。そんな彼に、八槻は後ろ回し蹴りを叩き込んだ。リュウはたまらず倒れこみ、これが勝負の行方を決定づける。


 倒れこんだリュウに馬乗りになった八槻は、無表情のまま、容赦なく同じ場所を、何度も何度も殴り続けた。リュウの左頬は真っ赤に腫れ上がっていく。幽霊なのに、真っ赤に腫れ上がっていく。


「や、やめてくれ! それ以上、リュウ先輩を痛めつけないでくれ!」


 ヤンキー幽霊たちは、無慈悲な八槻に青い顔をして懇願する。さすがの八槻も鬼ではない。彼女はリュウへの殴打を止め、勝利を宣言した。


「勝負は私たちの勝ち」

「やりましたね、八槻さん! お兄ちゃんよりも頼りになります」


 勝利を満面の笑みで喜ぶ命咲の言葉に、生人は反論できない。今回の勝負、生人に良いところは全くなかった。だがそれ以上に、八槻と命咲が強すぎた。


「お前ら……化け物かよ……」


 つい本音を呟いてしまった生人。それに八槻と命咲は、いたずらっぽい笑みを浮かべるだけであった。

 ヤンキー幽霊たちとの喧嘩に、幽霊相談所は勝利した。ここからようやく、幽霊たちへの指導が始まる。だが指導が始まる前、生人たちの次の会話が、ヤンキー幽霊たち、特にリュウの態度を大きく変えさせた。


「なんかヤンキーさんたち、想像してたより弱かった気がするなぁ」

「そうね。もう少し苦労する相手だと思ってた」

「いやいや、お前たちが強すぎるだけだと思うね、俺は」

「お兄ちゃんは弱すぎたから分からないんだよ。ヤンキーさんたち、実はあんまり喧嘩が強くないんじゃない?」


 命咲の素直な感想と、それに同意する八槻。彼女らがここまで言うのならと、生人もヤンキー幽霊たちが弱かった可能性を受け入れ始める。

 この会話は、当然だがリュウにも聞こえていた。心配そうな顔をする仲間に囲まれた彼は、地面に倒れたまま、夕焼けに染まった空を見上げている。空を見上げながら、悔しそうに口を開いた。


「俺たちは、弱くて当たり前だ。ここにいるヤツは全員、生きてた頃はパシリだったヤツしかいねえからな」


 静かで落ち着いた、ヤンキーとは思えぬリュウの口調。それこそが、生前の彼の姿なのだ。彼らの過去は、ヤンキーはヤンキーでも、他人の言いなりにしかなれなかったものである。


「先輩たちに金を取られたり、焼きを入れられたりしたのは、毎日のことだった。親や教師も、ヤンキーの俺なんか救いはしねえ。俺はどうすることもできず、ただ先輩への恐怖に従い、最期はバイクで事故って死んだんだ」


 ヤンキー幽霊の番長として君臨していた男の、悲しい過去。彼を囲むケントやシュウなど、ヤンキー幽霊たちは涙を浮かべ、リュウと同じく悔しがった。彼らも、リュウと似たような人生を歩んだ者たちなのだ。

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