Case6 高校の幽霊

その1 伊吹の依頼

 相談所を貧困が襲っている。主な理由は、相談所の隅に置かれたトレーニングマシンだ。体のあらゆる筋肉を鍛えられるという、20万円のマシン。レミが通販で衝動買いしたものである。

 一番の問題は値段だが、次に大きな問題は、幽霊にとって筋肉を鍛える必要性が皆無ということだ。一応、幽霊も鍛えれば体つきは立派になる。だがそれだけ。このトレーニングマシンを効果的に使えるのは、八槻しかいない。そして、八槻は使わない。


 幽霊は貧困に強い。ゆえに、生人や野川、日向、黒部、天使のレミは、生活に支障はない。だが生きた人間である八槻にとっては、ただ事ではない。

 

「プリン……プリン……」


 デスクに突っ伏し、遠い目をしてプリンと連呼しているのが、今の八槻だ。6時間に1度のプリンタイムを逃すと、彼女はこうなる。貧困によってプリンを買い渋り、プリンのストックが切れたため、八槻はプリン禁断症状に陥ったのだ。


「頑張って! レミちゃんが大急ぎでプリン作ってるから!」

「姉御の言う通りっす! あのレミ様が作るプリンっすよ! 絶対うまいっすよ!」

「プリン……? レミ……? レミが貧困を……プリンが食べられない……あああ!」

「八槻ちゃん!? 落ち着いて!」


 必死に看病する野川と日向だが、八槻の発狂は抑えられない。黒部がワオンの散歩ついでにプリンを買いに行っているのだが、それも到底間に合いそうにない。

 プリンのレシピが揃っていたのは、奇跡であった。現在急ピッチで、レミがプリンを作っている。


「やっつー! プリンできた! レミちゃん特製プリンだよ!」

「プリン!!!」


 完成したプリンを誇らしげに持ってきたレミだが、八槻の目は猟犬のそれと化していた。八槻はプリンを目にした瞬間、レミに飛びかかり、プリンを手に取り、口に流し込む。普段からは想像もできない八槻の姿に、生人とレミはあんぐりとするしかない。

 レミ特製プリンは、劇的とも、残酷とも形容できるまでに、ものの一瞬で食い尽くされた。おかげで、八槻の目に光が戻る。


「うう……これであと数十分は耐えられると思う」


 目に光は戻ったが、禁断症状に陥っていた時間が長すぎたようだ。おそらく高級プリン並みの味であったレミ特製プリンですら、八槻の正気を短時間しか保つことはできない。

 足取りのおぼつかない八槻を支え、彼女をデスクに座らせた生人。その際、窓の外に見た事のあるセダン車がとまっているのに気づいてしまった。


「よりによってこんな時に……。伊吹さんだ」

「はぁ……。分かった、行ってくる」

「八槻ちゃん、無理しないで」

「そうっすよ姫様。今の姫様は、通常の状態じゃないんっすから」

「代わりにレミが行ってくるよ」

「レミはここにいろ」


 誰もが八槻を止めた。ついでにレミも止めた。だが、八槻は聞く耳を持たない。


「私が行く。面倒だけど、伊吹部長、幽霊相手じゃ本音を言わないから」


 そう言い切り、止める野川たちを押し切ってまで、八槻は1階のカフェに向かった。とはいえ、足取りもおぼつかない彼女だ。伊吹には顔を出したほうがいいというのもあって、生人が八槻の介護につく。

 

 1階のカフェに到着した生人と、彼に支えられた八槻。相変わらず客のいないカフェには、コーヒーを煎れる三枝須と、客席でくつろぐ伊吹の2人しかいない。

 

「どうも、八槻所長」

「こんばんは……」

「あれ? 元気ないね。もしかしてプリン禁断症状?」


 伊吹も八槻の厄介な病気・・を知っているのかと驚く生人。八槻は伊吹の言葉に「はい」とだけ答えて、首を縦にふった。伊吹は小さく笑って、口を開く。

  

