その4 好きと憎いは紙二重ぐらい

 白河幽霊相談所から『ホテル・プルート』の幽霊を確保したという知らせを受けて、2日が経った。木村はこの日も、『ホテル・プルート』内を跋扈する。彼は幽霊だ。木村の姿に気づく者は、誰一人として存在しない。

 

 出張中のビジネスマンが客のほとんどを占める中、1人の若い男が『ホテル・プルート』にやってきた。まるで浮浪者のような格好をした男である。

 木村はその男に目を留めた。今時の若い男なら、ネットで悪口の1つや2つを書くのは当たり前だろう。そう思い、木村はフロントからエレベーターへ、エレベーターから廊下へ、廊下から男の泊まる部屋の前へ、男の後を追った。


 なぜ、木村が男の後を追ったのか。浮浪者のような男がホテルに難癖をつけ、ネットに悪口を書くのを防ぐためか。浮浪者のような男が、ホテルを汚さぬよう監視するためか。どれも木村が男を追った理由ではない。

 理由は単純明白だ。木村は、男を脅かすために、彼の後を追ったのである。


 透過能力を持つ幽霊に、鍵は意味をなさない。扉をすり抜け部屋に入った木村は、ベッドに横になり目を瞑る浮浪者のような男に気付かれぬよう、ベッドの下に潜り込む。あとは、奇声とともにベッド下から這い出るだけだ。


「アアアアアア」

「なんだ? うわあ! うわあああ!!」


 誰もいないはずのベッド下から声が聞こえ、人が這い出てくるという状況に、浮浪者のような男は悲鳴をあげて、部屋の隅に逃げ出した。木村は容赦せず、男を追い詰める。

 人を脅かし、部屋の隅に追い詰め、悲鳴を聞く。それだけでも木村の心は満たされていった。だからこそ、彼は見落とした。脅かしている相手もまた幽霊であり、自分も追い詰められていることに。


「捜査課です。木村さん、現行犯逮捕します」


 木村の背後から聞こえてくる、小さな声で呟くようなそのセリフ。振り返ると、そこにはスーツを着た青い髪の少女と、つい2日前に見た顔が揃っていた。


「依頼完了のお知らせに来ました」

「白河幽霊相談所!?」

「やっぱり、木村さんが犯人だったのか」


 生人と八槻が、青い髪の少女とともに立っている。木村は混乱した。何が起きているのか分からない。白河幽霊相談所は、幽霊を捕まえ仕事を終えたのではなかったのか。そんな木村を横目に、生人は浮浪者のような男に話しかける。


「野川さん、驚きすぎですよ」

「し、仕方ねえだろ! 生人も俺の身になってみろ! すげえ怖いからな!」


 これは白河幽霊相談所の罠であったのだ。浮浪者のような男は野川であり、木村は見事に釣られたのだ。

 続けて八槻が、ある1人の幽霊を呼び出した。


「大塚さん。大塚さんを襲ったの、この人で間違いない?」

「そうです! この人です!」

「決まり」


 大塚の顔を見た瞬間、木村の表情が変わった。八槻はそれを見逃さず、木村に問い詰める。


「私たちも、木村さんに騙されるところでした。あなたは自分の罪を、大塚さんに被せようとしましたね」

「いやいや、何を言って――」


 なおもとぼけようとする木村だったが、彼は凍りついた。青い髪の少女に、拳銃を突きつけられてしまったのだ。


「本当のこと、言って」


 今にも掠れてしまいそうな、青い髪の少女の小さな声。しかし彼女は、木村の眉間に銃口を突きつけ、指を引き金にかけている。見た目や口調と対照的な行動に、生人ですら固まってしまった。

 もうどうしようもないと諦めたのだろう。木村は一転して、ニヤリと笑い、曲がった口で白状した。


「そうだ。その通りだ」


 悪びれた様子もなく、はっきりとそう言い放った木村。八槻の冷酷な表情は、ますます冷たくなっていく。


「なぜです? 木村さんはこのホテルに恩があったのでは? なぜ人を脅かし、ホテルの評判を下げるような真似を?」

「このホテルは、僕を裏切ったんだ! 僕は一生懸命に働いていた。この職場が好きだった。ホテルはいつだって僕の味方だった。なのに、僕が死んでもこのホテルはいつもと変わらなかった! それが許せなかった!」

