その3 怖い幽霊

 生人と八槻の2人は、てっきり幽霊は体育館の中に集まっており、自分たちも体育館に足を踏み入れるものだと思っていた。ところが、命咲は2人を体育館裏に案内する。

 体育館裏、という時点で生人と八槻は嫌な予感がしていた。そしてその予感は、見事に当たった。


「あの人たちが、例の怖い幽霊」


 そう言って命咲が指差した先。そこには、改造された学生服に身を包んだ、坊主の男や耳にいくつものピアスをつけた男など、数人の男たちが、タバコをふかしながらヤンキー座りをしている。


「リュウ先輩! 焼きそばパン買ってきました!」

「……おいテメェ、これマヨネーズ入ってんじゃねえか! テメェ、リュウ先輩がマヨネーズ嫌いなの知ってんだろコラァ!」

「す、すみませんでした!」

「ふざけんじゃねえぞコラァ! リュウ先輩にマヨネーズ食わせる気かコラァ!」

「おい、そのくらいで十分だ」

「あ! リュウ先輩、お疲れっす!」


 いかにもな会話。それに加えて、龍の絵が描かれた真っ赤なシャツを着る男が現れた途端、彼らは一斉にお辞儀をする。間違いない。彼らは明らかにヤンキーだ。


「怖いって、そっちの怖いかよ!?」


 今まで生人が想像していたのは、生気の感じられない青白い顔色に、和服を着た、冷たい霊の集団。決して、元気そうな厳つい顔をした、改造学生服に身を包む、熱い霊の集団ではない。


「あぁん? おいテメェら、何見てんだよ、あぁあん!?」

「うわ、バレたよ。こっち来ちゃったよ。メンチ切られてるよ」


 生人の背筋に冷や汗が伝う。相手は古典的なヤンキーだ。古典的な怖さを纏っている。幽霊らしい怖さはなく、ただただヤンキーへの恐怖だけが、生人の心を支配した。

 一方で、八槻と命咲は平然としている。八槻は恐れる様子もなく面倒くさそうに、命咲は表情を変えることなく、飄々としているのだ。

 連続した舌打ちと睨みで威嚇をしながら、徐々に3人へと近づいてくるヤンキー幽霊たち。だが八槻は彼らに構うことなく、リュウと呼ばれていた番長と思わしき幽霊に話しかけた。


「あなたたちの存在が、この近辺で恐怖の対象になっているとの通報がありました。そこで私たちは、幽霊管理部の代行者として、あなたたちを指導します」

「あんだとコラァァ! なめてんのかコラァァ!」


 なんの細工も施さず、ここに来た理由をそのまま述べた八槻。案の定、ヤンキー幽霊たちは激昂し、生人たちに掴みかかる勢いだ。八槻と命咲はそれでも平然としていたが、生人は震える足でその場に立つのがやっとである。


「俺たちを指導できるかどうか、見極めてやる」


 最初から喧嘩腰のヤンキー幽霊たちとは違い、冷静な口調。それは、リュウの言葉だった。彼は不敵な笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「まずは、俺たちと喧嘩で勝負しろ。勝てたら、話は聞いてやる」


 冷静な口調ではあったが、内容はとても冷静ではない。喧嘩をしろと言っているのだから、喧嘩腰のヤンキー幽霊たちよりもタチが悪い。

 当然、そんなことは受け入れられないと思う生人。だが、どうやら八槻は違った。


「分かった。その喧嘩、受けて立つ」


 何を思ったのか、八槻はリュウの提案を受け入れてしまったのだ。

 とある高校に集まる幽霊たちが、近所を恐怖させているため、幽霊たちを指導する。これが本来の仕事内容だ。だが八槻によって、生人たちはヤンキー幽霊たちと喧嘩をすることになってしまったのである。