「お大事に。元町君も大変だっただろうね。八槻所長のプリン禁断症状は、重症だから」

「ええ、かなり重症ですね。わがまま言い出した俺の妹より大変でした」


 生人の言葉を聞いて、八槻が生人を睨んだ。八槻のプリン禁断症状が重症なのは事実なのだから、生人は睨まれたところで困ってしまう。結局彼は、八槻の睨みを知らん振りするしかない。

 知らん振りされた八槻は、何事もなかったかのように話し出す。


「で、今日は何の用? できれば、説明は短く」

「じゃあ簡単に。東京都内の某高校に幽霊が集まってるそうでね。わりと怖い幽霊らしくて、指導してくれって連絡があったんだ。ただ、ご存知の通りウチは人材不足。そこで、白河幽霊相談所に依頼ってわけさ」

「高校に集まった幽霊を、私たちが指導しろってこと? いつ?」

「幽霊は放課後に現れるらしいから、明日の夕方だね」


 やや考える八槻。今回は生人も考えてしまう。夕方の仕事というのは、生きた人間で言うところの早朝、詳しく言うと、午前5時前後の仕事だ。生人も辛い。昼夜逆転状態の日向なら問題ないが、残念ながら彼女は仕事で手一杯。

 だが、伊吹は交渉が得意であった。彼は怪しい微笑みを浮かべて、答えに渋る八槻に対し、小声で呟く。


「報酬にプリンもつけよう」

「依頼は引き受ける。某高校の情報は?」


 変わり身の早い八槻に、生人はもはやついていけない。ついていけないうちに、話だけは進んでいった。伊吹は高校の情報を八槻に渡して帰ってしまい、八槻は出発の準備を始めてしまったのだ。

 

 2階に戻ると、黒部とワオンが散歩から帰っていた。デスクの上にはプリンが置かれている。八槻はプリンを食べ、体調を回復させ、この日は普段通りの仕事で終わった。


    *


 翌日午後4時ごろ、レミたちはまだ眠っており、日向は昼の仕事へ、相談所にいるのは生人と八槻のみ。大きなあくびをする2人は、すぐさま某高校へと出発した。生人にとっては久々の昼間の外出。真上からの日差しに照らされるのは、葬式の日以来だ。

 ただし、真昼間だというのに、幽霊の生活に慣れた生人は寝ぼけている。寝ぼけていたがゆえに、某高校の名前すらも聞きそびれていた。


 高校までの道のりは、バスと電車での移動である。相談所のワゴン車は、仕事で黒部が使うためだ。

 幽霊が交通機関を利用する際、交通費を払う必要があるのか否か。これについては、幽霊管理部がきちんと指定している。日本においては、幽霊は荷物扱い。幽霊のみで交通機関に乗ったり、指定席があったりした場合に限って料金を払うのが決まり。

 今回の生人は、八槻とともに指定席なしの普通列車と路線バスに乗るため、料金を払う必要はない。そのため可視化はせず、八槻の荷物扱いで電車に乗った。

 

 可視化していない場合、生人が何を話しても、人前での八槻は彼を無視する。当然だ。一般人からすれば、幽霊である生人の姿は見えない。可視化していない生人と八槻が会話をすれば、八槻は誰もいない空間に話しかけるヤバイ奴になってしまう。

 高校到着まで、お互いに一切の会話をしない2人。生人も意識して、喋らないようにしていた。ところが高校に到着し、校門前に立った途端、生人は真っ青な顔をして、八槻に話しかける。


「すまん、俺帰る」

「は? いきなりどうしたの?」

「ここ、国鷹高校だろ。メイが――俺の妹が通ってる学校だ」

 

 まったく予想していなかった事態に、生人は驚きと困惑を隠せず、声を震わせた。葬式でまったく泣かなかった姿を最後に、命咲とは顔を合わせていない。生人は死んだのだ。ひょっこり妹の前に現れるわけにはいかない。


「あいつ、バドミントン部だよな。じゃあ……体育館に行かなきゃ大丈夫かもしれない。もう家に帰ってれば良いけど……」


 なるべく命咲とは接触したくない。そんな気持ちが、生人に独り言を喋らせた。これからどうするべきなのか。生人は不安に包まれていく。

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