「…………」

「僕は交通事故で死んで、幽霊になった。なのに、僕が死んでもホテルの経営は続いた。僕のことなんか忘れたようにな。それが悔しくて、だからホテルの売り上げを落としてやったんだよ!」

「はぁ……どうしようもない幽霊ね……」


 あまりに自分勝手な理由を口にした木村に、八槻は大きなため息をついた。生人も失望感に包まれ、木村を睨みつける。

 木村はたしかに、『ホテル・プルート』のことが好きだった。だからと言って、ホテルは木村のためにあるのではない。それが分からぬ木村は、自分の死後も平然と経営を続けるホテルを憎んだ。ただ一方的に憎んだ。その木村の幼稚さに、生人は怒りを覚える。


「千代里さん、あとはお願い」

「はい」


 青い髪の少女――千代里未由ちよさとみゆう捜査課長は、魂が抜けたような木村を連行した。千代里と木村が部屋を出ようとしたのと同時に、八槻は思い出したかのように言う。


「あ、言い忘れてました。木村さん、相談所の利用料は35万円です」


 事務的かつ冷酷、時と場所を考えぬ八槻の言葉に、木村は力なく頷き、千代里に連行されていった。生人と野川は苦笑する。


「金だけはきっちり取るんだな。しかも35万円って……」

「仕事はしたんだから当然でしょ」

「姫様らしいっすね」


 『ホテル・プルート』で人々を襲う幽霊は、逮捕された。しかし、まだ304号室に出る幽霊の問題は、片付いていない。生人は振り返り、大塚に向かって口を開いた。


「ところで、大塚さんはこれからどうするんです?」

「私は……ホテルを離れます。木村さんを見て、それ以上に、生人さんと日向さんのおかげで、私がどんなに惨めなことをしていたか、分かりましたから。過去にいつまでも縛られてはいられません」


 いつもは大人しく、喋るのも苦手であった大塚の、力強く前向きな言葉。彼女は未練を断ち切り、幽霊としての新たな一歩を歩み出すと宣言したのだ。

 力強い宣言を終えると、大塚は再び大人しくなり、俯き気味となった。俯いてはいるものの、彼女の口は何かを言いたげである。生人は大塚の言葉を待った。一方で八槻は、無遠慮に大塚に聞いた。


「何か言いたいことでも?」

「いや……その……あの……伊勢さんはどこに?」

「日向さんは家で寝てる」

「そう……ですか……。じゃあ、お礼だけでも、伝えておいてください」


 八槻の答えの通り、日向は家で寝ている。昼夜逆転のため、彼女は夜になり眠ってしまったのだ。

 この場に日向がいないことに、ちょっぴり残念そうな顔をした大塚。それでも生人と八槻、ついでに野川に対し、彼女は彼女なりの最大限の笑みを向けた。


「ありがとうございました」


 短く簡潔で、十分な感謝の気持ちが伝わる言葉。


「どう……いたしまして……」


 どうも八槻には、大塚の感謝の言葉に対する答えが見つからなかったようだ。彼女は普段の大塚以上に歯切れ悪く、きょとんとした様子である。それを見た野川が、ちょっとした冗談を口にした。


「まさか姫様、大塚ちゃんからまで金を取るつもりじゃねいっすよね」

「そんなわけないでしょ」


 なぜだろうか。さっきまで歯切れの悪かった八槻が、野川に反論する際ははっきりとした口調になっている。生人はその光景に、つい小さく笑ってしまった。


 ホテルに出るという幽霊の確保。その依頼は、依頼主の逮捕というかたちで幕を閉じた。しかし、悪い仕事ではなかった。35万円も儲かり、304号室にて過去に囚われていた大塚が、未来に一歩踏み出すという副産物までも得られたのだから。


 なお、レミが帰って数日で35万円が消えたのは、また別の話。

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