「上等じゃねえか。じゃ、勝負は呪術道具なしのタイマンだ。その男が喧嘩すんだろ?」

「いいえ。喧嘩をするのは――」


 ここで、八槻の話は遮られた。遮ったのは、命咲である。

 まさか命咲は、喧嘩を受け入れてしまった八槻を止めようと、口を開いたのか。生人はそう願う。だがその願いも、はかなく散ることとなった。


「勝負はあたしたち3人と、そっちの3人でのタイマン3回戦。で、2勝したほうが勝ちっての、どうかな?」

「悪くないけど……命咲ちゃん、喧嘩なんてできるの?」

「できます。少なくとも、お兄ちゃんよりは強いです」

「じゃあ、それで決まり」


 命咲と八槻が何を言っているのか、生人には分からない。リュウもまた、命咲の提案に難色を示す。


「女とタイマン張れってか? そりゃ断る」

「あっそ。私たちに負けるのがよっぽど怖いんだ」

「……チッ、言いやがる。分かった、テメェの言う通りにしてやる」


 八槻の簡単な挑発によって、命咲の提案をあっさりと受け入れたリュウ。喧嘩のルールは、トントン拍子で決まっていった。

 そもそも喧嘩などしたくはない生人は、ここにきてようやく、八槻に抗議する。


「おい、何考えてんだよ! なんでヤンキーと喧嘩なんかしないといけないんだよ!」


 心の本音をそのままぶつけた生人。それに対し八槻は、ヤンキーに聞こえぬよう、小声で答えた。


「黒部さんが言ってたの。ああいう輩は、自分のルールが絶対だって。だから、彼らのルールに乗っかって、彼らのルールで彼らを打ち負かす。そうすれば、ああいう輩は大人しくこっちに従ってくれる」

「そんな、無茶な……」

「あんたは喧嘩に勝てないと思うけど、私は勝つ自信ある」

「お前はな。だけど――」


 幾度か八槻の暴力を見てきただけあって、生人は八槻の心配をしていない。彼女なら喧嘩に勝つ可能性は高いとも思っている。だが生人の心配はそこではないのだ。最も心配なのは、命咲である。


「メイは? お前、喧嘩なんかしたことないだろう」

「命咲、実はとあるおじいさん幽霊から戦いの修行を受けてるんだよ。だから大丈夫」

「全然安心できないんだが」


 とあるおじいさん幽霊から戦い方を学んだと言われても、生人が命咲を心配することに変わりはない。16歳の少女が、ヤンキーと喧嘩など、誰だって心配する。本来は八槻だって心配されるような立場だ。ヤンキーとの喧嘩を、甘く見ることはできない。


「じゃ、最初はあんたね。いってらっしゃい」


 命咲を心配していた生人だが、状況が変わった。ヤンキー幽霊との喧嘩1回戦、生人は八槻に背中を押され、1番手としてタイマンを張ることになってしまったのだ。まずは自分の心配をしなければならない。

 ヤンキー幽霊たちが一斉に、生人を睨みつける。おかげで生人の背筋は凍りつき、表情からも血の気が引いた。幽霊なのに、血の気が引いた。


「あいつ、弱そうだな。おいシュウ、お前が行け」

「分かりました!」


 生人の前に出てきたのは、さきほど間違ってマヨネーズ入りの焼きそばパンを買ってきて怒られていた、あのパシリ幽霊だ。彼が相手なら、なんとかなるかもしれないと思う生人。

 ヤンキー幽霊たちはシュウを応援し、騒ぎ出した。勝負は始まってしまったのだ。こうなると、生人は喧嘩をやるしかない。


「うおおお!」


 雄叫びをあげ、拳を振り上げながら、シュウに殴りかかる生人。シュウもまた生人に向かって突撃した。3歩、4歩と踏み出したところで、生人とシュウの顔を、お互いの拳が殴りつける。

 痛みに顔を歪めながら、それでも隙は見せまいと、生人は腕を振り回した。ともかく腕を振り回し、一発でもパンチがヒットすれば良い、という戦い方だ。だが、これは素人丸出しの戦い方。シュウも全く同じ攻撃を仕掛けていた。

 ただ単に腕を振り回し、無意味なパンチで空気を切るだけの2人。ごく稀にパンチが相手を痛めつけることもあったが、2人の喧嘩は、早くも完全な泥仕合いと化していた。


 なお、これは幽霊同士の喧嘩である。普通の生きた人間には見えない喧嘩だ。

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