Case5 ホテルの幽霊

その1 もう1人の所員

 だらける生人、プリンを食べる八槻、バラエティ番組に笑う野川、無言で本を読む黒部。レミは天界に出張のため、数日は相談所にいない。

 生人たちはある人を待っていた。今日はもう1人の所員が、長い休暇から帰ってくるというのだ。


「ただいま。みんな、寂しかったでしょ?」

「寂しかったっす!」


 玄関の扉が開き、慣れた手つきで相談所に入ってきたのは、1匹の犬を抱いた女性だった。黒髪のロングヘアーが美しい、少々露出の多い格好をした女性。彼女は早速、目を輝かせる野川を無視して、生人に近づき話しかけた。


「あなたが新人ちゃんね。私は伊勢日向いせひなた

「元町生人です。生きる人と書いて生人です。はじめまして」

「こちらこそ、はじめまして。死んでるのに生きる人なんて、不思議な名前ね。話は八槻ちゃんから聞いてるわよ」


 まさしく美女である日向に、すぐ目の前まで迫られて自己紹介をされる。それだけでも、生人は頬が赤くなってしまう。生人のうぶな反応に、日向は可笑しそうに笑う。

 

 日向の連れていた犬は、尻尾を振りながら黒部のもとに駆け寄った。黒部も犬をワオンと呼んで可愛がる。


「日向さん、あの犬は?」

「八槻ちゃんが生まれた時から相談所にいる、柴犬のワオンよ。ここ数週間は、私の相棒として旅行に付き合ってくれたわ」


 初めて知る情報。相談所が犬を飼っていたことなど、生人は知らなかった。なぜ教えてくれなかったのかと、生人は思う。思うのだが、ワオンの可愛さに免じて許す。

 生人と日向の会話が終わると、今度は八槻が日向に話しかけた。


「1日早く帰ってきたってことは、なんかあったの? また悪い男に騙された?」

「ちょっと、せっかく忘れてたのに……。ああ、もう! なんであんな男に――」

「元気そうで何より」

 

 あからさまに落ち込む日向に、八槻はこれといった反応を示さない。いつものことだと言わんばかりだ。

 悪い男にまた・・騙されたとはどういうことか。気になる生人だが、日向に直接聞く気にはなれない。ともかく、日向は男運が悪い女性なのだろうと、生人は結論付けた。


「じゃあ、今日の仕事の話」


 生人と日向の初対面に全くの関心を示さず、八槻は仕事の話を始めた。早くも相談所は、いつも通りとなったのである。


    *


 野川と黒部が仕事に出かけると、生人は野川に代わってバラエティ番組に笑い、八槻は退屈そうに頬杖をし、日向はワオンを撫でる。なんとものどかな雰囲気が、相談所を覆っていた。


「ねえ八槻ちゃん。少しはデスクの上、片付けなさい」

「デスクが散らかってる、みたいに言わないでよ。椅子から立たなくても必要なものが手に取れるよう、機能的に置いてあるだけなんだから」

「機能的、ね。じゃあせめて、見た目は綺麗にしなさい」

「はいはい」


 まるで母親のように注意する日向に、まるで娘のように口を尖がらせ、嫌々ながらデスクの片付けを始めた八槻。生人は別世界にいるかのように、テレビに釘付け。仕事場は、完全にお茶の間と化していた。

 

 午後10時、仕事らしさを失った相談所も、お茶の間から仕事場に戻らざるを得なくなる。玄関のインターホンが鳴り、1人の幽霊が訪れてきたのだ。

 訪問者の幽霊は、整った髪型に整った服装の、真面目そうな30代男性幽霊。彼は生人の案内で相談所のソファに座らされた。仕事の始まり、ということで日向がテレビを消し、ワオンは大人しくなり、八槻が口を開く。


