その3 あの部屋、出るんですって
日向の過去を聞いているうちに、生人と日向は『ホテル・プルート』のロビーへと到着した。午前0時を過ぎてのチェックインである。フロントに立つ女性は、少し疲れた様子であった。
ネットでも、幽霊スポットとして有名なホテル。だが、304号室を指定し、カップルとしてチェックインする生人と日向に、フロントからはなんらの注意もない。なるべく幽霊スポットであることを隠したいのだろうか。
カードキーを受け取り、304号室のある3階に向かった生人と日向。2人は一応、カップルという設定だ。3階の廊下で、1人の男とすれ違う際、日向はあざとく生人の腕を抱き、体を寄せる。
「今日は楽しかったね。これから、もっと楽しい時間になると良いんだけど」
ともかく、ただただあざといだけのセリフ。それでも、こうした経験のない生人は、胸が高鳴った。しかも日向は、生前再現まで行っている。ゆえに、日向の体の温かみが、生人に伝わってくるのだ。
一見するとお熱い2人。しかし2人は幽霊だ。幽霊なのに、お熱い。
「お2人さん、このホテルの噂は知ってるか?」
1人の男とすれ違う際、その男が2人にそう話しかけてきた。男からは、ほのかな酒臭さが漂う。
「このホテル、幽霊が出るんだよ。どこの部屋でも、どんな奴でも、襲われるらしい。お2人さんのお楽しみが邪魔されないと良いな」
それだけ言って、大笑いしながら去っていく男。
一方で、生人と日向は思った。木村の説明では、304号室に泊まったカップルが襲われやすいとの話だ。どこの部屋でも、無差別に襲われるとなると、話が違う。
「どういうことですかね?」
「さぁ。ともかく、今は言われた通りにしましょ」
2人にできるのは、それだけだった。木村の依頼は、『今日のうち』。詳しく調査をしている時間などない。
304号室に到着し、部屋に入った2人。304号室は、2つのベットに部屋の半分を埋められた、これといった特徴のない部屋だ。
到着早々に、生人はベットに横になる。日向は部屋の奥に視線を向け、少し笑って、すぐさま生人の隣に寝そべった。
「さて、お楽しみの時間よ」
「はい? ちょっと待ってください! ちょっと!?」
生人に抱きつき、顔を近づける日向。彼女の服が少しだけはだけているのを見て、生人は焦る。このままだと、男運の悪い女に呑み込まれてしまう。
男運の悪い女に好かれたダメ男にはなりたくない。自分は年下好きだ。様々と自分に言い聞かせ、なんとか日向の
「リア充呪われろぉ!」
青白い顔をした女が、鬼のような形相をして、あらゆる恨みのこもった恐ろしいセリフを吐き出しながら、生人と日向に襲いかかる。間違いなく、彼女が木村の言っていた幽霊だろう。
「お2人、そこは危ない!」
突然に突然が重なった。部屋の扉が勢いよく開けられ、5人の人影が部屋に乱入してくる。彼らが誰なのか。これも生人は間違いなく理解した。霊能者の龍造寺だ。
「この部屋には強い恨みを持った悪霊がいる。だが安心せい。わしがすぐに除霊する。悪霊よ! その怒りと憎しみを鎮めたまえ! 悪霊退散! 悪霊退散! フン! ハァァァァァア!」
そもそも生人と日向が幽霊であるのも知らず、除霊を開始した龍造寺。大げさな呪文とともに大げさに御幣を振り回す彼だが、その先は誰もいない窓際。3人の幽霊に変わったことは起きない。龍造寺の除霊は、3人の幽霊を呆然とさせているだけである。
「うむ、これで除霊は終わりだ」
「さすがは龍造寺さんです! これで次の特番も成功ですよ!」
「皆が幸せになれれば、わしはそれで良い」
龍造寺とテレビクルーの5人は、満足げな表情で部屋を後にする。嵐は去った。304号室には、生人と日向、そして2人を襲おうとした幽霊が、ただ呆然とするだけ。
この隙に、生人が御札を幽霊に貼ると、幽霊は呻き声を上げて倒れ込む。あっさりと、カップルを襲うという幽霊の捕獲に成功した。
*
何が起きたのかいまいち分からぬまま、幽霊の捕獲に成功した生人と日向。2人は八槻のもとに幽霊を連れて行った。
「おかえり。早かったね」
