その4 学校は勉強をするところです

 廃学校に潜む、人を襲う恐怖の初老幽霊。話題性に飢えるネットやテレビ局が、いかにも食いつきそうな存在を、八槻はあっけなく捕まえた。

 

「囮の仕事は完璧」

「おいおい八槻、まさか俺たちを餌に?」

「ううん。餌はあのバカたち」


 そう言って若者集団を指差す八槻。生人は唖然としたまま、話題を変えた。このままでは、生人の恐怖の対象は八槻になってしまう。

 今重要なのは、理科室の入り口に転がり、痛みに悶える初老幽霊だ。八槻は気絶した男と野川を手放し、初老幽霊を起こして事情聴取を始める。事情聴取を行う八槻は、さながら悪い警官のような表情であった。


「白河幽霊相談所です。話、聞かせてもらいます。名前は?」

「この小学校の校長を務めておる、永井だ」

「校長を務めている? この学校は数十年前に廃校になって……」

「分かっておる! まだ耄碌するような年ではない!」

「はぁ……じゃ、事情を聞かせてもらいます」


 ため息混じりながら、事情聴取を進める八槻。いくら面倒くさがりの彼女でも、最低限の仕事はするのだ。何より、報酬のためでもある。


「なぜ、あの人たちを襲ったんです? 私の部下である、あの幽霊も」

「待ってくれ! だらしのない若者たちを襲ったのは認める。だが、あのふざけた格好の男は知らん」

「知らない? 俺は確かに、1階のトイレで野川さんの悲鳴を聞いたぞ」

「知らんものは知らん」


 否定されたところで、混乱するだけの生人。永井というこの初老幽霊が、野川を襲ったのではないとするならば、あの悲鳴はなんだったのか。


「あんた、その時に永井さんの姿は見たの?」

「……いや、見てないけど」

「そう。永井さん、1階のトイレ前で、あの若者を襲ったのは事実です?」

「それは事実だ」

「なるほど。どうせ左之助さんのことだから、あの生きた若い男に驚いて、勝手に気絶したんでしょ」


 つまりは、幽霊である野川は人間に驚き、気絶したということか。にわかには信じられぬ生人であったが、八槻の言葉は確信めいている。おそらく八槻は、野川との付き合いは長いはず。彼女の言葉を信頼すべきだ。

 あまりに格好悪い野川はさておき、事情聴取は続いた。


「で、なんで人間を襲ったんですか?」

「決まっているだろう、躾だ。ここは小学校だぞ。子供たちが学ぶ場所、大人になる場所。廃校となった今でも、それは変わらん。だが、あの若者たちを見てみろ」


 怒りに顔を赤くさせる永井。彼の口調は、だんだんと厳しく、激しいものになっていく。まるで子供に説教をするようだ。いや、実際に説教をしているのだ。


「彼ら彼女らは、学生ほどの年齢だ。それが、こんなに夜遅くに、我が学校に侵入して騒ぎおる。住居侵入は犯罪だ。周りの住宅にも迷惑をかける。小学校を卒業して、大人になろうとする若者たちが、小学校で暴れる。そんなことは許せん!」


 校長先生のお話。彼の言っていることは、決して間違っていないと生人は思う。


「学校とは静かに、勉強をする場所。それを、まるでお化け屋敷のように楽しむ若者たちを見て、放っておくことはできないだろう。だから、彼ら彼女らを襲った。躾のためにな」


 間違っているのはそこだ、と生人は思った。若者集団が悪いことをしているのは事実であり、それに対する躾が必要なのも、生人は分かっている。だがその躾の内容が、脅かすというのは違うと思ったのだ。

 永井の回答に、八槻は特に表情を変えることもなく、しかしわずかに目の下が動く。


「これだから幽霊は……」


 低く唸るように、そう呟いた八槻。生人の初仕事のときと同じだ。八槻は時折、こうして幽霊に対する嫌悪感を見せる。なぜなのかは、生人はまだ知らない。


「こーちょー先生、変なこと言うねぇ」


 事情聴取中、なんとも退屈そうにしていたレミが、ついに口を開いた。厳しく冷たい口調の八槻とは違って、ほんわかとしたレミの口調。さながら良い警官の登場だ。永井は首を傾げる。


「何が変なのだ? 躾は大切であろう」

「変だよぉ。だってこーちょー先生、学校はお化け屋敷じゃなくて、静かにお勉強をするところって言ったもん」

「ああ、その通りだ」

「でもこーちょー先生は、お勉強を教えるんじゃなくて、人を脅かしてる。それじゃぁ、ここは学校じゃなくて、お化け屋敷になっちゃうよぉ」


 永井の表情が変わった。生人と八槻も、意外そうな顔をしてレミを見つめる。レミは話を続けた。


「こーちょー先生が人を脅かすから、ここはお化け屋敷になっちゃうんじゃないかなぁ」

「……しかし、躾は重要だ。躾をするなというのか?」

「ううん、人を脅かしちゃダメ、って言ってるの。あなたはこーちょー先生なんだよ。子供たちが悪いことをすれば、反省するまで言葉で叱ってあげる。躾は、それでいいんじゃないかなぁ」