「所長の白河です。今日はどのようなご用件で?」

「僕は木村と申します。1つだけ依頼したいことがありまして」

「なんでしょうか?」

「僕が生前に働いていた『ホテル・プルート』というホテルなんですけど、ここ最近、幽霊が出ると話題になってしまって、売り上げが落ちているそうなんです」


 幽霊被害を幽霊が訴えるとは、ずいぶんと不思議な話ではある。しかしそれも、人間が人間の悪事を訴えるのと根本は変わらない、と生人は思った。

 木村と名乗った男性幽霊の話を聞いていた八槻は、木村の依頼の内容を予想し、口にする。


「ホテルの売り上げを落とす幽霊を捕まえ、生前に働いていたホテルを助けてほしい。木村さんのご依頼は、そういうことですね」

「はい、その通りです」


 首を大きく縦にふる木村。彼は首元の傷跡をさすりながら、熱く訴えた。


「死ぬ前の僕は、あのホテルにお世話になったんですよ。あそこで働くことで、僕は居場所を得て、たくさんの友達もできた。そんなホテルが、僕と同じ幽霊に苦しめられている。これを放っておくことはできません!」


 ホテルに対する木村の熱い想いに、やや圧倒されながらも、生人と日向は感心した。生きていた頃にお世話になった相手に、死んでからも恩返ししたい。感動話として取り上げてもおかしくはない話である。

 一方で、八槻は冷めた様子。彼女が冷めているのはいつものことなのだが。


「迷惑幽霊の退治なら幽霊管理部に依頼しても良かったのでは? なぜ私たちに?」


 おそらく、面倒くささもあったのだろう。はっきりと、木村に対してそう言った八槻。すると木村は、少し困った様子で説明を始めた。


「あまり、大事にしたくなかったので……。多くの幽霊から、白河幽霊相談所は信頼の置けるところだと聞いています。ここはぜひ、白河幽霊相談所にお願いしたいのです」


 ここまで持ち上げられると、生人と日向は当然として、八槻も悪い気はしない。問題は料金だ。


「悪霊退治となると、事前の調査などで数日――」

「できれば今日のうちに、終わらせていただきたいのですが」

「今日のうちって、これから退治ってことですか!?」


 驚きのあまり、つい生人はそう口走ってしまう。よほどの緊急性がない限り、迷惑幽霊の退治は数日かかる仕事だ。それを今日のうちに終わらせろという。驚いて当然だった。八槻も唖然としており、日向は木村に疑問を投げかける。


「そんなに急ぐ必要はあるんですか?」

「個人的に、急いでほしいのです。もちろん、それに見合った費用は出します」


 この『費用』という単語が出た途端に、八槻は「いくらです?」と質問した。主にレミのせいで貧困に陥る相談所にとって、金は大事である。

 突然、体を乗り出し質問してくる八槻に、木村は一瞬だけたじろぎながら、指を使って答えた。


「1人1時間5000円、成功報酬5万円でどうでしょう?」

「引き受けました。ホテルの情報を――」


 即決だった。生人と日向が悩む間もなく、八槻は即決した。相談所における通常の探偵業は、1人1時間2500円。2倍の儲けと、成功報酬の5万円に、八槻が即決しないわけがない。

 依頼を引き受けてくれたことに満足したのか、木村はやはり首元の傷跡をさすりながら、顔を綻ばせる。


「ありがとうございます! まずはホテルの住所ですが――」


 席を立つことなく、デスクに積み上げられた書類や雑貨の山から、シャープペンシルとメモを取り出した八槻。彼女は木村の説明を、一言も逃すことなくメモしていく。それを見た生人は、無意識に呟いてしまう。


「八槻が真面目に仕事してる……」


 そんな無意識の呟きに、日向は小さく笑って答えた。


「お金がもらえれば、八槻ちゃんだってやる気出すのよ」

「それにしてもじゃないですか。あの八槻が、メモを取ってるんですよ!?」

「どうせ今だけよ。すぐに面倒になって、メモ帳を投げ出すから」


 日向の言葉通りだった。木村との打ち合わせが始まって数分後、八槻のメモ帳はデスクの上の山の頂に置かれ、そのまま放置されてしまっている。彼女が持つシャーペンは、八槻の手持ち無沙汰を解消するためだけの道具と化していた。

 結局、メモを取るのを放棄した八槻に代わって、生人が木村の話をメモすることとなる。

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