その4 いきなり部屋に入ってくる奴は、だいたいおかしな奴

 反抗できず、ただ奴隷のように扱われ、いつしかいわゆる社畜と化していく労働者たち。6日が経ち、助けが来ないことに絶望を始めた生人も、そろそろ思考を放棄しようとしていた。


「おい、大町! 社長がお呼びだ。事務所に来い」


 突然の呼び出しに、文句のひとつも言わずに事務所へ向かった生人。

 本来はスパイなのだから、こういった出来事には注意をしなければならない。にもかかわらず、思考を放棄しかけている生人は、何らの注意もしていなかった。彼を正気に戻らせたのは、事務所で眉を釣り上げる社長の第一声である。


「大町さん、あなたは白河幽霊相談所の一員らしいじゃないですか」


 想定外の指摘。なぜ自分の正体がばれたのか。生人は内心焦りながら、それでもスパイ任務は続けようと、社長の指摘を否定する。


「な、何を言っているんですか。そんなわけないですよ」

「ウソを言うな! 社員の1人が、白河幽霊相談所でお前の顔を見たと言っている。お前は誰なんだ! なぜここに来た!」


 いつもの薄っぺらい、不気味な笑みは何処へやら。社長は生人の頭を手荒く掴み、生人を床に座らせ、どこかに焦りの色を隠しながら、顔を真っ赤にして、大声で叫んだ。これが社長の本性なのだろう。


「お前はどこまで知ってる!」

「知ってるって、何を知ってると――」

「ブレスレットとこの会社のことだ! お前はどこまで知ってる!」

「俺は何も知りません! そもそも白河幽霊相談所なんて――」

「いいか、今のお前は俺の部下だ。俺はお前をどうすることだってできるんだぞ!」


 怒りに突き動かされる社長は、ポケットの中から1枚の紙を取り出し、生人に見せつけた。生人もその紙の正体は知っている。


「これは中級呪術道具の御札だ。幽霊のお前を痛めつけられる。こうやってな!」


 生人に痛みを覚えさせようとしたのだろう。社長は御札を生人の足に貼り付けた。普通、幽霊はこの時点で、全身に無数の小さな針が突き刺さるような痛みに襲われる。だが呪術道具耐性レベル5の生人に、それは当てはまらない。


「……な、なんでだ!? なんで効かない!?」


 御札を貼られたところで、特にこれといった反応も示さず、まばたきを早めるだけの生人に、社長は固まった。

 

 時が止まったかのように、社長とその周りの部下は固まっている。まさにその瞬間であった。事務所の扉が勢いよく開かれ、事務所に5人の人影が乱入してきたのだ。

 1人はテレビカメラを、1人はマイクを、1人は照明を持ち、1人はいかにもプロデューサーらしき格好をし、人影の先頭に立つ老人は、和服に身を包み、片手には御幣を握りしめている。先頭の老人は、生人が生前から知る男であった。


 老人の名は、数多のオカルト系テレビ番組にも出演する有名人、霊能者の龍造寺虎狼りゅうぞうじころう。様々な除霊活動を行い、悪霊を祓ってきた男だ。

 社長たちは目の前の出来事を理解できず、余計に固まってしまった。一方で、ついに助けが来たのだと喜んだ生人。だがどうやら、生人は龍造寺という男を見誤っていたらしい。


「そなたがこの事務所の主か?」

「あ、ああ」

「うむ、実はあそこに、悪霊がいるのだ」


 おどろおどろしくそう言って、事務所の片隅を指差す龍造寺。生人は唖然とした。彼が指差した先に、幽霊はいない。事務所には生人を含めて4人の幽霊がいるが、龍造寺はその誰にも指をささず、幽霊のいない場所に指をさしたのだ。


「さっそく除霊を始めます。……天と地から取り残されし哀れな魂よ、あるべきところに帰りたまえ。悪霊退散! 悪霊退散! フン! フウゥゥンン! ハアァァァア!」


 誰もいない部屋の片隅に向けて御幣を振り回し、鬼のような形相で、誰もいない部屋の片隅に向けて何やら呪文を唱える龍造寺。誰もいない部屋の片隅に向けて。


「……除霊は終わりました。これでもう大丈夫」

「さすがは龍造寺さん! 今日も良い画が撮れましたよ!」

「わしは為すべきことを成したまで。では、次の現場へ向かおう」


 誰もいない部屋の片隅から悪霊を除霊したという龍造寺は、太鼓持ちのプロデューサーと共に満足そうな表情をして、事務所から出て行った。事務所にいる幽霊は、変わらず4人。