 まるで雷にでも打たれたかのように、目を丸くする永井。レミの間延びした言葉のひとつひとつが、怒りに固まった永井の表情をほぐしていき、彼の考えを変えさせた。


「……どうやら、幽霊として長い時間を過ごしすぎたようだ」


 永井がそう呟く。生人は驚いていた。レミはやはり天使なのだ。一見するとほんわかした女の子にしか見えないが、正真正銘の天使なのだ。でなければ、わずかな時間で永井の怒りを和らげてしまうことなど、できはしない。

 先ほどまでの怒りは何処へやら。今の永井は落ち着いている。彼は自分の行いの非を認め、後悔はせずとも、反省はしているのだ。そんな彼に、八槻はどんな沙汰を下すのか。


「永井さん、今後は人を脅かさないようにお願いします。ただ、罪は罪なので、執行猶予ですね。2度目はないですよ」

「……許してくれるのか? 捕まえて幽霊管理部に引き渡しはしないのか?」

「私たちの仕事は、廃墟の警備だけですから。それに、もう永井さんは天使に諭されましたし」


 果たして八槻の言葉は、人情から出た言葉なのか、面倒くさがりから出た言葉なのか、生人には分からない。ただひとつ分かるのは、レミが八槻にその言葉を言わせたことである。レミの説教が、永井の心を変え、彼自身を許したのだ。

 

 一時はどうなるかと思われた廃学校の騒ぎも、レミのおかげで全てがまとまった。以降の生人たちは、何事もなく警備を続けた。

 永井は反省し、今後は人を脅かさずに躾を行うと決意した。若者集団は、生人たちが彼らの車に運び込み、気絶から目覚めると、恐れおののき去っていった。新たな若者集団が現れることもなく、朝が来たのと同時に警備は無事に終わりを迎える。


    *


 廃学校の警備から4日が経った朝。この4日間、生人たちは普段の半分ほどの仕事しかしていない。廃学校警備の依頼人から報酬10万円を受け取ったおかげだ。

 本来、八槻と3人の幽霊による8時間の警備費用は、5万2千円。しかし依頼主が危険手当等々を込みにしたため、報酬は普段よりも倍近い10万円となったのだ。八槻は遠慮せず10万円を受け取り、生人はあこぎさを感じていた。


 現在の相談所は、誰1人として仕事をせず、全員が暇を持て余している。黒部はアパートの自室に篭り、野川はレミを口説き、レミは堕天使と化して野川を撃退し、八槻はデスクチェアに座ってプリンを口にし、生人はパソコンでネットを閲覧中だ。


 ふと、生人は廃学校のことが気になり、インターネットで調べてみた。廃学校の名前を打ち込み、検索すれば、多くのオカルト系サイトがヒットする。

 廃学校に関する多くの情報は、永井の目撃談だ。しかし生人は、なんとも興味深い記述を発見することになる。


『ある意味恐怖! 何人もの人が襲われたと証言する有名な某廃学校に、新たな証言が加わった。なんと、廃学校に住み着く校長の幽霊に説教をされたというのだ。そう証言した男性は、校長の長い話に耐えられず、途中で廃学校を逃げ出したという。』


 思わず生人は笑ってしまい、パソコンの画面に向かって笑う生人に、八槻は怪訝な目つきをする。生人は弁明のためにも、たった今仕入れた怪談話・・・を八槻に伝えた。


「あの廃学校、校長先生のお話が長すぎて、別の意味で怖がられてるよ」

「いいんじゃない。誰も校長の話なんて聞きたくないだろうから、心霊スポット見学しにくるバカも減るだろうし」


 小さく笑って、そう言った八槻。彼女に続いて、レミが口を開いた。


「いっくんの言った通り、いろんな種類の恐怖があるんだねぇ」


 まさしくその通りだと、生人は思った。校長先生の長いお話など、恐怖以外の何物でもない。

 レミのおかげで、廃学校に新たな恐怖が生まれ、廃学校を訪れる人が今後は減るだろう。だとすれば、それはレミのお手柄だ。見た目とは裏腹に、レミは優秀な天使なのだと、生人は思う。


 しばらくして、午前11時ごろ。そろそろ眠ろうとしていた生人だが、相談所に宅配便が届いた。宅配便の段ボールは、どっしりと重く、相談所の机の半分を占領する大きなもの。八槻は身に覚えのないその届け物を怪しみ、ゆっくりと段ボールを開けた。

 開けられた段ボールから出てきたのは、謎の機械が1つに巨大な鍋が2つ、フライパン3つ。生人は当然ながら、八槻も珍しく混乱している。


「人間界ってすごいねぇ。通販って便利!」

「レミさん、その笑顔もかわいい!


 やけに嬉しそうなレミ。野川は相変わらずレミへの愛情を爆発させているが、生人と八槻は唖然としていた。八槻は震えた声で、レミに問いただす。


「これ、何?」

「お料理セットだよぉ。簡単に煮込み料理ができる機械と、圧力鍋と、それから――」

「値段は?」

「今ならたったの3万円ぐらい」

「3万!? し、仕事探さなきゃ……」


 衝撃に頭を殴られたのか、ふらつく八槻。生人も苦笑を浮かべるしかない。どうやら、レミを優秀と判断するには、まだ早かったようだ。

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