ワオンを抱いたまま、まるで他人事のようにそう言い放った八槻に、日向が事の詳細を説明した。
「部屋に入った途端、この娘の嫉妬の視線を感じたのよ。で、ちょっと生人ちゃんとイチャイチャしたら、簡単に釣られて襲ってきたわ。私、嫉妬の眼は、よく知ってるのよ」
特に誇る様子もない、眠たげな日向の簡単な説明に、生人は少しだけ安心した。304号室での日向の言動が、本気ではないという安心感である。
「そういう事だったんですか。いきなり抱きつかれて、びっくりしましたよ」
「私のタイプは、放っとけない子だからね。それに、生人ちゃんはロリコンでしょ?」
「年下好きです! ロリコンじゃないです!」
もはや、日向の中で生人はロリコンのようだ。これは生人がどれだけ否定しようと、変わらない。
他方、八槻は生人と日向の会話に怪訝な顔つきをする。
「イチャイチャ!? 抱きついた!? あ、あんたたち、何してたの!?」
「八槻、変な勘違いすんなよ」
「生人ちゃんの言う通り。八槻ちゃんが気にするような事はしてないわ」
「そ、そう……」
明らかに動揺した風の八槻。生人と日向の弁明を聞いて、少しは落ち着いたものの、怪訝な顔つきはそのまま。彼女はあからさまに話を変え、304号室の幽霊に話しかけた。話を変えるというよりは、閑話休題、といったところか。
「それより、あなたの名前は?」
「わ、私は……大塚……」
大塚と名乗った幽霊は、大人しい性格だ。悪く言えば、暗い。言葉の歯切れも悪い。生人と日向を襲った際の、鬼のような形相と叫び声が、嘘のようである。
「単刀直入に聞くけど、なぜ大塚さんは、304号室で人を襲い続けたんですか?」
「お、襲い続けた? ど、どういうことですか……?」
「『ホテル・プルート』の304号室で、カップルを中心に人を襲い続けていると聞いてます。なぜ、そんなことを?」
「な、なんの話か……分からない……。私は……幽霊になってから3日しか経ってないんです。人を襲ったのも……これが初めてで……」
「え?」
思いがけない返答に、生人も八槻も日向も、一斉に首を傾げた。大塚は言い逃れをしようとしているのか。それにしては、大塚の表情は怯えており、現状を理解できていないようにも見える。
3人は大塚が口を開くのを待った。だが彼女は、口をもごもごとするだけ。堪り兼ねた日向が、大塚の性格を考え、優しく話を促す。
「説明したければ、して良いわよ。私たちはちゃんと聞いてあげるから」
「……ごめんなさい!」
いきなりの謝罪から、大塚の説明は始まった。彼女は歯切れの悪さを意に介さず、一生懸命に言葉を引っ張り出す。
「私……あのホテルの304号室が、思い出の場所なんです。生まれてからずっと、男性と話をすることもできなかった私と、付き合ってくれた彼との、思い出の場所。生きてる時の、最後の思い出です」
「最後? 何かあったの?」
「あの部屋で……幽霊に襲われたんです……。幽霊に襲われて、彼が逃げちゃって、私は彼に置いてかれて……それで……」
「それで?」
「彼を追いかけたら、事故にあって、私はそのまま幽霊に……。だから、幸せそうなカップルを見て、つい嫉妬しちゃって……」
「……あなたも、大変だったのね。よしよし」
今にも泣きそうな顔をする大塚を見て、日向は思わず、優しい顔つきで彼女の頭を撫でていた。人を放っておけない日向の性格が、そうさせたのである。対照的に、生人と八槻は表情を強張らせ、お互いに顔を見合わせていた。
「なあ、木村さんの言ってたことと、違い過ぎないか?」
「そうね。何より、大塚さんを襲った幽霊、ってのが気になる」
気になったことはすぐに聞くのが八槻だ。彼女はさっそく、大塚に質問する。
「大塚さんを襲った幽霊に、特徴はありませんでしたか?」
「特徴……たしか、首元に大きな傷があったような……」
大塚の答えによって、八槻は事件の真相を、おぼろげながら見抜いた。相談所の仕事は、まだ終わってなどいない。
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