 嵐が過ぎ去った後の静けさ。生人も社長も、3人の幽霊も、唖然としたまま開いた口が塞がらない。


「ともかくだ! お前は白河幽霊相談所の――」


 龍造寺のことなどなかったかように、再び怒りのボルテージを上げる社長。ところがである。事務所の扉が再び、勢いよく開けられた。

 今度は何だと、事務所の入り口に目を向ける一同。そこにいたのは、青っぽい髪色のショートヘアが特徴的な、スーツを着る少女。そしてそんな彼女に率いられる、10人ほどの背広姿の男たち。


「幽霊管理部捜査課です。詐欺罪で逮捕します」


 少女は社長に対して、小さな声で、呟くようにそう言った。生人は確信する。ようやく助けが来たのだと。

 社長は幽霊管理部の登場にうろたえながら、しかし自信満々に答える。


「俺は人間だ! 俺に罪はない! 幽霊は逮捕できても、俺を逮捕することはできないだろ!」


 社長の言葉は間違っていない。法的には、幽霊は人間ではない。人間がいくら幽霊を酷使したところで、人間に罪はない。幽霊管理部が逮捕できるのは、幽霊だけである。もちろん、幽霊管理部の少女もそれは理解している。


「あなたは逮捕しない。逮捕するのは幽霊だけ」


 少女の答えに、ニヤニヤと笑いだす社長。法の壁により社長が逮捕できないことに、生人は悔しがったが、少女は無表情なまま、口を開いた。


「ただ、この仕事は止めたほうが良い」

「声が小さくて、何を言っているのか分から——」


 白々しい社長の悪態を遮り、事務所に1発の銃声が鳴り響く。同時に詐欺師幽霊が床に倒れ込み、動かなくなった。少女の片手には拳銃が握られている。何が起きたのかは、さすがの生人でも理解出来た。


「もう一度言う。この仕事は止めたほうが良い」

「は、はい!」


 いきなりぶっ放す、クレイジーな幽霊管理部捜査課の少女は、やはり無表情でそう言った。たかが詐欺師でしかない社長は、まだ生きているのもあって、拳銃に恐れおののき、それ以降は大人しくなる。

 幽霊に対する霊感商法と、幽霊への違法労働の強要。立派な犯罪を犯した幽霊たちは、こうして社長以外の全員が逮捕された。


「黒部さんに感謝しなさいよ。黒部さんがあんたの尾行に成功しなきゃ、助けは来なかったんだから」


 事務所ビルを出て、久々の外の空気を吸っている生人に対し、あの社長とは違って、張り付いた笑みすらも浮かべない無愛想な八槻が、そう言ってきた。彼女の隣には伊吹が立っており、彼もまた口を開く。


「捜査協力、ありがとうございます。お手柄だったよ、元町君」


 伊吹は生人に頭を下げた。しかし、完全に疲れ切っていた生人は、つい悪態をついてしまう。


「もう少し早く逮捕してくれません?」

「悪かったよ。令状を取るのに苦労しちゃってさ。まあ、元町君の方が苦労してそうだけど」


 軽い口調ではあるが、その奥底には、感謝の気持ちが込められている伊吹の言葉。生人はこれ以上、伊吹を責める気にはならなかった。


「にしても、こんな奴らが中級呪術道具を持ってるなんて……」


 生人の太ももに貼りっぱなしになっていた御札を手に取り、ため息まじりの八槻。伊吹は困ったように小さく笑って、言った。


「ポルターガイストだろうね。最近、チンピラ風情の幽霊に呪術道具を撒き散らしてるらしい」

「ポルターガイストって?」

「元町君は幽霊になったばかりだからね、知らなくて当然だ。まあ、幽霊で組織されたテロリストだと思ってくれればいいよ」

「テロリスト!?」

「捜査課が捜査を継続中だけど、相談所も気をつけた方が良い。特に、八槻所長はね」

「…………」


 テロリストなどという物騒な単語に、生人は驚いた。驚いたのだが、それ以上に、八槻がポルターガイストという単語を聞いた途端に、黙り込んでしまったのが、生人には気になった。


 とにもかくにも、事件は無事に解決した。強制労働からやっと解放された生人は、背伸びをして、深呼吸をする。深呼吸をしたのだが、ほとんどため息となってしまった。労働から解放された生人に待つのは、相談所の労働だからである。

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